魔王の理想
部屋に戻って何気なく外を眺めていると、ノックの音がした。返事をするとエーレが現われ……その手にはトレイが。
「ファールンとかいないのか?」
「まあたまにはいいだろう……というより、かなり突っ込んだ話をするつもりだからな。できることなら誰にも部屋に入らせたくなかった」
……どういう話をするのか。少しばかり緊張していると表情からエーレはそれを感じ取ったか、
「そう肩に力を入れなくてもいい……セディに何かを尋ねるつもりはないからな」
「エーレについてってことか?」
「そうだ……まあ、なんというか、私自身どう考えているのか、セディくらいには話してもいいだろうと思ったわけだ」
「……なぜ、俺なんだ?」
疑問にエーレは微笑を浮かべながらテラスへ。そこに置いてあるテーブルへトレイを置き、
「誰に話せばいいのか……選択肢としてはセディかシアナかディクスか……その辺りだろうか。あるいは母上でもいい。しかし、これについては……そうだな、私と同じ立場にいる者に伝えたかった」
「同じ立場……」
「セディはそう思っていないかもしれない。だが、私や主神は管理の世界……大いなる真実について真正面から向き合っている者……それがセディだと認識している。シアナやディクスは……あくまで私の補佐という立場だ。よって、話をするには少し足りないと感じた」
「理由はわかったけど……」
弟子入りを表明したわけだが、エーレは俺を対等な立場として認識している。それを考慮すれば話を向けてくるのは自然なのかもしれない。
俺は椅子に座り、ポットに手を伸ばそうとする。けれどエーレがそれを手で制し、彼女がお茶をカップへ注いだ。
「……さて、セディ。内容についてだが……勇者ラダンのことだ」
「ラダンが、どうした?」
「私はラダン本人に出会ったこともないが……『原初の力』について、手に入れようと画策していることを考えれば、少なくとも今の秩序を壊そうとしているのはわかる。紛れもなく、私達にとって敵だ」
「ああ、そうだな」
「セディと意見が衝突し、あなたは戻ってきてくれた……セディはあくまで今の世界を良くしようと考えた。勇者ラダンは……この世界を根底から変えようとしている」
「一度に変革をもたらすなんて、幻想だよ」
俺の言葉にエーレは「なるほど」と短く答え、
「セディは……私と戦って勝利し、場合によっては同じようなことができたわけだ。けれど、それをしなかった」
「自信がなかったこともあるよ。世界を変える時に確固たる考えがあれば、勇者ラダンのようにしていた可能性だってある……主神にも言ったけど、それは運だ。ラダンは俺とは異なる形で大いなる真実を知り、世界に反逆した。けれど俺は情報の手に入れ方が良かった。だからこそ、今こうして魔王城にいる」
「そうだな……だがな、セディ。この世界を管理すればするほど……考えが巡ってくる。この世界を良いものとするためには、根底から変えなければならないのではないか、と」
エーレは俺のことを見た。真っ直ぐ射抜かれた視線の先に、支配者としての苦悩が確かに存在していた。
「魔王も、主神も自分の世界を管理するだけで精一杯だ。今もこうして私達は魔王城にいるわけだが、この間にも戦乱が生じ、魔物が跋扈し、罪もない人間が犠牲になる……勇者ラダンは、魔物と戦ってきた。小説になるくらいだからな……そうした悲劇も多く見てきただろう」
「だから『原初の力』を手に入れようと考えた?」
「そうだな……そして私も、そんな力を得たらどうしようかと思い描いた。どうすれば、その力を手に入れることができるのか……気付けばそんな空想を抱いたことが幾度もある」
そこで、エーレは自嘲的に笑った。
「勇者ラダンの所業を否定し、戦うというのにこの体たらくだ……アミリース達が聞けば、失望するだろうな」
「いや、そうはならないんじゃないかな……というよりたぶん、エーレと同じ事を思ったかもしれない」
エーレはキョトンとした瞳を見せる。次いで、
「あるいは……もしかすると、エーレがそんなことを考えてしまったなんて、お見通しかもしれないぞ」
「そ、そうか……?」
「かもしれない、という話だけど……エーレの言いたいことはわかるよ。絶対的な力……それを手に入れることができればなんて、人間だって空想する。力を手に入れたら魔物を倒し、魔族を倒し、魔王を倒す……エーレの言っていることはそれと一緒だ。アミリースだって、デュガだって……きっと、支配者だからこそ、それを利用できないか考えを巡らせたと思う」
「……構わないと、言いたいのか?」
「別に空想するくらいならいいんじゃないか? まあ確かに、そうした力が実在するというのなら、不謹慎だって思うかもしれないが……エーレ、一つ俺から『原初の力』について言いたいことがある」
「ああ」
俺は勇者ラダンのことを思い返す。力が目の前にある。俺が協力すれば手に入る。だからこそ彼は俺を勧誘した。けれど、
「……確かに、エーレが空想したような世界を築けるだけの力が、この世界には存在する。たった一人の存在が、世界を自由に改変することができる……でもな、エーレ。例えどれだけ大きい力が存在しようとも……思い通りになるなんてものは、ただの幻想だ。この世には残酷な現実が横たわっている……それは莫大な力を得ようが何一つ変わらない。例え改変しても、また別の悲劇が生まれるだけだ」
エーレは、俺の言葉を黙って聞き続ける。
「力を手に入れることが全て解決できるなんて、それこそ夢物語でしかないんだ……支配者であろうとも、一個の存在だ。全能のように立ち回ることはできるけれど、感情があり、思考ができる……それこそ、完全に意志をなくし管理に徹すれば、未来を紡げるかもしれないけど……そんな誰かの手によって世界が運営されるなんて、まっぴらご免じゃないか?」
「……ああ、そうだな」
エーレは笑う。それはきっと、自分の考えていたことが馬鹿げたものだと、理解したためだ。