魔界への帰還
そして俺達は魔界へと舞い戻る。アイナは神界へと戻り、ようやく修行と称された首謀者との戦いは、終わりを迎えた。
「さて、どうなるんだろうな」
「わかりません」
首を振るファールン。目の前には、ルナの家。俺達は森の中、茂みに隠れ家の様子を窺っていた。
行方不明になっていた諸悪の根源はヴァルターなので、俺達が怯える理由はないのだが……それでもなんだか雷の一つでも落とされそうで、怖い。
俺とファールンは互いに目を合わせる。ここまで来た以上、隠れていても仕方がないのだが――
「……行くか」
「はい」
神妙に頷いたファールンに合わせ、俺は茂みを出た。真正面に家。魔界とは思えない穏やかな風景が満ちる中で俺は、最大の緊張を抱きつつファールンと共に家へと歩み寄る。
無意識に拳すら握り締め、家に近づいていく……その時だった。
突如、家の扉が開く。
「――私は、もう少し別所を当たってみる」
エーレだった。俺達の事を聞きつけて、ここに来たらしい。
途端に嫌な汗が出てくる。いや、別に怒られるわけじゃないはずだが、それでも心配をかけてしまったのは紛れもない事実だし――
エーレと共に、リーデスなんかも家から出てくる。部下と共にエーレは来たらしく――
そこで、目が合った。
「あ……」
「え?」
エーレが立ち止まる。ついでにリーデスが目を丸くする。
「……セ」
「や、やあエーレ」
どう答えればいいのかわからず、俺はちょっとばかり上ずった声で挨拶する。横にいるファールンを一瞥すると、顔つきを硬直させ、じっとエーレ達を見ていた。
視線を戻す。なおも呆然とするエーレに対し後方からシアナとルナが出てきた。シアナの目元は明らかに赤く、泣いていたのが一発でわかり――
「セディ様――」
「セディ!」
シアナが言い終えるより早く、エーレが飛び出した。恐るべき速度で俺に近づいた彼女は――
突然、俺を抱きしめた。
「……え?」
「良かった……本当に……」
一瞬何をされたのかわからなったのだが……え、ちょっと待て。なんだこれ?
その状態で、俺はシアナ達の視線に気付く。リーデスは興味深そうに一連の光景を見ている……って、その顔に俺は嫌な予感を覚える。
で、シアナについては驚いたためか涙目だったのに涙が引っ込んでいた。さらにルナは「あらあら」とでも言い出しそうに口を開け、頬に右手を当てていた。
その光景を見ながら俺は何もできない……エーレとしては生還して良かったと思ったからこその行動だと思うんだが、シアナ達の反応がどうにも変だ。
「……陛下」
そこに、ファールンの呼び掛け。それによりはっとなったのか、エーレはすぐさま俺から体を離した。
「あ、ああ……すまない、セディ」
「いや、大丈夫だけど……」
こちらは微妙な表情しかできず。対するエーレはこれはまずいとでも思ったか、誤魔化すように声を上げようとした。
「――お姉様」
そこに、シアナの声。途端、エーレはビクリと体を震わせる。
そんな反応をするエーレが意外だったので、俺は呆然とその光景を眺める……と、エーレは振り返りつつ、おたおたし始めた。
「あ、いや、シアナ……これはだな」
「あれだけクールに決めていたというのに、最後で台無しになりましたね」
「不安だったのなら、そう言えばいいのに」
ルナが続けて語る……ふむ、シアナが泣き腫らしていた所を見ると、エーレは不安を隠し俺の事を探すべく気丈に振る舞っていた、といったところだろうか。
だが、それだけではない……そんな風に感じているのか、シアナは笑みを零す。
「――お姉様も」
「さて、セディ。よく戻って来たな」
「……何かシアナが言いかけていなかったか?」
「気のせいだ。というかシアナ。あれだけ不安がっていたのになぜそんな普通の態度に戻った?」
「いえ、お姉様の態度を見てびっくりしたので」
「いやあ、これは面白くなりそうねぇ」
野次馬気分でルナは呟く……って、え?
「大変だねぇ、セディ」
悪戯っぽい笑みを見せリーデスが語る……ちょっと待て、なんだか話が変な方向にいっていないだろうか。
そして一方的に話を進める度に、エーレがさらに慌て始める。これって――
「と、とにかくだ! まずは原因の究明からしなければならないだろう!」
声を荒げて告げるエーレに、今度はシアナが一歩足を踏み出す。途端、エーレは押し黙った。
まるで突如空気が凍りついたように……ルナとリーデスはどこか面白そうに見ているのだが、これは果たしてどうなるのか――
「お姉様」
エーレの正面に立ち、シアナは言う。
「負けるつもりはありませんから」
「いや……ちょっと待ってくれ。誤解だ」
「またまた。隠さなくても良いではないですか」
……話がやっぱり変な方向に突き進んでいる。俺は当事者だというのに蚊帳の外だし……思わない所はなかったけど、エーレ自身が否定の言葉を口にしている以上、俺からはとやかく言うつもりはない――というよりできない。
その中エーレは一瞬だけ、俺のことを見た。ほんの少し顔が紅潮しているような気がしたのは果たして気のせいか……ともかく彼女は一転咳払いをして、表情を戻した。
「それで、セディ。大丈夫か? ファールンは?」
「私は大丈夫です」
「俺も、平気だ」
ファールンと同時に頷きつつ、俺はどう話すべきか迷う……ヴァルターには自分のことを話さないでくれと言われているのだが、まず「勇者ラダンと遭遇した」と説明しなければならず、その原因を問われてしまうだろう。
さすがにそれを偶然で片付けるのは難しいだろうし……けど、黙っていても仕方がない。
「えっと、まず――」
「まずは、そうだな。ミュレスについて訊きたい」
事の核心部分を、エーレは尋ねてきた。
「本物はとある場所に魔法で拘束されていた……それについてなんだが、魔力を精査しても主犯者がわからなかった。ミュレス自身もどういった存在の仕業なのかわからなかったため、情報が欲しい。セディ達が遭遇した存在が変装などをしていた可能性はあるが、まずはその特徴を教えてくれ」
ああ、駄目だ。どう足掻いても誤魔化せそうにない。
けど、正直名前を口にするのがなんとなく憚られた。ファールンに視線を送るが、彼女も硬い表情。どういう反応を示すのか怖くて口にできなさそうだった。
「えっと……」
「どうした? 遭遇したミュレスという存在について訊かせてもらいたいだけなんだが」
「もしや、記憶を?」
シアナがエーレの隣で問うが、じっとこちらのことを見て、
「いえ……どうやら、その様子はなさそうですね」
「あ、ああ……まあ」
濁した物言い。それに姉妹は訝しみ、なおかつ近づいてくるリーデスやルナも、首を傾げていた。
ヴァルターの肩を持たなくてもいいような気がしないでもないんだけど……それでも多少沈黙を守った時、
突然、エーレの表情が変わった。何か、推測したような顔つき。
あ、これはまずいぞ。
「……セディ」
顔が深刻なものに変わっていく。そして険しい顔を見せつつ、俺の肩に手を置いた。
「その存在の名前などは、聞いたか?」
「え、あ、と……」
「もし名乗っていたなら、教えて欲しい。どういう名だった?」
――その時点で、シアナ達も察したらしい。
リーデスが無表情になり、シアナは驚愕と共に口元に手を当て、さらにルナが眉根を寄せていた。
あ、これは駄目だ……俺はそう確信した。




