夜警と闇
夜が更け、城を監視するべく目的地に移動し始める。俺は腰に剣を差し、鎧を着こみ、装備を整え目的の場所へ向かう。
横にはカレンの姿。暗がりを進みながら、俺は注意を促した。
「足元気を付けろよ」
「はい」
カレンははっきりと頷いて見せた。
俺達は今、二手に分かれて行動していた。俺とカレン、そしてフィンとミリーの二人組だ。悪魔がどこからやって来るのかわからないので、ひとまず別々の場所で監視しようと決めたのだった。
城は宿のある中心街の北側にある。俺とカレンは西側、フィン達は東側に回りそれぞれ監視を行う手筈だ。
所定の位置へ進む中、カレンは俺に話し始める。
「しかし、ここの王様はあのベリウスを倒して欲しいと言っていたはずです。なのに魔王の味方をするというのが、どうにも解せないですね」
「色々と考え方はあるさ。魔王が王を懐柔したとか、人質を取られているとか」
「操られている、という線は?」
「可能性はゼロじゃないけど、謁見時の態度を見るに、操られている様子は無かった。それにもしそうだったら、俺に疑問を抱かせる顔なんて見せないだろうし」
「それもそうですね」
カレンが納得し――しばらく無言となり、やがて目的地に辿り着いた。
城の周辺は貴族や金持ちの屋敷が並んでいるが、西側へ進むと屋敷というより大きい一軒屋が立ち並ぶ場所がある。その上には眼下を見下ろせる、舗装された道がある。この道を城へ向かって進むと、城の西手に辿り着く。ちなみに反対の東側は、昼間行った高台のある方向だ。
「着きましたね」
「後は待つだけだな」
俺は答え、観察を始める。少女の話ししか手掛かりがない状況なので、何もないかもしれない。根気勝負だなと思いながら、じっと城を見上げる。
さらさらと夜風が流れる。寒くもなく暑くもない、過ごしやすい気候。風は思うが儘に空を泳ぎ、見上げてみれば綺麗な星空。深夜とはいえ、街は治安もいいので散歩するには最適なシチュエーションだ。
「綺麗ですね」
カレンも同じように思っていたらしく、口を開いた。
「ああ、監視と言う名目が無かったら、満喫できるんだけどな」
答えながら、城から目線を外して街を見下ろす。
光源はそれほど多くない。酒場などがある場所だけポツポツと光が見える程度だった。
そこで会話が途切れる。俺は街と城を交互に見つつ、しばし時を過ごす。
「……兄さん」
「何?」
静寂をカレンが破った。横を窺うと、夜空を見上げ何やら考えている様子。
風が髪を揺らし、どことなく気高さと大人びた雰囲気を見せる妹は、ひどく様になっている。
だが次に来た言葉は、この場にそぐわない予想外のものだった。
「隕石落としって魔法がありますよね?」
「……あ、ああ」
唐突な内容に、言葉を詰まらせながら応じた。突然何を話し出すのだろうか。
「あれは魔力によって岩石を呼び出し飛来させる魔法なんですが……こうして夜空を見上げていると、なんだかあれらも落としたくなってきますね」
その言葉に俺は口をつぐんだ。どう返答すればいいのかわからない。
もしかすると、カレンは沈黙が生じたため、適当に話題を振ったのかもしれない。しかしその結果が隕石落としだ。俺はどうすればいいのだろう。
いや、それより「兄さんも落としたくなってきませんか?」などと尋ねられた日には、どうしようもなくなる。
警戒していると、カレンはこちらを向いて口を開いた。
「兄さんも――」
「さあ、監視を続けよう」
最悪のパターンを回避するため声を発し、俺は前に一歩出て城に向き直った。
背後から気配を感じる。口を尖らせているカレンの様子が、ありありとわかる。けれど俺は、話題を逸らすために無心で注視する。城は相変わらず何の変化も見せず、闇の中佇んでいた。
「……ご迷惑でしたか」
やがて背後から暗い声が聞こえた。さすがの俺も無視できず振り返ると、しゅんとなったカレンがいた。
「ああ、いや……不快だったわけじゃないさ」
咄嗟にそう口にしたが、カレンの表情は変わらない。
「すいません」
さらに俺に謝った。複雑な心境になる。
「いや、カレン。別に気を遣わなくていいんだぞ? 兄妹なんだから」
その言葉にカレンはこちらを一瞥した後、俯いた。
血は繋がっていなくても気にし過ぎる性分は似ており、特に俺に関わることに対しては、その性格が色濃く出る。今回は静まり返った雰囲気を打破しようとしたのだろう。
慕ってくれているからこその行動なのは理解できる。こちらとしては有難いのだが、なんだか神経質にも思えてしまう。
そうした性格による行動の結果、俺達にとって良くない間が生じた。カレンは元気を失くし、顔が曇っている。
「カレン」
そんな妹の様子を見て、声を掛けた。カレンはこちらの顔色を見るように視線を送ってくる。俺は苦笑しながら、本心を告げた。
「ありがとう」
礼の言葉は、カレンのきょとんとした瞳で返された。
「隕石落としにはびっくりしたけど、カレンが何をしようとしているかは、はっきりとわかったからさ。ありがとう、気にしなくていいよ」
告げると、カレンははにかむように小さく笑う。俺は心底安堵し、続ける。
「ま、王様のことは過剰反応かもしれないな。心配させてしまった、悪い」
「……兄さんは、大丈夫ですか? ベリウスとの戦いが終わって今度はこの噂です。気を張っているように見えます」
「大丈夫。それに、そんなにやわだったら魔王との戦いなんてしていられないさ」
笑いながら答えると、カレンも笑った。ようやく元気が出たようだ。
「あ、そういえば、朝は悪かったよ」
「朝……街の案内の件ですか。最後逃げだすまでパターンになってしまい、少し悲しいです」
どうやらカレンもパターン化を認識しているらしい。俺は笑みを苦笑に変えつつ提案する。
「次こそは、お願いするよ。ケーキ屋、だっけ? そこにも案内してくれ」
「わかりました……と、言いたい所ですが、どうも閉店してしまったみたいなんです」
「え、そうなのか?」
「評判のケーキ屋さんだったらしいのですが……幹部を討伐した直後から誰もいなくなったみたいで。さすがに今回の話とは無縁だと思いますが……」
聞くと、ふと魔王が住民を操って色々と情報を得ている可能性を考えた。だが、ケーキ屋なんて店を使うとは思えない。やはり考え過ぎかもしれないと、口を開く。
「やっぱり過剰反応だな。今回の話だって決して信憑性が高いわけじゃないから、本腰を入れなくても大丈夫だろうし――」
「兄さん」
そこで、カレンが呼んだ。さっきまでとは異なる鋭い声。俺はすぐに意図を察する。振り向くと、城から何か飛び立つ姿が。
鳥にしては大きすぎる、人間のような形をした存在。
「ビンゴ、ってことか」
俺は呟き歩き出す。その時、カレンが言う。
「私が行き先を予測して案内します」
「え、できるのか?」
「街やこの周辺の地理は、地図を読んである程度把握していますし」
「わかった。頼む」
言うと、カレンが先導し始める。飛び立った存在は城を離れ、街の外へ進路を向けていた。目で追いかけていると、俺達の宿がある場所とは逆方向だ。
方角的には北であり――遥か彼方に魔王の住む城と繋がる異界の入口がある。おそらくそこを目指すのだろう。
「追いきれるかな?」
「大丈夫です」
俺の疑問にカレンは右手をかざした。手首に複雑な紋様が彫られた腕輪がはめられている。
「術で移動します」
告げると、腕輪が淡く緑色に発光した。
「掴め――飛空せし精霊!」
発すると、俺とカレンの体が地面から僅かに浮いた。これは俺が宿から抜け出すときに使ったような、浮遊術の一種。しかしカレンのそれは、俺の術とは比較にならない程強力だ。
少しの間空中で静止した後、一気に動き出す。周囲の景色が凄まじい速度で通り過ぎる。だが俺は立ったままで身じろぎ一つしていない。風も術の障壁によって全て防がれ、髪の毛一つ揺れることは無い。傍から見れば異質に映るかもしれない光景だが、夜ということもあり人目にはついていない。
カレンは上手に術を操作し、道を縫って突き進む。追っている存在は付かず離れずの距離だったが、こちらが曲がりくねった市街地を進んでいるのを考えれば、速度はこちらが上だ。
「そろそろ街を出ます」
「わかった」
俺は頷き、腰の剣を引き抜く。やがて眼前に街の北門が見え――飛び出すように突破した。
昼間は商人や旅人が行き交う活気あふれた街道は、土が固められた道の左右には草花や木々が生えている。
月明かりで見える範囲に人影は見受けられない。つまり、俺達と空を飛ぶ相手の障害は無くなったと断定していい。俺は頭上を見上げる。空を飛ぶ相手は街道に沿って北へ進んでいる。
「よし、俺が仕掛ける――」
「待ってください。私がやります」
言うとカレンは突如術を解除した。足が地面に着いた時、カレンは腕を振って空を飛ぶ相手に向け腕輪をかざす。
「何をする気だ?」
「手っ取り早い方法です」
返答したカレンに対し、俺は嫌な予感を覚える。敵は空を飛ぶ――まさか。
「降れ――断罪の雨!」
声と共に魔法が発動し、夜空が僅かに瞬いた――まさかと思った通り、空を切り裂くように、飛ぶ相手に何かが飛来してくる。
「隕石……?」
「かなり小規模ですが」
カレンがあっさりと言う。
小規模、らしいのだが、飛来してくる隕石は数十ありそうだった。こちらが唖然とする中、カレンは再度浮遊術を使用し堕天使へ接近する。
「……あれは」
そこでようやく、俺は月明かりに照らされた相手をしかと見た。
黒い翼を背中に生やした、長い黒髪を持つ天使のような存在。武装しているらしく、漆黒の鎧や小手、具足を身に着けている。さらに外見は、女性のようだ。
相手は隕石の襲来を受け、障壁を生み出し防ぎ始めた。その隙にさらに近づき、カレンは術を解く。
「術が終わるまでお待ちください」
カレンが言うと――前方に続く街道に、隕石が突き刺さった。衝撃はそれほど大きくないが、断続的に隕石群は、綺麗に舗装された街道をどんどん抉っていく。
「これは、いくらなんでもやり過ぎじゃないか?」
「逃げる堕天使を足止めするにはこうした方法しかありませんでしたし……それと、相手は傷を負っていないようですよ」
カレンの言葉に俺は再度上を見た。術が終了し静寂が周囲を包む。そして、空を飛ぶ相手――堕天使は無傷のままこちらを見下ろしていた。
「ずいぶんな、挨拶ね!」
明るめの女性の声が聞こえてくる。俺は剣を構え、カレンは腕をかざした。
臨戦態勢と受け取った相手は、空中で小さく肩をすくめる。
「ま、見られた以上ただで返すわけにはいかないけど」
直後、堕天使の姿がかき消えた。
短距離の空間転移――俺は判断し、右に跳んだ。カレンも同じタイミングで左へ動くと、立っていた場所に突如堕天使が現れる。
「へえ、このくらいの反応はできるのね」
感心するように堕天使が呟く。俺達は相手を挟み込むように立ち、じっと出方を窺う。
装備から動きにくそうに見えるのだが、堕天使が動いても鎧はかちゃりとも音がしない。そういえば以前戦ったベリウスも音を発しなかった。おそらく鎧や小手は体の一部なのだろう。
堕天使は俺を見ながら口の端に笑みを浮かべていた。見つけてくれたことに感謝しているようにも思える。もしかすると退屈で、暇を潰す相手が出現し喜んでいるのかもしれない。
「私を見つけたのは偶然かな? 転移はしていないから魔力を探知できたわけでもないでしょうに……いや、目を見るに、たまたまというわけでもなさそうだね」
あくまで余裕を滲ませ堕天使は話す。そこで俺は相手に問い質した。
「城に何の用で入り込んだ?」
「さあ? 隕石降らすくらいの力量なら、私を懲らしめて訊いてみれば?」
挑発するような言動。俺は頷くとカレンに目配せをする。堕天使はそれに気付いたか、笑いながら口を開いた。
「戦う? いいわよ、私は別に――」
言葉を遮るように、俺は剣を放つ。その一撃を堕天使は片手で弾く。キィン、という乾いた金属音が響いた瞬間、相手は顔をしかめた。
「何……?」
呟き、訝しげにこちらを見た。
堕天使が剣を弾いたのは右手――刃が跳ねた場所からは、赤い血が僅かに流れていた。
「傷をつけられたのは、初めてか?」
俺が言うと堕天使は微かに警戒を示し、すぐに視界から消えた。
またも転移の術。俺は瞬時に気配を探り、見つけた。隕石が貫いた街道の中心に、相手が立っている。
「兄さん、転移が厄介なので封じます」
「わかった」
カレンの言葉に了承する。一方の堕天使は、俺に意識を向けていた。どうやら傷をつけられる剣を気にしているようだ。
俺は堕天使へ駆ける。同時に、カレンの声が聞こえてきた。
「来たれ――煉獄の聖炎!」
瞬間、金色の炎が生まれる。それは堕天使を目標とはせず、俺達が立っている場所を円形に包み始める。
そこで堕天使は、炎を見て瞠目した。
「嘘――! 単なる魔法具で上級天使が操る炎を使うなんて――!」
俺は声を聞きながら容赦なく剣を振るった。
攻撃を堕天使は身を捻って避け、距離を取る。その動きは氷上を滑るような、鮮やかなもの。しかし転移の術は使わない。それもそのはずで、この金色の炎は囲うように形成すると、内側において空間系の魔法を封じ込める作用がある。
「魔法具でこんな術が使える人間を、見たことがないのか? じゃあ、俺達が最初だな」
距離を取り目を見張る堕天使に対し、俺は冷淡に告げた。
――無論のこと、金色の炎は魔法具によって生み出されたものだ。しかし魔法具があれば誰でも自由に使えるわけではない。
そもそも魔法具は使用者に眠る魔力を高める物と、通常では使えない強力な魔法や技を行使する物がある。俺のはめる赤い石の指輪や剣は前者で、魔力を引き出す訓練によって、力を込めれば使える。カレンがこの炎を使う魔法具や、俺の青い石の指輪は後者に入り、力を込め、なおかつ放つための言葉を発すれば魔法を使える。
その中で、俺の握る剣は増幅能力の究極系に入る。俺の持つ魔力と装備の力を全て取り込み、力に比例して驚異的な力を与える――それがベリウスを破る力となった。反面、カレンの魔法具は強力な魔法を使う究極系である。その一つが、聖炎だ。
とはいえこうした魔法具の中でも、堕天使が語ったように神や天使の使う魔法は道具ありでも人間に使用は厳しい。それこそ、カレンのような天才的な力量を持っていない限りは。
堕天使は炎と俺の握る剣を見た。そして一つの結論に達したようで――顔色を変える。
「まさか、ベリウス様を破った――」
「ああ、そうだ。俺達だ」
答えると、堕天使は即座に顔を引き締めた。本気で相対すべきと判断した様子。俺は剣を握り無言で堕天使を見据える。
魔王腹心を倒したが、眼前にいる相手も魔王の眷属の中では上位だろう。決して油断はできない――だが同時に、緊張を交えながらもある確信を抱いていた。
ベリウスを破った最後の力。あの感覚が体の中に残っているらしく、不思議な高揚感がある。もしかするとあの力が使えるのでは――思った時、相手に向け走り出す。
「――はああっ!」
掛け声と共に剣に力を込める――と、大きな力が剣に収束する。暴風のように荒れ狂うそれに、堕天使も恐怖の顔を見せた。
「くっ!」
明らかな動揺と共に、堕天使はすぐさま後方へ飛びずさる。背後にはカレンが生み出した金色の炎――堕天使は、それを無視するように飛び込んだ。
「――っあ!」
短い悲鳴――その後堕天使は炎の渦を脱したようで、突如気配が消えた。金色の炎の外で転移したのだ。俺の力を見て、退却を判断したようだ。
「逃げられましたね」
近くにいたカレンが呟くと、術を解いた。炎が消え、再び夜の帳が生じる。俺は何も言わず剣を収めた。
「おーい」
その時、街方向から声がした。見るとこちらに駆け寄ってくるフィンとミリー。俺は手を振り二人に応じる。
やがて近づいてくると、まずフィンが口を開いた。
「大丈夫か? 聖炎まで出すなんてそんなに強い相手だったのか?」
「転移術を使う堕天使だったんだ」
俺が答えると、フィンは首を傾げる。
「転移? そんなの使えるんだったら、何で城から飛んで出ていくんだ?」
「転移の術は魔力を捕捉できるから、警戒したんだよ。あの町には俺達以外に勇者や賢者と呼ばれる人が結構いるし、城にも精鋭がいるからね」
「ああ、なるほどな」
フィンは納得したように呟く。対するミリーは、街道を見て呆れ果てていた。
「ずいぶん派手にやったわね。街道が穴ぼこじゃない」
最初の隕石落としが原因だ。ちなみに聖炎は特殊な炎であるため、基本物が焼け焦げたりはしない。
俺はクレーターのできた街道に目をやる。これを直すとなるとかなり大変だろう。加えて修理費用など請求されても払えるわけが無い――なのであえて触れずに、堕天使に関する話題を口にする。
「堕天使は聖炎を無理やり突破して逃げたから、しばらく再起不能だろうな」
「結局、何もわかりませんでしたね」
カレンがため息混じりに告げる。確かに目的がわからずじまい。しかし、今回は少女の言っていたことが真実だった――それで十分な収穫だろう。
「じゃあ、一旦宿に戻ろう。明日改めてどうしようか決めればいい」
「あいよ」
「わかりました」
「そうね」
俺の提案に仲間達は同意し、街へ歩き出す。そして足を動かしながら夜空を眺めた。相変わらず星々の光が夜の闇を添えていた。