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音の…セカイ

作者: 陽向

短編です。

よろしくお願いします。

「君/ 好き/私」


 流れる様な仕草で彼は言った。

 その仕草にそぐわない熱を含んだ瞳は私を捕らえて離さない。少し目線を上げ目と目が合うと彼は微笑んだ。

 いや、初めから目は合っていた。その手は視界の端に捉えていただけのはずだったのに、思わず目で追ってしまっていた。

 

 大学の図書館のテーブル。六人掛けのテーブル席の窓際に向かい合わせに座る私たち。

 人の歩く音、紙がめくれる音、本が重なる音。

 普段の生活では殆ど気にすることがない生活音がやけに目立つこの空間で私語などをする人間は殆どいない。小声でも気になるこの場で誰のことを気にすることなく話しているのは私たちだけだろう。

 私は彼の話す話題に吹き出してしまいそうになるのを必死で堪えていた。

 ここで笑ったらみんなに注目されてしまう。

 いや、初めから注目はされていたのだろうけどそんなものは気にならない。日常茶飯事だから。

 私たちの間に流れる空気は周りとは異なった独特のものだ。

 周りからの人目を引くのは仕方ない。しかし殆どの人は私たちの会話を理解することなんでできないだろうから。

 いつものように何気ない話をしていたときに、不意に見せた彼の真剣な表情。

 そしてその告白に私は言葉を失った。



 そうだ。この人はこういう人たちだった。

 自分の気持ちを素直を言葉にすることを厭わない人たち。

 想いに正直で、ストレートな表現を好み使用する。

 気持ちが落ち込むような言葉も、思わず赤面してしまうような言葉も馬鹿正直に伝えてくる。

 私はそんな彼らが少しだけ、苦手だ。

 決して相容れないからからなのか、何処かで線を引いてしまう。

 その中には多分、憧れや妬みなども含まれているのかもしれない。

 一度は、何て言葉では表せないくらいに何度も何度も願った。

 私はそっちの世界に居たかった。

 行きたかった。生きたかった。


『好きだよ』


 決して聴こえることのない彼の声が聴こえた気がしたんだ。



 向かい側の席に腰掛け真っ直ぐに私を見つめる青年。

 玄野 玲(くろの れい)

 彼はろう者。

 手話を母語とし、ろう文化の中で育ち生活してきた。

 そして私の両親も彼と同じくろう者だった。

 ろう者の二人から産まれた私、日下 縁(くさか ゆかり)はろう者ではなく聴こえる側の人間、聴者だった。

 そんな私は『コーダ』と呼ばれている。

 

 『コーダ』とはろう者を両親に持つ子どものことを言う。

 『Children of Deaf Adults』の頭文字をとりCODA(コーダ)と言われている。

 私が初めに身につけたものは、音声言語ではなく視覚言語だった。

 物体が目の前に置かれ、両親がそれを指差し次に手で表現する。

 それは名詞も動作も全て同様で、実際に動いているところを見て次にその単語を手で表出し覚えて行く。

 私はそうやって言語を身につけていった。

 しかし両親は私の行く末を案じていた。音声言語が遅れていることが目に見えて解っていたからだ。

 自分たちが生きる世界と私が生きる世界は違うものだと解っていたのだ。

 両親が自分たちの代わりに日本語を教えて欲しいと願いでたのは、同じマンションの隣に住む長谷川一家だった。


 長谷川夫妻には子どもが居た。ひとり息子の長谷川 理仁(はせがわ りひと)は私の幼馴染で、幼い頃からずっと一緒だった。

 私の傍にいて両親のことも私のことも理解してくれている。

 日本語は長谷川夫婦よりも理仁に教えてもらったことの方が多い。

 家族の様な兄妹の様な不思議な関係。それがいつまで続くか分からない。成長するにつれてその関係が壊れてしまう日が来ることが怖かった。

 でも臆病な私は、理仁が優しいことに漬け込んでその関係に甘えていた。

 そう、あの日までは。





 理仁はバンドを組んでいた。

 中学生の時に始めたベース。ある程度弾けるようになると理仁は仲良い男友達とバンドを組んだ。


「私も弾いてみたいな」


 毎日楽しそうにベースを弾く理仁を見ていて、いつも傍にいた理仁が離れていってしまうことに対しての焦燥感だったのか、それとも音楽に対しての憧れからなのか。

 弦に触れて初め鳴らした四弦の音。お腹に響くような重低音。

 その私の手を理仁が取り、一緒にベースを弾いたのが音楽の世界に引き込まれたキッカケだった。

 丁寧に優しく、理仁はベースを教えてくれた。

 半年かかってコードも覚えて弾けるようになると、理仁はバンド仲間に私を紹介しスタジオ練習にも私を連れて行くようになった。

 それからある日、理仁は突然ベースをやめてギターを弾き出した。


「ベースは縁が弾いて」


 理仁はどうするのって言ったら、ベースは二人もバンドに要らないから俺はギターにすると言われた。

 私のためにベースを辞めたのかと思い俯いている頭に手が置かれた。縁と一緒に居るためだよと理仁は言った。

 今も一緒にいるのに、意味不明だ。





 そしていつものスタジオでの練習終了後の夕暮れ時の帰り道。

 二人の背中にはギターとベースが乗っかっているので、頭の上から伸びる細長い棒と瓢箪みたいな身体のラインの影に声を出して笑ってしまった。

 理仁の影を見ると、頭の位置がずっと下の方にあった。

 どうしたのかと思って振り向くと、離れたところに背中に夕陽を背負い少し俯いて唇を固くゆすんでいる理仁がいた。


「理仁どしたの? 置いてっちゃうよ?」

「縁…」


 私の名前を呼び顔を上げた彼の目は、今まで見たことがないくらい真剣なものだった。

 少し顔が赤いのはこの夕陽のせい…?


「俺/お前/好き」


 唐突に出された手話。その手は遠くても分かるくらい震えていて、同じところを何度も指したりと無駄な動きが多い。

 あまりの驚きで目が見開き、固まってしまった。

 そんな私の表情を見て更に焦ったのは理仁の方だった。あれ伝わってなかったのかなと、確認しながらもう一度同じ言葉を紡ぐ。


「俺/お前/好き/?」


 最後は自信が無くなってしまったのだろう。首を傾げた理仁を見て思わず吹き出してしまった。

 それに更に焦る理仁の姿。

 人が真剣に告白しているのに、吹き出すとか確かにない。かなり失礼。ゴメン。

 でも理仁らしいなと思ってしまった。


「それじゃぁ、俺ってお前のこと好きなのかな? ってなっちゃうよ。首の傾きも手話では文法の一部だからね。それをやるなら…」


 笑い過ぎて目尻に溜まった泪を拭いながら私は手を動かす。


「君/好き/私」


 私の手の動きをじっと逸らすことなく理仁は見ていた。そして甘く微笑んだ。


「やっぱり縁の手話は綺麗だね。惚れ惚れしちゃうよ。でもその手は…」


 そう言うと理仁は突然真顔で私の手を取る。


「その手は俺のためにベースを引いて欲しい」


 理仁からの真剣な告白だった。





 私に差し出される二つの手の平。


 ろう者にも聴者にもなりきれないコーダの私。

 音が曖昧なセカイを彷徨い続けていた。


 音の無いセカイに住む玲。

 音の溢れたセカイに生きる理仁。


 私はどちらの手を取るのだろうか。







/○○/で区切られているのは、手話単語です。



最後まで読んで頂きありがとうございました‼︎

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― 新着の感想 ―
[良い点] そういう世界もあったのかと、新たな発見をさせていただきました。面白かったです。
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