舌戦と魔族の儀
ひとまずシアナのことは棚上げにして、目前にあるグランホークの件を考える。
戦闘時に何かしら取り入るきっかけを得るのは無理だったので、相手が接触してくるのを待つしかないのだろうか。
いや、さすがに彼から干渉してはこないだろう。グランホークから見れば俺はあくまで実験体。話し掛けてくるとすればリーデスやシアナ。しかし、この両者が動いても満足な成果を得られるとは思えない。
ならば、俺がどうにか動くしかない――そう結論を導き、城の中を歩いていた。
「しかし、どうやって……?」
問題は、クーデタの件をどうやって自然に、怪しまれないよう引き出すか。
それさえできれば後は流れとなる気がする。最初が一番の難関。それさえ超えられれば。
「……しっかし、物騒な話になって来たな」
さらに呟く。最初は幹部候補生の見定めだったはずが、いきなり反逆者の調査となってしまった。やっていることが真逆だ。
もしかして、こういうケースがこれから多々出てくるのだろうか。いや、魔族は自由奔放であるという前提ならば、こういうケースが多いのかもしれない。だからこそ相当な調査を得て、大いなる真実を伝えるのかもしれない。
「厄介だな……」
予想とは全く異なる方向に突き進む現実――なのだが、よくよく考えれば大いなる真実を知って以後、ずっとこんな感じだと思った。ああ、そうか。
「そういうものか」
と断じた時、廊下正面に人影。
侍女か何かと思ったのだが、次の瞬間グランホークだと認識し、足が止まった。
「……ん?」
彼の顔が、こちらに向けられる。目が合い、俺は覚悟を決め移動を再開する。
「……どうも、グランホーク様」
「ああ」
微笑み混じりに、彼は応じる。
「今は一人か?」
「はい。シアナ様のご命令により、散策して来いと」
とりあえずそう言っておけば問題ないだろう――俺の答えにグランホークは「生真面目だな」と答えた。
「散策、というのはもう少し楽しんでやるものだぞ?」
「そうですね」
同意しつつも、俺は緊張を滲ませ言った。
これはチャンスだ。どうにか、件の話をできる状況を――
「シアナ様から詳細は窺っているが……」
考える間に、グランホークから言葉が来た。
「勇者としての、記憶はあるのだろう?」
「……ええ」
「どういう気持ちなのだ?」
それはきっと、純然たる問い掛けなのかもしれない――あるいは、実験というものがどういう効果を及ぼしているのか確かめたかったのかもしれない。
「記憶があるということは、勇者としての役目もあるはずだ。それにも関わらず、陛下に従っているというのは、どういう心持ちなのだ?」
「……上塗り、でしょうか」
俺は彼の疑問に、間を空けて答えた。
「使命感を超える……陛下に尽くすという行為。それこそ最上だと認識している次第です」
「ふむ……どうにも複雑だな」
彼はどこか釈然としないまま言った。
その感想は理解できる。俺ももし本当に魔族化し、勇者としての記憶を持った状態で魔王に忠誠を誓っているので、きっと混乱するはず――
「……無論、実験体なのでこういう処置なのでしょう」
答えながら――閃いた。
「こういう処置……というのは?」
グランホークが問う。俺は頭の中を必死に整理しつつ、口を開く。
「実験されたという自覚もあるわけです。私は魔族化していく過程でシアナ様と陛下の話を耳にしていたのですが、記憶を重要視していたようです」
「記憶?」
「やろうと思えば私の記憶を全て消し、勇者としての素質だけを利用できた。だがそれをせず記憶を残すという中途半端なやり方にしたのは……記憶の中にある経験が、勇者として重要だと考えたのかもしれません」
「ほう……なるほど。しかしそれを君が言うのは、ずいぶん違和感があるな」
「確かに、実験されている人間が冷静に解説するのはおかしな図式ですね……と、もう一つ」
俺は言いながら、右人差し指をピッと立てた。
「もしかすると、魔王を打倒するという気持ちを持たせたままなのも、そういう理由なのかもしれません」
「……ほう」
グランホークは目を細めた。俺を僅かに警戒する所作。
「上塗りされたとはいえ、気持ちはある……陛下に対し反逆の意志が?」
「そうは言ってません……が、そういう面もあって、あなたと今会話をしている部分もあります」
「どういうことだ?」
グランホークが尋ねる。俺は口の端に笑みを浮かべ――無論演技だが――彼に言った。
「興味本位でお尋ねします……陛下にクーデタとは、どういう了見ですか?」
その言葉によって――グランホークの顔にヒビが入る。
「何……?」
「なぜ知っているのか……でしょう? 簡単です。俺が、かのサルファンの幹部を破った勇者だからです」
勇者としての記憶がある――そこを利用した口上だった。
「かの幹部は資料を全て処分できなかったようですね。偶然目に留まってしまったんですよ。クーデタに関する文書……あなたの名前が入っている資料を。記憶があるため、その名前も憶えていたというだけです」
「……なるほど、な」
グランホークは意味深な笑みを浮かべた。それはどこか、狂気を感じさせるもの。
「それで、この事実を知りお前は何が言いたい?」
やや攻撃的な口調となる。俺は即座に、両手を相手に向け制止する。
「落ち着いてください。戦う意思はありませんし、シアナ様他、誰にも喋りませんよ」
「……お前が記憶しているということは、その一切が全て伝わっているのではないのか?」
「記憶が抜き取られるような真似は、されていません。それに考えてみてください。もし俺が事実を告げていたなら、あなたの目の前にはシアナ様ではなく、陛下が立っているはずです。さらに言えば、こんな穏便なやり方で城には来ない」
「確かに、そうだな」
グランホークの気配が若干和らぐ。だが警戒の色は完全に消えない。
「しかし、お前の口先で伝わる可能性がある……何がしたいのだ? お前は」
「興味本位だと言ったでしょう? 魔族化して、色々と性格に変化が起きたんですよ」
「趣味がずいぶん悪くなったな」
「まったくです」
すかさず同意。
無論、自分はこんな性格じゃないが、仕方ない。演技するしかない。
「まあいい……そこまで理解しているのならば、誤魔化せないな」
「話して頂けるのですか?」
「何が知りたい?」
「あのクーデタの文書が、まだ生きているのかについて」
俺は斜に構え尋ねる。一方のグランホークは顔をしかめ、こちらを注視する。
「私はあくまで実験体です。答えによって身の振り方を考えますが……自分の口から話をするつもりはありませんよ」
「そうか。だが話すのは無理だな。私の立場を危うくする」
「危うくする、とは?」
訊いてみる。しかし彼は無言。肯定とも否定ともつかない雰囲気。
「……はあ、仕方がありませんね」
俺はさも残念そうにため息をつき、さらに続ける。
「もしあなたがクーデタを画策しているというなら、少しばかり協力しようと思っていたのですが」
「……何?」
「言ったでしょう? 勇者としての役割も記憶に残っていると。シアナ様や陛下がどう考えているかわかりませんが……俺の心の中にはその部分が燻っています。何かきっかけがあれば、上塗りされた部分が剥がれてしまうのではないか、というくらいには」
俺が言う――ただこれで相手が話すかどうかは、賭けだった。乗って来るかどうかで、さらに続ける必要がある。
グランホークは俺を無言で見据える。こちらの言葉を図りかねているようだ。
「お前は、どちらとも取れる立ち位置にいるな」
ふいに、彼はそう告げた。俺は眉をひそめ、聞き返す。
「どちらとも?」
「例えば私が裏切っていたとしたら、お前は嬉々として協力する。もしそうでないのならば、勇者としての意志を持ちながら……陛下に舌を出しながら行動し続ける」
それが気に入らないとでも言うような口調。
「曖昧な態度は癪に障る。悪いが、どちらを取ってもいいという見解の奴に、何かを話すことはできない」
「そう、ですか」
俺は引き下がった。
これ以上深追いするのは怪しまれるかもしれない――とはいえ、最後の抵抗と言わんばかりに声を上げる。
「なら、どうすれば信用してくれます?」
「信用、か」
グランホークが笑みを浮かべた。深い、嘲笑のような笑み。
「例えばお前の退路がなくなれば話してもいいだろう」
「退路?」
「仮にシアナ様の私物でも盗って来れれば、信用してやろう……できるはずもないが」
そう言うと、グランホークは身を翻した。
「言っておくが、今のは全て例え話だ。過去にそうした経緯はあったが、今は陛下に忠誠を誓っている。勘違いしないでもらおう」
「そうですか。なら俺も話しませんよ」
首をすくめ答えた時、彼は姿を消した。
「……ふむ」
いなくなって、口元に手をやり思考する。どちらとも取れる態度だった。
「さすがに言葉だけで説き伏せるのは、無理だったか」
言いながらも、突破口はできた。最後の言葉――シアナの私物でも盗ってくれば。
「たいしたことじゃないように思えるけど……魔族にとってみれば、重要なことなんだろうな」
またも人間と魔族の価値観の違い――思いながら、俺はシアナの部屋に向かった。
『なるほど、早速無茶をしたな』
エーレの声。俺はその言葉に苦笑する。
場所はシアナの部屋。俺とシアナとリーデスの三人でエーレと会話を始め、事情を伝えるとそう返答が来た。
『というか、セディ。下手をすると命を狙われるぞ? フリだと言っても反逆の意志を示したことが伝われば、幹部も反応する可能性がある』
「大いなる真実にまつわる試験だと言えばいいじゃないか……シロだった時は」
『それはそうだが……まあいい。過ぎたことは仕方ない』
どこかあきらめた様子でエーレが言う。やっぱり深追いしすぎたのだろうか。
『だが一つ取り入る方法は見つかったな。シアナの私物か』
「俺はイマイチ理解できないけど……重要なことなのか?」
『ああ』
エーレは当然とばかりに頷いた。
『魔族は絶対的な縦社会だ。もし上位の魔族から何かを盗み出せば、反逆したものとみなされる……というか、露見した瞬間滅せられてもおかしくない』
「そうなのか。となると実行するのもまずいのか」
『いや、抜け道が一つだけある』
エーレは腕を組み答えた。
抜け道――それを使えば良さそうだが、なぜか彼女は不服そうだった。
「その表情、何かあるのか?」
『いや……この状況下で既成事実を作り出すのは、如何なものかと』
「は?」
わけがわからず聞き返す。
ついでにリーデスとシアナに目を移す。リーデスは半ば苦笑。そしてシアナは視線を泳がせていた。
どうにも不穏な空気。俺は再びエーレを見て尋ねる。
「何か大変なことなのか?」
『大変……そうだな。確かに』
「内容、聞かせてもらってもいいか?」
『ああ。抜け道と言うのは『親愛の儀』というものだ。わかりやすく言うと、第三者が立ち会う状況で持っている物を交換し合うことを指す』
――口上から、嫌な予感がする。
『魔族は縦社会だが恋愛結婚は普通にある。これはその場合に使われることが多い手法だ。身分違いの魔族がそれを執り行うことによって、両者には友人以上の関係が生まれたと周知させる効果がある』
「友人以上?」
『そうだ。儀を行うことで、身分の違いを排する意味合いがある……そして基本的に、これは男女間で行われる……ただ、別に婚約をするわけではない。人間の言葉で言い表すと、双方に特別な感情が生まれ、それを世間に広める、という感じだな』
ニュアンスはわかりにくいが――エーレ達がなぜ難しい表情をしているのかはわかった。
「ああ、そうか……それで既成事実か」
俺は口に出す。親愛の儀――相手がシアナとすると……彼女の心情と相まって、厄介だ。
考えている間も、エーレは俺に向かって話を続ける。
『正直、一日二日でそこまで持ち込むのもな……』
「対外的に?」
『そうだ。例え大いなる真実を知る幹部だとしても……セディがこんな短期間に私達の家系と強く結びついたとあらば、非難が出る恐れもある』
軋轢が生まれるかもしれない――だとすると、やめておいたほうがいいかもしれない。
そう思ったのだが、エーレからは予想外の言葉が漏れた。
『しかし、今回の事態では……特例とみなされる可能性も十二分にある。だからこそ、判断に迷う』
「特例?」
『グランホークの裏切り……ここまでなら単独の謀反なので彼を罰すれば終わりだ。しかしブディアスという、私に対し反抗心を抱いていた幹部と繋がっていた……以前も推測した通り、協力者の存在も考えられる。それは間違いなく、他の魔族だろう』
「そいつらを野放しにするよりは、という話だな?」
『そうだ』
エーレは言いながらも、納得しきっていない様子。
『しかしだな……あなたとシアナの儀か……』
なんだかすごく悩んでいる。いや、内容からすると当然なのかもしれないが。
「お、お、お姉様……」
そして、ここにも戸惑う者が。
「あ、あの……い、いきなり親愛の儀というのは……」
『それはそうなのだが……どちらを取るか、悩みどころだ』
俺としては管理を優先すべきだと思うのだが、黙った。ここで横槍を入れると、何を言われるかわかったものではない。
「陛下」
そこで、沈黙を守っていたリーデスが声を上げる。
「一つ、私なりの解釈を」
『ん、何だ?』
「性急であると理解はできます……しかし、こうした緊急事態に遭遇した以上、策でこのような形としたとあらば、ひとまず納得するでしょう」
『それはわかるのだが……』
「加え、シアナ様とセディは話し合いをされました」
と、いきなりとんでもないことを言い出した。ちょ、ちょっと待て!
「しかし双方出会ってまだ数日……加えてセディも仕事に慣れていない状況……ひとまず結論を出さないということになりました」
『……ほう?』
エーレが呟く。なんだか俺を見る視線が怖い。
『しかし陛下は納得しないでしょう。もしかするとセディは、シアナ様の御心を弄ぶ可能性も……』
「おい、リーデス」
たまらず声を上げた――が、エーレの眼光が口を止めた。
「そして、私は知っております……セディは性格上、こうした決断で迷ってしまうようです」
なんだか雲行きが怪しい。いや、このまま話されると間違いなく豪雨が来る。
「優柔不断、と切って捨てるには事情が複雑に絡んでいますが……安寧としていれば、結果的にシアナ様の御心を傷つける可能性もあります」
『……なるほど、一理あるな』
同意の言葉をエーレが告げる。
俺は反論しようとして――やはり眼光が怖くて、口を閉ざす。
ふと横を見ると、慌てた様子のシアナ。俺とエーレの顔を交互に見やり、口をパクパクさせている。
だがこんな状況下で、リーデスは淡々と話す。
「そこで私は一つ進言をいたします……こうした関係に陥った以上、セディに何かしら結論を出して頂く処置を取った方が良いと。それこそ、未来の行く先を決めるのに一番かと」
『つまり、結論を出させるためこの場で儀を行って、セディを繋ぎ止めておくと。そういうことか?』
「はい……それともう一つ」
さらにリーデスは言う。おい、まだあるのか?
「セディはシアナ様の心情を知り、嬉しいと語っていました」
お、おい――リーデス!
叫ぼうとしたが、エーレの眼が鋭く光る。
「こう語っている以上、セディ自身シアナ様を大切になさるでしょう。こうした態度を知れば、計略後の関係も幹部達は認める……むしろ、そうした感情があるため、嬉々として賛同すること間違いなしです」
賛同――俺は親愛の儀に関する価値の一端を理解する。
俺がシアナを多少なりとも想っていて、なおかつシアナが――その状況ならば、計略であっても認め合っている以上、幹部も納得するというのは確定らしい。
考えながらふと、リーデスを見る。彼は笑みを伴いながら喋っている。俺はここに至りはっきりと理解した。こいつは、間違いない――確実に面白がって提案をしている。
なんとなく、以前の仲間でカレンを茶化していた幼馴染のミリーを思い出す。リーデスは紛れもなく彼女と同じだ。しかも、かなり性質が悪い。
「不本意でしょうし……どのような結末を迎えるのかわかりません。しかし、エーレ様もご理解されているはず。結論を出さずズルズルと関係を続けることこそが、最もシアナ様を不幸にすると」
『確かに……そうだな』
「加えてセディは優柔不断……の、性格もありますが、何よりこうして任務を行う身。通常ならば考える余裕などありません。しかし儀を行っておけば、彼も思案はするでしょう。それによる結果は……今の所見えませんが」
なんだか一方的に話を進められている。俺は色々言いたかった。しかし逐一エーレの眼光によって口を縫いとめられる。これは駄目だ、喋るのがたまらなく怖い。
横のシアナを窺う。彼女は当事者だというのになんだか蚊帳の外で――顔が赤く、なおかつなんだか青い。ものすごく複雑な表情。
「セ、セディ様……」
やがて、彼女が声を発する。
それをきっかけとしてかわからないが――エーレが声を出した。
『わかった。いいだろう。それに、この事件を追う必要もあるからな』
「お、おいおい……」
俺は意見をしようとした。けれどエーレは笑顔によって、こちらの言葉を封殺した。
『状況を鑑みた結果だ。言っておくが、リーデスの進言だけを受けた考えではない』
「けれど、結論を出すためには良いだろう?」
リーデスが問う。その笑みは完全に面白がっているものだ。先ほどの推測が、正解だと確信する。
『そうと決まればさっさとやろう。セディ、何を出す?』
「え、っと……」
尋ねられ、どうすれべきなのか迷う。
そもそも親愛の儀というのもイマイチわかっていないので、どういう物ならいいのかもわからない。
『あなたは結構装飾品を身に着けているだろう? そのどれかでいい』
「……わかった」
彼女の言葉に対し、俺は両腕にある指輪やブレスレットを見た。
両腕の腕輪は双方とも以前の仲間達の借り物だ。となると考えられるのは両中指の指輪。この中で左の青い石の指輪は防御に使うため却下だ。つまり、消去法で――
「これかな」
右中指の、赤い石の指輪を外した。
「女神の魔法具で、増幅機能がある……魔法の力で大きさは変えられるし、身に着けることも可能だよ」
『ふむ、よさそうだな。で、シアナ。そちらはどうする?』
「え、あ……」
呆然となって彼女は答えた。ゆでだこのように顔が赤くなっている。
「あ、あ、あの……お姉様」
『シアナ、計略のためだ。無論未来を慮っての意味もあるが、管理の障害である事件を解決するためにはこれしかない』
エーレが断じる――のだが、そうは見えない。無理矢理それを理由にしているよう。
というか俺に視線を送り『シアナを不幸にさせるなよ?』という声が聞こえてきそうだった。
きっと本心は、シアナを想ってのことなのだろう。
「……一応、言っておくけど」
そんな状況下で、リーデスが補足する。
「親愛の儀は、解消することもできる。ただこれも第三者が立ち会い、きちんと正式な形に則る必要があるけど」
「……そうなのか」
「君が何かしら明確な結論を取ったのなら、そうすればいい」
言われたのだが、エーレの視線はやはり怖い。これ、拒否権ないだろ。
『……で、シアナ。決めたか?』
けれどそこには触れず、エーレはシアナに尋ねる。
「……これ、なら」
シアナは間を置いて、か細い声で言うと、右の人差し指から漆黒の指輪を抜き取った。
「私が造った増幅器です……あ、こちらも魔力を込めれば輪の大きさを変えることができるので、どなたでも身に着けることは可能です」
『ああ、それならよさそうだな』
エーレが同意する。うん、増幅器ならば問題ないのだが――指輪同士交換というのは、色々誤解を生みそうな気もする――が、まあ言わないでおこう。
『では、やろうか』
あっさりと言うエーレに、俺は流されるまま従う。リーデスに手で示されてエーレのいる空間を横向きに立つ。
その正面に頬を染めたままのシアナ――って、モロに結婚式みたいなんだが。
『計略のためとはいえ、本気でやるぞ』
エーレは言うと、軽く咳払いをした。
『……えー、本日魔王エーレの立ち会いの下、親愛の儀を執り行う。双方は上下という関係を排し、今ここに新たな関係を結ぶこと誓い、未来永劫この縁が続けて欲しいと願う』
――なんだか口上だけ聞いていると、本当に結婚式でもしている気がするのだが。
『では、双方誓約の品を』
エーレが言うと、シアナは両手でおずおずと指輪を差し出す。
俺は正しいかどうかわからなかったが軽く礼をして、指輪を受け取る。そして俺の持つ赤い石の指輪を、シアナに渡した。
『これで双方の間で誓いが成された。二人の間に、幸あらんことを――』
と、エーレは言うと小さく頷いた。終わりだという合図だろう。
直後シアナは恥ずかしさのためか、もらった指輪を握り締めつつ俺と距離を取った。
「……で、これはどうすればいい?」
俺は渡された漆黒の指輪を眺めつつ、エーレに問う。
『交換した物は、基本自由にしていい。あなたの所有物だ』
そうエーレから返ってきた。ならば――俺は思いついて声を発する。
「なら、このままグランホークの所に行くぞ」
『ああ……ただ、危ないとわかったら引き返せ。力量的にはあなたの方が上だが、隠し玉がないとも限らない……それと、あなたが交換した指輪はシアナに着けさせる。無論、漆黒の指輪に擬態させてな。グランホークに盗んだと言った際、そう説明すればいいだろう』
「怪しまれないようだな……わかった」
指輪を握りしめながら答えた。
周囲を見るとリーデスも表情を戻し、俺を気遣う顔を向けている。
「もし何かあれば、連絡を頼むよ」
「わかった」
「気を、つけてくださいね……」
シアナの声。彼女に振り向くと、俺を心配そうに見つめる姿。
「ああ、もちろん」
笑みを浮かべ俺は歩き出す。
その途中シアナから何か吐息らしきものが漏れたのを耳にしたが――あえて無視した。
『……こういう所が、シアナを陥落させたのか』
なんか聞こえた。けれど、黙ったまま廊下に出る。
「……さて」
問題がやたら増えた気がするのだが――まあいい。とりあえずグランホークの所に向かおう。
廊下をゆっくりと進み出す。時間は――気付けば夕刻近くになっていた。