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その勇者は最強故に  作者: 陽山純樹
勇者始動編
15/428

新たな始まり

「うーん……」


 ベッドで唸りつつ、俺は眠りから覚めた。ふかふかの枕とシーツに体が埋まり、多少動きにくい。


「寝転んでいると、すぐに眠りそうだな……このベッドは」


 言いながら、上体を起こす。そしてベッドの上で座り込むと、頭をボリボリとかいた。

 左右を見回す。大人が五人は並んで寝られそうな、豪華なベッドの上に俺はいる。ついでに言っておくと、俺以外には誰もいない。


「快眠には違いないけど、寝過ぎる傾向はあるな」


 肩を軽く回しながらボヤいていると、部屋の扉がノックも無しに開いた。


「お、今日はちゃんと起きていたね」


 入って来たのは、黒い衣装に身を包んだ男性。銀髪に真紅の瞳――一見するとヴァンパイアに見えそうな相手に、俺は軽く手を挙げながら答えた。


「まあな。ようやくこのベッドに慣れたのかもしれない」

「初日ベッドに入った時は、心地よさにかまけて半日寝ていたからね」

「……そうだな」


 答えながらベッドからのそのそと起き上がる。


「弁明しておくと、初日は疲れが出たためだ。ベッドが直接的な原因じゃない」

「わかっているよ」


 相手はニヤニヤしながら返答すると、部屋の一角を指し示した。

 そこはベッドの傍らであり、俺が普段身に着けている装備が置かれている。


「着替えて、準備をしてくれ」

「とうとう話をしてもらえるのか? リーデス」

「ああ」


 問いに彼――魔王軍幹部リーデスは頷いた。


「君にとっては、やっとだろうね。一週間も放っておかれて、不安だったんじゃない?」

「まあな。ただ待遇が良すぎて、死の危険を感じたことはなかったよ」

「君は大切な食客だからね、当然だ。でも、そんな生活も今日で終わりだ」


 リーデスは言うと、部屋の扉を手で差した。


「セディ、僕は外で待っている――陛下が、お呼びだ」


 俺の名を呼び、リーデスは踵を返す。部屋を出て行こうとする彼に、俺は「わかった」と答えた。






 ――魔王が世界管理の一端を担うという大いなる真実を聞き、魔王エーレ=シャルンリウスに弟子入り表明をしてから一週間。俺は食客扱いを受け、何をするわけでもなく無為に過ごしていた。


 この空白期間には意味があった。さすがに勇者を引き入れるには準備がいるらしく――というより、前例がないためどうするか魔族の間で議論が及んでいるらしい。

 この間に闇討ちでもあるんじゃないかと考えもしたが、その辺はエーレやリーデスが睨みを利かせていたせいか、命の危機は一切なかった。


「あなたも自分の考えをまとめる良い期間だろう。ゆっくり休んでほしい」


 そう彼女の――黒い髪に青い瞳、そして艶やかなドレスを着る魔王エーレにそう言われ、俺は従った。


 最初の数日間は考えをまとめるためにあーだこーだと頭を悩ませていたのだが、落ち着いてくると暇しか残らなかった。よって、残りの数日間は退屈この上ない状況だった。


「さすがに一週間も食っちゃ寝の繰り返しだと、体が鈍るな」


 廊下を進みながら、前を歩くリーデスへ告げる。


 剣の訓練はしたかったのだが、さすがに勇者を出歩かせるのはまずいと判断され、エーレからは見事に却下された。まあ、当然の処置だろう。


「人間は、一度不摂生すると大変らしいね」


 リーデスは世間話をするトーンで応じる。その返答に俺は眉をひそめ、疑問を口にする。


「魔族は違うのか?」

「元来訓練を必要とする存在じゃないからね……僕ら魔族や、神々は持ち得る力の総量が生まれた時から決まっている。例外はもちろんいるけど、ほとんどがそうだ。それは滅ぶまで変わらないし、その力の制御も体に最初から刻み付けられている。だから、訓練も必要ない」

「便利だな、それ」

「君からはそう見えるかもしれないけど、僕らから見れば人間の方が羨ましいよ」

「なぜだ?」

「努力すれば、上に行くことができるから」


 リーデスは俺に首を向け、微笑みながら言った。


「僕は恵まれた存在だから、今の待遇に満足しているけど……下位の魔族は、相当に苦労しているケースもある。中には人間に羨望の眼差しを向ける者すらいる」

「へえ、そうなのか……」


 どうやら魔族も人間と同様、様々な悩みを抱えているらしい。


「大変なんだな、魔族も」

「まあね……君も調子くらいは元に戻しておいてよ? これから大変だろうから」

「わかっているさ……と、リーデス。あんたは俺が何をやるのか知っているのか?」

「もちろん。何せ――」


 言いかけた時、玉座の間に通じる扉に辿り着いた。


「その辺りの話はすぐにわかる。さて、入ろう」


 リーデスは会話を切り上げると、扉の前に立った。

 自然と扉が開かれ、人が通れるくらいの幅が生まれる。


 俺達は無言で中に入る。そこは絢爛(けんらん)とまではいかないが、様々な調度品も置かれている、艶やかな空間だった。


「待っていた」


 そして最奥の玉座に、魔王エーレがいた。以前見た格好と変わらぬ、金飾りに真紅のドレス姿。


「お連れしました」


 リーデスは言うと跪こうとした。俺も合わせて片膝をつこうとしたのだが、


「いや、いい。二人ともそのままで」


 エーレは俺達の動きを制した。


「話を進めたい。儀礼的なものは割愛しよう」


 言うと、エーレはパチンと指を鳴らす。後方で僅かに開いていた扉が音を立てて閉ざされた。


「さて、セディ。気分はどうだ?」

「快適だよ。ただ、少しばかり体を動かしたい」

「そうか。今なら戦っても勝てそうだな」


 冗談交じりにエーレは言う。確かに今の俺は体がまともに動かないだろう。負けるのは必定だ。


「ふむ、ちなみに幹部の中にはあなたを飼い殺しにして、いずれ殺すと言い出す者もいたが、どう思う?」


 それを本人に訊くのか、エーレ。


「……さすがに、勘弁願いたいな」

「当然だな。ちなみにその意見は一蹴した。採用するつもりもないから心配するな」


 エーレは淡々に告げる。そこで俺は一抹の不安を覚えた。


「エーレ。一つ、訊きたいことがあるんだが」

「何だ?」

「俺を管理に参加させるのに不服と感じる魔族もいるんだろ? 余計な軋轢を生じさせるなら、他の方法を取るべきじゃないのか?」


 ――無論、この場の魔族とは大いなる真実を知っている存在だ。そうした幹部達は世界の管理を行っているため方々に散らばっている。そのためエーレは、わざわざ個別に連絡を取っているらしかった。


「それでは、やり方が何も変わらないだろう」


 対するエーレの返事は、さっぱりとしていた。


「言っておくが、大いなる真実を知る中でもあなたのことを打ち明けたのは、相当信頼している者達だけだ。先にあなたを殺すと言った幹部も、私を慮ってのこと。いくらか条件を出した後、納得したようだが」

「そうなのか……って、条件?」


 引っ掛かった部分を指摘すると、エーレは微笑みながら語り始めた。


「ここからが本題だ。あなたにはまず、私達がやっている仕事がどのようなものかを知ってもらう。実務を理解しなければ、管理手法を作るなど夢のまた夢だろうからな」

「つまり、どこかの国を任せるということか?」

「そこまで大層なことはまだまだ先だ。あなたの立場は、魔王城に控える幹部の一人ということになる」

「控える幹部? リーデスのような?」


 尋ねると、エーレは「少し違う」と答えた。


「私が幹部に説明した手法を要約すると、あなたは勇者でありながら私の力によって魔族化した存在だ」

「魔族化……」


 俺はエーレの言葉を呟き、頭の中で噛み砕く。なるほど、魔族にされて活動していることにすれば、大いなる真実を知らない魔族であっても納得するだろう。

 思案している間に、エーレはさらに続ける。


「より具体的に言うと、勇者を取り込み魔族化させるという計画の、実験体第一号だ。そして直近の幹部であるリーデスと、ファールンが監視役ということになっている」

「ファールン?」


 新たな名前。その答えはリーデスからやって来た。


「君がフォシン王国で戦い、メッセンジャー役を担っていた者だよ」

「ああ、あの堕天使か」


 俺は剣を交えたことのある堕天使を思い浮かべつつ、エーレに話す。


「そうか、俺のことを多少なりとも知っている存在に、役目を負わせると」

「そういうことだ。ちなみに二人は建前上監視役。実質はあなたの教育係だ」

「だからリーデスは知っていたと」


 リーデスに首をやる。彼は小さく首肯した。


「……一応訊いておくが、不満とかないのか?」

「あるわけないよ。陛下からの厳命に加え、これは最重要作戦とされている。こうした活動に加われることを、光栄に思っているくらいだ」


 和やかに話すリーデスからは、負の感情は一切見受けられない。言っていることは真実のようだ。彼もまた、何かしら思う所があるらしい。

 参加することを光栄に――俺の意見に賛同してくれた気がして、少しばかり嬉しくなった。


 そんな感情を抱いていると、リーデスがエーレに向き直った。


「陛下、事情は多少承っておりますが、具体的にどのようなやり方で?」

「任務を用意してあるから、まずはそれの遂行だな」

「その最中、大いなる真実を知らぬ魔族と出会ったら、どのように説明すれば?」

「魔族化した勇者ということで、実験していると言えば良いだろう。それに大いなる真実を知らない者達は、私の活動に興味を示すケースは少ない。いざこざにはならないはずだ」


 俺は両者の会話を聞きながら、魔王がどういう立ち位置なのか想像する。魔王は魔界に拠点を構えて魔族全体を統括しているが、世界に散らばる大半の魔族は結構好き放題やっているようだ。

 以前魔王と戦った時に聞いた話だと、無理に厳命すれば反発も生まれるようなので、そうした方針になるのは仕方が無いのかもしれない。


「セディ、一つ言っておく」


 そこで、エーレが俺に声を向けた。


「知っての通り、魔族の中には大いなる真実を知る者と知らない者がいる。知らない者にとって世界に拠点を構える理由は、いずれ来る神々との戦争に勝つための地盤固めとなっている。神々と交戦することがないよう警戒し、さらにいずれ手に入れる世界が過去の大戦みたいに荒れないよう、監視することを指示している」

「大戦の記憶は、そういう風に受け継がれているのか」

「そうだ。だからこそ勇者を取り込み神々と衝突させる……それが、あなたを魔族化させた建前だ。不思議に思う者もいるだろうが、混乱するような羽目にはならないだろう」


 言いながらも、エーレの顔はやや険しい。何か懸念しているのか。


「しかし、魔族の中には好戦的な輩もいる。現状に不満を抱きすぐにでも仕掛けようと画策している者もいる。実を言うと、魔王城に控える幹部はそうした幹部の監視も仕事に入っている。あなたにはいずれ、そうした任務も行ってもらう」

「わかった」


 了承すると、エーレは顔つきを変えないままさらに話す。


「そしてここで一つ問題が。あなたは理解していると思うが、勇者は常に魔族を倒そうと動いている。場合によってはそうした人間達と交戦する可能性もある」

「人との戦いを、覚悟しろと?」

 続く言葉を予想して訊くと、エーレは神妙に頷いた。


「あなたには些か不満もあるだろうが……現状を公表することができない以上、やむを得ない」

「わかった……エーレの指示に従うよ」

「……すまない」


 彼女は目を伏せ謝った。仕草から、人間に対する憂慮が見受けられる。


「さて、説明はここら辺で良いだろう。それでセディ、あなたには行動する前にやっておかなければならないことがある」


 エーレは再び俺に視線を向けると、ドレスのポケットから何かを取り出し、立ち上がって階段を下り近づいてくる。


「この薬を飲んでくれ」


 手には小瓶。その中に透明な液体が入っている。


「それは?」

「魔族化する薬……と言いたい所だが、実際は体に特殊な魔力を取り込む薬だ。薬を飲むことで魔法を体得し、行使することができるようになる」


 魔法具を体に刻み付ける薬、といった所か――理解すると同時に、疑問が頭をよぎる。


「エーレ、そういえば装備……特に魔法具はどうなる? このまま行くのはまずいだろ?」

「鎧等は着替えるが、魔法具と剣はそのままだ。名目上は勇者を魔族として取り込み、神々と戦わせる……つまり、神々の力を逆に利用するというのがこの案の骨子だ。むしろそのままでいてくれなければ困る」

「そう考えると、無茶な案にも思えるな」


 感想を漏らす。とはいえ、現状を鑑みるにそうした理由がなければ、魔族の多くが納得しないのだとしたらやるしかない。


「で、俺はその薬を飲んで魔族となり活動すると」

「見かけ上は、だが」


 俺の言葉にエーレは肩をすくめる。


「言っておくが、これは魔法を刻み付けるだけで魔族そのものになるわけではない。というより、あなたが魔族になるのは不可能だ。だがそのままの姿でいるのは不自然であるため、やむなくこうした形を取らせてもらう」

「……一応訊いておくけど、変なモノは入ってないよな?」


 俺はエーレの持つ小瓶に目をやりながら問う。

 対するエーレは柔和な笑みを浮かべ、不安を払拭させるように優しく返す。


「薬と言ったが、これは私が水に魔力を注入しただけに過ぎない。私はあらゆる物に魔法を付与する技術を持っている。それを利用し、水に魔力を含ませ幹部に吸収させることで、力を与えている。これもその一種だ」

「へえ……」


 感嘆の声が出た。なるほど、そうして幹部を強化しているわけか。

 俺の反応を見て、エーレは捕捉するように続ける。


「ああ、ちなみに言っておくが、この技術は秘匿されている。幹部でもこの技法を知る者はいない……無論、こうして力を与えていることは、周知されているが」

「つまり、魔王だけの能力……というより、魔王だからこその能力、というわけだな」

「そうだ。大いなる真実を知らない者達に無用な力を与えないためだ。そうした者達に対しての秘匿理由としては、神々に知られてはならないためとなっている」


 色々と制約があって大変だ。俺も情報が多く覚えるだけで精一杯。そんな様子をエーレはしかと感じ取ったか、話の締めに入った。


「説明はしたが、ここで全て理解してもらわなくていい。知っておいてもらいたいのは、あなた自身が魔法により魔族になること。そして、その体で任務を行う。それだけだ」

「ああ、わかった。それじゃあ薬を」


 エーレは薬を差し出した。それを受け取って小瓶を開ける。臭いなんかは一切なく、本当に水であるのがわかる。

 少しだけ小瓶の中身を注視した後、意を決し飲んだ。液体はするりと喉を通り、あっという間に中身がなくなる。


「さて……」


 呟きながら、エーレはこちらをじっくり観察する。

 俺は瓶を握った状態で自身の体を確認する。やがて――


「ん?」


 ほんの僅か、全身が熱を帯びる。さらに少しだけ肌が粟立ち、少しして収まった。変化はたったそれだけ。

 しかし、正面にいるエーレが満足そうに頷き、横にいるリーデスが感心した風に目線を向けている以上、変化していると察せられた。


「なかなかの出来栄えだ。これならあなたを知っている者でなければ、人であるとわからないだろう」


 エーレは言うと、どこからともなく手鏡を取り出し俺に向けた。覗くと、見た目が大きく変わっているのがわかった。

 具体的に言えば髪と瞳の色が変化している。双方とも黒だったのが、髪色は真紅、瞳は翡翠のような深い緑となっている。


「……魔族って雰囲気でもないけどな」


 なんとなく、そう呟いてみた。確かに二つが変わっただけで印象がずいぶん違うが、魔族と言われるとどうもピンと来ない。


 その意見にさもありなんと頷いたのは、エーレだった。


「後は格好でカバーする。あとセディ、髪の長さも変えておけ」

「髪?」

「魔力で疑似的に髪の長さを変えることができる。とはいってもあくまで魔力で形作るだけで伸ばすことはできない」

「そのものを生やすのはできないと?」

「できないこともないが、成長する能力を先食いすることになる。若ハゲになりたいか?」

「遠慮したい」

「だろうな。で、変化はイメージすればできるはずだ」


 言われ、少しばかり毛先を伸ばすようなイメージをしてみる。すると、ほんの少しだが前髪が伸びた。手で頭の後ろを触ると、確かに伸びている。


「よし、上出来だ」


 エーレは言うと、次に指で別所を示す。


「で、あっちが今後の装備だ」


 見ると、玉座階段下辺りに装備品が置かれている。服は黒衣となっており、鎧の類は見当たらない。


「申し訳ないが鎧は使用しない。だが衣服はあなたが今身に着けている白銀の鎧と遜色ない防御能力を有しているから、戦闘面で心配することも無い」

「そうか」


 俺はそちらに近寄り黒衣を手に取った。見ると靴や肌着もあるのだが、全てが黒。


「……で、女神の装備はそのままだから、これを着て魔法具を身に着けるわけだな」

「そうだ」


 エーレは俺の言葉に同意しつつ、さらに告げた。


「では、あなたが着替えてから別の場所に向かうことにする。これからのことは、そこで説明しよう」






 着替えた後案内されたのは、玉座の間から真下に位置する場所。俺はエーレやリーデスと共に階段を進み、廊下を歩み暗い部屋に通された。


「灯せ」


 エーレが言うと、突如部屋が明るくなる――彼女の言葉によって室内に置かれている燭台に火が灯された。それにより部屋の全景がしっかりと目に映る。

 玉座に負けず劣らずの広さを持った部屋だったが、燭台を除いて物が存在しない。代わりにあったのは床に刻まれた六芒星の魔法陣。


「転移術の部屋か何か?」


 予想して尋ねる。答えはエーレから返ってきた。


「そうだ。床にある魔法陣と私の魔力により、あらゆる場所へ転移させる」

「そうか……ん、まてよ。訊きたいんだが、転移術くらいどこでも使えるだろ? こんな場所なくてもいいんじゃないのか?」

「転移魔法が使えるのは城の外だけだ。城内は転移防止処置を施している」

「ああ、そうか」


 そうじゃないと勇者達も潜入し放題になる。当然だな。


「そして、ここは儀礼的な意味合いもある。任地へ赴く幹部は私の魔力により直々に送り出すのが慣例。これは幹部の士気を高める効果がある」

「鼓舞するわけだな」


 俺は納得しつつ、さらにエーレに尋ねる。


「で、ここに俺を連れてきたということは、今から任務を?」

「まずは導入だ。いくつかルールがあるからな」


 エーレは右腕を軽く振った。途端に魔法陣が紫色に淡く輝き始める。


「さて、まず転移した後の制約を説明するのだが……と、待った。そういえば、決めていなかったことがある」


 エーレは言うと、腕を組みながら告げる。


「魔族になったあなたの名前を決めなければ」

「そういえばそうだな。さすがにセディのままは……」


 エーレを見返すと、彼女には案があるのか小さく頷いていた。


「候補はある。セディが望むのであればだが」

「なんて名前だ?」


 問うと、エーレは人差し指を立てつつ、答えた。


「魔王軍幹部、ベリウス」

「ベリ……ウス?」


 戸惑った。ベリウス――その名は、リーデスが以前使っていた幹部の名前であり、なおかつ俺が倒した魔族でもある。


「滅ぼした魔族の名前を使用するのか?」

「無論、理由はある。それに都合も良い」


 こちらの質問に、エーレはにこやかに解説を始めた。


「まず、魔族の名……特に大いなる真実を知る幹部は、魔王が代々決めた名を使うようにしている。これは慣例みたいなもので、実際リーデスも私が授けた名を使っている」

「……そうなのか?」


 傍らにいるリーデスに訊くと、彼は静かに頷いた。


「つまり、世襲制なわけか?」

「その通り。その中でベリウスという名は幹部の中でも武勇に長けた存在に与えられる名前だ。セディ、あなたに敗れはしたがこの名はかなりのブランド力を持っている。引き合いに出せば、中級クラスの天使が震えあがるくらいの力は持っているのだ」

「……はあ」


 俺は生返事をした。今更ながら、かなりの幹部を倒したのだと認識する。


「そして、この名を使うには理屈もつく。つまり、ベリウスは滅ぼされたが、その後釜を魔族化した勇者が担う……しかもその勇者はベリウスを倒した。これほど名を受け継ぐにふさわしい存在はいないだろう」

「そういうことか……確かに、理にかなっている」


 答えつつ、俺は名をもらう旨を告げた。


「わかった。ベリウスの名を頂くよ」

「頼んだぞ」


 エーレが言う。儀礼的なものが一切なしの軽い口調ではあったが、彼女からは強い信頼を感じられた。


「あ、それともう一つ」


 さらにエーレは説明を加える。


「リーデスだが、大いなる真実を知らない魔族は、転生されることを知らない。だからリーデスの前がベリウスであったという事実は、他言無用で頼む」

「わかった」

「よし。さて、それでは転移に関するルールを説明しよう。まずセディ、あなたには先ほど薬を飲んでもらったが、それにより転移術を習得させている。といっても色んな場所を行ったり来たりされては困るため、この場所か魔王城入口に転移できるものだ」

「ああ」

「そして、もう一つ制約がある。もし転移した先で人に見つかった場合は、強制的にここに戻るようになっている。私達は基本、隠密活動が必須だ。見つかって噂を立てられるのは、非常にまずい」

「見つからないように頑張るよ」


 応じると、エーレは俺に陣の中心に立つように促す。


「まずは体験だ。適当な場所に転移する。感触を確かめてくれ」

「よし」


 俺は意気揚々と魔法陣の中心に立った。エーレは真正面にいる。そして入口付近にはリーデス。


「では、行くぞ」


 エーレは両手を広げる。途端に魔法陣が白く発光を始め、周囲を包む。


 半ば無意識に、目を瞑る。まずたを閉じていても白い光を感じ――やがて、それが黒く染まる。だがそれは一瞬のこと――すぐに光が生まれた。

 目を開ける。陣のある部屋ではなかった。草木の匂いと鳥のさえずり。さらには目の前には広大な花畑がある。


「……ここは」


 呟きながら、確信する。花畑の向こうには村々が見え、その一角には屋敷も見えた。


「故郷だ……」


 自然と声が漏れた。これをエーレが故意にやったとしたら――ずいぶんと演出過剰ではないか。けれど、見間違うはずもない。

 転移によって赴いたのは郷里。見える屋敷こそ、俺と義理の妹――カレンの実家だ。


 カレンの両親はこの周辺の耕作地帯をまとめる役割を担っていた。そして俺が勇者として大功を立てたため地方領主になった。俺もあの屋敷に帰ったことがある。


「懐かしいな……ずいぶんと」


 目前の光景をしばらく眺め、少しして周囲を見回す。

 背後に川があった。俺はなんとなくそちらに足を向ける。


「そういえば、これってどうやって帰るんだ……?」


 ふと呟く。俺が勝手に転移魔法を使って良いのだろうか。

 でもやり方がイマイチわからない。そもそも転移魔法というのを使った経験がないため、使用手順も飲み込めていない。


「帰って来いと言われるまでウロウロするべきなのか……?」


 そんな風に考えていると――視界に何か動くものがよぎった。


「え?」


 振り向く。そこには薪を抱えた、少女が一人。


「あ……」


 少女はこちらに気付き、小さく呻く。

 俺は咄嗟に声を掛けようとした。だが自分が魔族たる姿であるのを思い出し、まずいと感じる。


「えっと……」


 それでも何か言おうとした時、いきなり視界が真っ暗になった。同時に、浮遊感を感じる。

 あ、これはダメなパターンだ。人に見つかって、強制送還させられるやつだ。


「うわぁ……やっちゃった」


 零した時、転移が完了する。床に魔法陣のある部屋――なのだが、なぜか靴の裏が目の前にあった。


「へ――」


 声を漏らしかけた時、靴が顔面にヒットする。

 俺は無抵抗に倒れ、反射的に顔へ手を当てようとした――のだが、それを阻むようにヒールと思しき靴が顔面を踏みつけた。


「な、何だ!?」


 戸惑っている中、エーレの声が聞こえてくる。


「ほう、蹴り飛ばして欲しいとは、なかなかのリクエストだな」

「いやいやいや! 何も言ってないぞ!?」


 どうにか逃れようと首を動かす。だが、エーレは的確に額付近を踏み続ける。


「え、えっと、エーレ?」

「……一応言っておくが、あなたの郷里に転送したのは、ひとえに私からのささやかなプレゼントだ。故郷に帰るのが難しくなるから、せめて外観でも見させようと思ったのだ。だがな――」


 と、エーレの踏む力が増す。


「気配を探ることなくボーッとしろとは言っていないぞ? お前は普段、少女に気付かないほどボケっと歩いているのか?」


 あ、これは怒っている。俺はすぐさま「ごめん」と謝る。


「えっと、見惚れていてそういうのに気が回りませんでした!」


 踏まれた状態で正直に話す。するとエーレは矛を収めたのか、足をどかした。


「ふむ……今度からは気を付けるように」


 憮然とした様子のエーレが視界に入る。俺がコクコク頷くと、彼女は不服そうだったが身を翻した。

 入り口付近を見ると、リーデスが腹を抱え大笑いしていた。どうやら俺は、相当な失敗をしてしまったらしい。


「……気を付けます」


 最後にもう一度言うと、顔に手を当てた。きっと今、額に靴跡がべったりついているに違いない。


「まったく、あなたはもう魔族である以上、イメージを損ねるような真似はするなよ」


 エーレは語った後、腕を軽く振った。

 それにより魔法陣の輝きがなくなり、かがり火だけを明かりとする部屋に戻る。


「不本意だが、ひとまず体験は終わりだ。では次に――」


 言い掛けて、ドンドンという音が室内に響いた。ノックの音だ。


「リーデス」


 エーレが指示すると、彼は笑いを収めて扉を開ける。

 外にいたのは、以前会い見えた漆黒の堕天使、ファールン。


「ん、ファールンか。どうした?」

「お戻りになられました」


 事務的な口調で語るファールン――そこで、エーレの気配が変わった。


「ほう、そうか。戻って来たのか」

「はい」

「わかった。玉座にいるよう伝えてくれ。セディとも会わせる」

「承知致しました」


 ファールンは一礼し、速やかにその場を離れた。

 リーデスが扉を閉め、エーレは俺へと振り向く。


「丁度良かった。これから実地に向かわせようとしていたが、予定を変更する」

「会わせるってことは、紹介したい魔族でもいるのか?」

「ああ、そうだ。いずれ言うつもりだった。神々の使いをしていたので、時間が掛かると判断し後回しにするつもりだった」


 神々の使い――つまりそれは、大いなる真実を知り、なおかつ連絡役を仰せつかる重要な存在ということだ。


「誰なんだ?」


 尋ねる俺。エーレは首を振り向けながら、にこやかにこう答えた。


「私の弟と、妹だ」

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