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初恋  作者: 北 郷
1/3

前編

 いつもと同じように迎える初冬の夕刻。陽は赤みを帯び始めている。

「ただいまー」と言う大きな声を耳にする母の目が細まる理由は、冷蔵庫の一番上の段、その左隅に娘の好物であるプチプリンを潜ませているからである。もちろん潜ませたのだから秘密にしておくつもりである。

 何故敢えて潜ませたのかと言うと、彼女的には娘に好物を見つけた喜びを味わって欲しいからと言う大義名分もあるが、その実は単に娘の驚く瞬間の顔が見たい、それだけである。


 そんな母の思惑を知らない娘は、いつもと同じようにドタバタと近づいて来る。母はその娘の帰宅の音を耳で追う。

 いつもと同じ足音は、自分が洗い物をするキッチンへと繋がり、冷蔵庫の扉を開ける音に繋がるはずである。そして、本日の思わぬ収穫に小躍りして自分の部屋へと向かうに違いない。

 それを思うと、ほんの些細なことなのにドキドキとしてしまう自分がいることを感じる。でも、しょうがない。これが彼女の幸せな日課の一つなのであるから。なのだけど、


「みいちゃん、お帰り」 


 でも今日はほんの僅かだけ・・・違っている気がする。


「ねえ、母さん」


 無造作に開けた冷蔵庫の扉の陰から話し掛けられたのである。もちろん話掛けられるのが珍しい訳では無い。でも、今日はどこか違うそんな直感が過る。

 何かあったのかしら?そう思ってはみるものの、一応気付かないフリをして、いつも通りを心掛けることに決める。


「な~に?」


「その~、あのさぁ・・・母さんのさぁ、初恋って、まさか父さんだったりするの?」


 思いもかけぬ不意打ちに、動揺を見せる母。

 危なく洗っていたお皿を手から滑り落としそうになるが、そこは、自慢の反射神経で何とか皿の淵を掴み事なきを得る。背中に湿気を感じながら、小さくため息を吐く。

 でも、どうやら冷蔵庫のドアの影になり、娘には動揺を見られずに済んだらしい。娘もいつに無い話を振った手前、緊張しているのか冷蔵庫の下段を見つめたまま視線が外せないでいる。


「え~っ・・・どうしたのみいちゃん? いきなり」


 呼吸を整え、平静を精一杯装い、母はその意図を探ろうと逆に聞き返してみる。

 まだ心臓の鼓動は通常よりも2割はアップしていると思われる。我ながら情けないと思うが、そこは母としての余裕を見せることに努める。


「ちょっと、聞いてみたかっただけ」

「聞いてみたかったって・・・いきなりそんな(もごもご)」


 発展性のないその返しに何て応えていいのやら、気の利いた言葉がみつからなくて、語尾を濁してしまう。娘はそんな母とは裏腹に、


「で、どうなの」


 きっぱりと、せっついて来る。な、ものだから、

 

「まさか・・・そんなわけないわよ。だって、初恋は小学校の時だもの」


 つい、慌てて正直に答えてしまった。それが良かったのか、どうなのか?と思っていると、


「そっか・・やっぱ、それはそうだよね」


 何気に気落ちしている様に窺えなくもない。

 あれっ?と、正直に答えてしまったことが拙かったのかと、娘の様子を横目でチラチラと窺っていると、


「やっぱ、初恋は成就されないんだよね~」


 なんて呟いている。

 ”成就”なんて言葉を使う娘に驚きながらも、あーそ、そう言う展開ね・・・と、母は単なる恋の行方の話かと、内心ホッとする。

 しかしながら、良く考えて見ると、もう、結婚を考える男の子が出来たと解釈出来なくも無い。

 微妙な少女の心に半信半疑ながら、娘の気持ちを考えてフォローを入れてみたりすることにする。もしかしたら、そこから楽しい娘の恋バナが聞けるかもしれないのだ。このチャンス逃したくは無い。


「でも、ずっと継続と言うのは難しいかもしれないけど、離れたりよりが戻ったりを繰り返したりとか、大人になって再会して、またつきあったりって言うのは結構あるみたいよ」


「へー再会して?」


 すると、娘は母の思惑通りに食いついて来た。


「そうそう、子供の頃のお友達に会うとね、いきなり懐かしい子供の頃の感覚が蘇ったりするのよ。だから、昔の気持ちがそのまま継続されているような感じになるのかもそれないわね」


「ホントに?」


 ほーら喰いついた!娘の瞳が輝いているは、見なくても口調だけでわかってしまう。

 微笑ましい娘の成長に感慨を深めつつも、そこに自分の懐かしい思い出も被さったりして、心臓がバコバコ、心がワクワクしてしまう。平穏な筈の日常が楽しく楽しく騒めき出す。

 母だって女子。単純に女子としての好奇心を持ってしまうのは致し方なところではある。しかし、ここは娘の初の恋バナなのだ。心はホットでも頭は冷静に保ち、最良のアドバイスをしなければならない。と思い直す

 母は、ゴクリと唾液と一緒に気持ちを飲み干し、さあ、いらっしゃい!どんな相談でもウエルカムよ!

とばかりに、胸を張って娘の次の言葉を待つ・・・こと一瞬。

 そこで、娘から放たれた言葉は、


「ねえ、母さんの初恋を教えてよ?」


 それには、入れた気合も空を切る。どころか、今度は洗っていたお茶碗を「ポッチャン」と洗い桶の中に滑り落としてしまう始末。さらに、


「ゴホっ、ゴホ・・・ンッ、ウゥンッ」


 飲み込んだ唾液で咳き込んでしまう。が、そこは咳払いで誤魔化す。

 誤魔化せたかどうかは定かではないが、そこは、誤魔化せたと思い込むことが相手を巻き込む基本とばかりに、余計なことは言わずに横目で娘の様子を窺う。

 幸いにして再びの親としての失態も、娘の興味はそこには無いようで、いつもの鋭い突っ込みは影をひそめたままだ。

 母はホッと一息吐いて、再び母としての余裕を見せようと心掛ける。


「か、母さんの初恋?ん~、そうね・・・」


 一体、どれを初恋にしようかと悩みつつ、先ほど思いだし掛けた懐かしい思い出は、恥ずかし過ぎて言い難い。自然と避けたい気持ちがそこをスルーして、結局、恋とは少し遠いとは思いつつも、


「・・・小学1年生のかな」


 さかのぼること30年足らず、一番古い“好き”と言う言葉使ったかもしれない思い出で誤魔化そうとしてしまう。


「も~う、そんな子供の頃の話じゃなくて、ちゃんとした恋のはなしー。

 全くアイドルじゃないんだからさ、変なこと言わないでよ」


 と怒られる。何か見透かされてしまったようで、恥ずかしい。


「ちゃ、ちゃんとって、どんなのー?」

「やっぱさ~、こう何て言うか、ず~っと頭の中にから抜けなくなるって言うか、全ての中心が変わってしまうと言うかさ・・・」


 うっとりする目でそんなことを言ってくる娘に、聞いてる方が赤くなってしまいそうだ。

 しかし、こんな恥ずかしい言葉を子供に堂々と言われると、照れくささを誤魔化そうとした自分がもっと恥ずかしい。母として大人として、なんとなく負けちゃいられないきになってしまう。しからば、ここは母の特別の美談を語らなければなるまいと。

 とは思いながらも、その実は考えるまでも無い。

 さっき、スルーした思い出しか残っていない。

 しかし、幾ら娘とは言え子供の頃のもどかしい恋を晒すのは恥ずかしい。そこを何とか脚色して上手く伝えられるかが心配だ。いや、そこは上手くなくても良い。笑われないように話せるかが心配だ。

 さてさてどうしましょうかと戸惑ったり、懐かしさに顔を綻ばしそうになったり、暫し自分の世界に入り込んでしまっていると、


「それでいいよ」

「えっ、それって?」

「今、ニヤニヤしながら思い出しているのでいいてこと」

 

 何て完全に見透かされては、もう、脚色をどうしよう?何て考える余裕はない。いつもでも恥ずかしがるのも母としてどうかと思う。

 ここは観念して洗いざらい話すしかないのだろうか?

 自分の母だったら、ここでどうするのだろう?何て、娘の祖母にあたる自分の母のことを思って見る。すると、何となく心が固まって行くのを感じる。


 よし、そのままを話してみよう。きっと、母ならそうしたはずだ。そう決意する。


「ん~そうね~、丁度みいちゃんと同じ5年生の頃ね。

 母さんが、その子のことが気になりだしたのは」


 と言いながら、娘も同じ歳になったのだと、再び感慨を深める。が、羞恥心からはっきりと「5年生の冬休みに会いたくて会いあたくて冬休みが早く終わらな会と思っていた」とは言えなかったことに、先程の決意は何だったのかと、ちょっと後悔を持ちつつ、更に続ける。


「多分ね、両想いだったと思うのよ。くあはっ!」


 後悔が裏目に出て、今度は定かでは無い余計な本音までを言ってしまう。

 言ってから恥ずかしくなり、更に余計な奇声まで上げてしまった。


「あはっ!だって」


 それに、早速突っ込みを入れ、軽蔑の眼差しをする娘。

 さっき、茶碗を落としたことはスルーしたのに、今度は思い切り突っ込まれてしまう。でも、ここは何事も無かったようにい住まいを正して続けるのが一番と、


「んっ、んんっ」


 咳払いを二つで無視する母。そして、続ける。


「それでね、6年生の時に学級委員なったの。二人一緒にね」

「えっ、母さんが学級委員に?」

「そうよ、意外だった?母さん、小学校の時は結構人気あったんだから。勉強だって、そこそこ出来たし、運動神経も良かったし、学校行事のほぼ全てで中心人物だったのよ」


 疑わしい目つきが胸に刺さり、少し控えめに言い換える。


「それは、ちょっと大げさかもしれないけど、まあ結構そんな感じだったの」


 そこは、嘘偽りの無い本当の事なのであったが、娘に押されて妥協線を探ってしまう。何て謙虚何だろうと思いながらも、娘がそれで納得するのだからそこは諦めるする。

 娘は、「早く!」とばかりに続きを催促する視線を向けてくる。


「今はどうなのか分かんないけど、母さんの頃の学級委員はね、男女一人づつが選ばれたの。

 その時は、先に男子が選ばれて、まあ、順当にその子に決まって、次にね、女子の番になったの。

 母さん、もうドキドキしちゃって」


「なんで?」


「だって母さん、人気あったから、ああ、ソコソコ、ソコソコだけどね。

 だから、ほら一緒に学級委員になれるかもしれないでしょ。でもね、一緒に学級委員になりたいのが半分、臆するのが半分でね。立候補しようかどうしようか迷ってたの。それに、そこで立候補何てしたらバレバレじゃない」


 うん、うんと頷き話に喰いついて来る娘。そうなると、母として、語り手としても気持ち良くなってしまう。つい饒舌じょうぜつになってしまうのは致し方ない。


「母さん、やっぱり手を挙げれなかったの。そしたらね、持つべきは親友よね、母さんその男の子のこと何も言ったことがないのに、母さんの様子に気付いていたのね」


「親友って、もしかして菜乃葉なのはおばさんのこと?」


 母の小学校からの友人として心当たりのあるのは、娘には一人しかいない。


「そう、その菜乃葉が母さんを推薦してくれたの。しかもね、他の子が推薦されないように、もう、母さんが恥ずかしくなるくらいの賛美付でね。目に浮かぶでしょ?」


「うん、何となくおばさんらしいって感じ」


「で、まあ結局めでたく二人は学級委員になって、二人だけの時間が出来ましたとさ・・・」

 

 そう言ったところで、母は時間が止まった様に体を止めて目を閉じ、


「・・・うふふ、グッ」


 と含み笑いと共に、喉まで鳴らす。

 その嬉しそうな思い出し笑いが、娘にとっては憎々しいし。憎々しくも、その先の興味がそそられて堪らない。そのもったいぶられたような行動が腹立たしい。


「うふふってなにそれ? そして、どうなったの」


「おしえな~い」


「何それ、子供みたい」


 娘は、はすに構えて鋭い目つきを向けるが、母も乗りに乗っていい調子。そんな娘の視線も悪い気はしない。

 気分は対等の女子と女子。ちょっと優越を感じてしまう。


「だって、母さんが子供と時のはなしだもん」


 なんて言ってみたりする。

 

「意味わかんない。いいから~、教えて」


 今度は体を揺すって、思いっ切り子供をアピールするようにねだってくる娘。

 それも母として心地よい。本当は調子に乗ってしまい、話したくてしょうがないところだが、でも、 ここは勿体ぶってみる場面とばかりに、


「しょうがないわね~、まあ、教えてあげないこともないんだけど・・・聞きたい?」


 そう言って娘を見る。


「いーから早く、話して」


 今度は目つきが冷たい。本気が入っている。


「ちょっと、待って。思い出すから」


 慌てて、頭の中で何を話そうかと昔の記憶を整理する。話すべき部分と聞いて欲しい部分。それとその時の自分の気持ち。是非とも自慢したい部分も少々入れたい。

 今は頭の回転が自分でもびっくりする位に良く回る。


 一番の思い出は、あの100メートル余りの同じ帰り道。共通の道のりはたったそれだけだったけど、緊張もしたけどその短い時間があって、どれだけ楽しかったか。それと、あの時言えなかったことの後悔。


 色んなことがあったけど、今でも思う。

 そこにどれだけ多くの感情が詰め込まれていたのだろうかと。

 どれだけ自分の心を豊かにしてくれたのかと。

 どれだけ大切な貴重な時間であったかと。


 それと、後悔を含めて思い出をありがとう、と・・・。


<後編につづく>


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