勇者の休息
けれど、こちらとしても言っておくことはある……なので、俺は口を開いた。
「それは、本当のことだろ?」
「それは……」
カレンは言葉を濁す。
「否定は、できないかな」
「……なあ、カレン。疑うのは仕方ないし、俺も魔族の時の記憶がほとんどないからどうとも言えない。けど――」
「救ってくれたことは事実、と言いたいわけだね?」
「そうだ……まあ、仮に彼女が魔族だとすれば、俺のことをどうにかするために優しくしている、と考えることもできる……けど」
――そこで上手く説得できる案を思いつき、言葉に出した。
「ほら、そういう力を持っているなら……カレンだって気付くだろう?」
「……うん、まあ」
頬をかきつつ、カレンは答えた。
「確かに、私は看破する自信はあるけど……でも、魔族に操られた普通の人かもしれないし」
「それだったら、魔法が掛けられているはずだろ? 何かおかしなところはあったか?」
「……ううん、ない」
首を左右に振るカレン。よし、これなら。
「ミリーやレジウスさんだってそういう意味で不審な思いを抱いた様子はなかった。ここから考えるに、少なくとも彼女自身が魔族、もしくは魔族に対し魔法を掛けられている存在でないことは、カレンも納得できると思う」
「……そうだね」
カレンは応じると、嘆息めいた息を吐く。
「確かに彼女と接している間に色々調べたけど、おかしなところはなかったし」
「……調べた?」
「魔力の性質なんかをある程度。確かに兄さんの言う通り、おかしなところは無かった」
……結構シアナは危ない橋を渡っている気がする。そしてきちんと隠し通すシアナの能力に、少なからず驚いた。
もし露見した場合……最悪カレンの記憶をどうにかするという手段もあるのだが、そうしたことをしていたという事実は残る。だから何かのきっかけで記憶が蘇る可能性もあるため、できればやりたくない。
シアナには悪いが、ここは頑張ってもらおう。
「わかった。兄さんの言い分はもっともだし……少しは、警戒を解こうかと思う」
「そうか」
納得しきった顔ではなかったが、カレンの中で一定の結論が出たようだ。
「で、山賊討伐の件だけど……」
「ああ、カレンが兵士を集めないことにはどうにもならないから、任せた」
「うん……で、さすがにシアナさんを連れていくことはできないし、明日は一人で行動しようと思う」
ああ、そうか。だから一定の結論を得るべく俺に相談したというわけか。
「わかった。といってもやることないし、宿の中で一日過ごすことになると思うけど」
「そうだね……あ、そういえば」
と、カレンは思い出したように声を上げた。
「兄さんの読んでいた本は、家に置いてきちゃったんだけど」
「だろうと思っていたよ」
「ちなみに本を買おうと思ってお店を訪ねたら、売り切れで」
「配慮ありがとう。ま、仕方ないさ」
肩をすくめ答える俺。カレンはなんだか申し訳なさそうな顔をしつつ、最後に言った。
「できるだけ早く話をつけてくるから……兄さん、明日は休んでいて」
――と、いうわけで翌日は宿の中で過ごすことになった。
食事の後、宿に置かれていた新聞なんかを手に取って読んでみるが、有益な情報はない。マヴァストのことが載っていないかとか期待していたのだが、新聞上も詳細不明となっている。
「うーん、情報規制されているのか、完全に封鎖されているからか……」
ともあれ、これ以上ここで調べても意味が無いのは間違いなさそうだ。だとすると、他にやれることといえば――
ふいに、ノックの音が聞こえた。カレンは既に出かけている。なら、相手はシアナしかいない。
「どうぞ」
声を掛けると扉がゆっくりと開き、廊下からこちらを覗き見るようにして立つ、シアナの姿が。
「入って」
俺は呼びつつ体面にある椅子を指差す。
「何かあった?」
「いえ……一人でいるのは退屈なので」
そう言うと彼女は椅子に座り……沈黙が生じる。
上目遣いで、俺のことをじっと見る。話すタイミングを窺っているらしい。
……改めて、ということで話しづらいのかもしれない。なら、こちらから水を向けてみるとしよう。
「昨日一人になった時、監視役とリーデスから情報を受け取った」
その言葉で、シアナの目が驚きに変わる。
「あ、リーデスだったんですね」
「……その辺も、訊いていなかったのか?」
「私が出立する時点で監視役をつける予定はありましたが、誰なのかは決めかねていたようなので」
「そうか……で、彼から聞いたよ。俺達が、囮役なんだって?」
訊くと、シアナは申し訳なさそうに首をすくめた。
「……すいません、セディ様の承諾なしに」
「いや、俺は平気だ。で、シアナが尖兵になると表明したんだって?」
「はい」
「思い切ったことをするなぁ」
「……ここで止めないといけない、という思いがあったんです」
トーンを落とし、彼女は語る。それに俺は、首を傾げた。
「大いなる真実が露見する、ということを危惧しているのか? ジクレイトで、敵は足がつかないよう動いているため、そんなことは無いと結論付けたけど」
「はい……けれど逆に言えば、相手が大いなる真実について明かした時は、全てが遅かったということ。それを止めるには、今起きている魔の手を叩き潰すこと。そして」
と、シアナは俺と目を合わせ、はっきりと告げた。
「誰かがおびき出して、相手の正体を掴む必要があると考えました」
「で、その役をシアナがすることにしたと」
俺が告げると彼女は頷く。
「敵がこれに乗ってくれるとは限りませんが……」
「そうだな……ま、もしもの時はどうにかするから」
「お願いします」
にっこりと応じるシアナ。前はこんなことを言えば顔を赤らめていたのだが、平静を保っている。
そこで、俺はカレン達と再会した時のことを思い出した。
「シアナ、今まで聞いていなかったけど、カレン達と再会した時のこと……」
「あ、あれですか」
途端に狼狽える彼女。
「あ、あれはアミリース様よりああしろと言われ……」
やっぱりか。俺は推測通りだったのでそれ以上訊かず、別のことを尋ねる。
「わかったよ。それで、現在カレンと行動を供にしているわけだけど……大丈夫か?」
「はい。一緒にいて楽しいですよ」
「……本当か? 監視されている状況だろう?」
「あんなの監視されている内に入りません」
……どういうことだ?
「そもそも魔王城では、ずーっと厳しい御付きがいて監視同然に過ごしてきましたし、行く所なんかも制限されていました。対するカレンさんは、そう厳しくもありませんし外を歩くこともできる……監視されているという印象は受けていません」
「……そうか」
魔王の妹であるが故に、色々と苦労しているということだろうか。俺としては幸いという感じだが、話を聞いてしまうとなんだか同情っぽい感情も生まれる。
彼女はこう言っているが、何か詫びをしないといけないだろう……といっても、一般女性と比べ立ち位置も価値観も違う……どうするべきか。
「あ、もしかして気にしているんですか?」
するとシアナはこちらの心情を把握してか声を出す。
「私の方は問題ありません。気負う必要は一切ありませんから」
「……そっか」
「それに――」
そこで、口が止まる。ん、何かを言い掛けたが。
「どうした?」
「……いえ、何でもありません」
苦笑する彼女。その表情に俺は首を傾げたが――問うことはしなかった。
「わかった。シアナがそう言うのなら、この話題も終わり」
「はい」
「で、だ……カレンが帰って来るまで暇を持てあますような状況だが、どうする?」
「チェスでもしますか?」
彼女からの提案。対する俺は目線を合わせつつ、腕前を推測しようとする。
魔王の妹な上、魔王城の管理まで任されている身。これは、かなり強いのでは。
「……俺は、そんなに強くないよ」
「私もですよ? 実際、お姉様に勝てたこともほとんどありませんし」
「エーレ……強いのか?」
「はい。アミリース様も中々勝てないと仰っていました」
基準がまったくわからない。そもそも魔王と女神の技量の程なんてわかるはずもない。
「試しにやってみるか」
「はい。それじゃあ用意してきますね」
そう言って彼女は嬉しそうに立ち上がると、チェス盤を取りに外へ出た。宿に一つくらいはあると思うので、程なくして帰って来るだろう。
「……さて」
俺は背もたれに体を預け、天井を見上げる。そしてシアナの口から聞いた、囮の件について思案する。
現状、敵勢力としてわかっていることは、何やら実験をしていること。加えてそれらが魔族に関することだけでなく、天使など神側の技術も所持していること。
敵の正体は一切わからない……これを打開するために、リスクを冒して相手をおびき出す、という手段は有効に思える。それに俺達は二度、相手の実験を破っている。そのことを相手が把握しているとすれば、要警戒とみなし何か手を打ってくるかもしれない。
けど、相手は足がつかないように注意を払っている。実際グランホークの件を含めれば三つの事件に関わり、エーレだって調べている。けど、敵の概要すら把握できていない。
「ただ……さすがにここまで実験を潰したら、反応があってもおかしくないな」
言いながら顔を戻す。さらに言えば、実験により有益な情報が得られる可能性だってある。それにエーレやアミリースの調査が加われば、糸口が見つかり、敵の正体がわかるかもしれない。
「一番まずいのは、マヴァストで行っている実験を、相手が中断し身を隠すことか」
それをやられると、こちらとしては動けなくなる……けど、相手もそれは同様か。ほとぼりが冷めるまで待つとしても、エーレが警戒を怠るはずもない。
「どちらにしても、マヴァストの件は重要になってくるな」
その事件を解決した後、何か変化が起きるのかどうか――
「あ、そういえば」
ふと、俺は一つ気になった。リーデスによると、マヴァストで西側の勇者が動いている。西側。
「西……あっちの方に何かあるのか?」
俺も西側の情勢には詳しくない……その辺り、シアナに訊けばわかるだろうか――
「お待たせしました」
そのタイミングで、シアナが帰って来る。
「他にトランプなんかも持ってきました。もしよろしければ使いましょう」
「わかった……あ、気になったことが出てきたから、チェスをやっている間に訊いてもいいか?」
「いいですよ。時間はたっぷりありますからね」
チェス盤を机の上に置き、シアナはにっこりと答えた。