天からの襲来
「……私は」
多少の沈黙を置いて、デインは口を開く。けれど決断しきれない様子であり……エーレは苛立った雰囲気――間違いなく演技――を見せつつ、彼に言う。
「事態は刻一刻と差し迫っている。正直、この場で話をする間にも女神が来るかもしれない」
エーレの言葉に、デインは口を堅く結ぶ。そして何事か考えた後――
「……わかった、引き上げるしかないだろうな」
逃げる選択をした。
「ああ。ラダン殿もあなたのことは一目置いている。悪いようにはしない」
「そう言ってもらえると助かるが……しかし、ここを離れるのはあまりに惜しい」
悔しそうに顔を歪ませるデイン。その態度からは、街に執着を持っているというより研究機関として執着しているようにも感じられた。
エーレも「そうだな」と同調しつつ、今度は確認を行う。
「それでデイン殿、実験資料などはどうする? さすがにそのままとはいかないだろう?」
「研究資料については大方ラダン殿の使いに渡しているため、特段問題はない。しかし、できれば最新の研究成果くらいは持っていきたいところだが……」
「それは今どこに?」
エーレの問い掛けに、デインは少しばかり思案し、
「ウェージとは別の屋敷に保管を任せているが……」
「ならば、我々が取りに行くこともできるが」
「そうだな……では、君達もその屋敷へ共に来てもらえないか? そこには悪魔を生成する手段なども構築されているため、女神が本格的に動き出した場合でもある程度対応できると思う」
――場合によっては、街中でそんな力を使うつもりなのか。
俺としては驚きと怒りを同時に感じたが、エーレは極めて冷静に受け答えを行う。
「わかった、いいだろう。ひとまずそこへ向かうのか?」
「ああ、早い方がいいのだろう?」
デインはすぐさま立ち上がる。じっくり検証すれば疑問点だって感じそうな状況ではあるが、幸いデインは怪しんでいない様子。
彼を先頭にして俺達は部屋を出る。そして神殿を出ると兵士達が驚いた様子で声を掛けた。
「デイン様!? 一体――」
「少し緊急の用だ。すぐに戻ってくる」
一方的に告げた彼はずんずんと通りを歩き出す。俺達は兵に声を掛けられてもおかしくない状況だが、デインがいるためか右往左往するばかりで横を通り過ぎることができた。
街はまだ平穏であり、特に異常は見受けられない……いや、ナリシスのことだからデインが動き出すのを待っているのかもしれない。
やがて、一つ路地を入ると屋敷に到達。ウェージの屋敷と似たような構造をしており、デインは門をくぐると素早くドアノッカーを叩いた。
少しして出てきたのは黒い瞳のエルフ。デインと、その後方にいる俺達を見て、まずは面食らう。
「族長? しかも彼らは――」
「研究資料はどこにある?」
矢継ぎ早の質問に、エルフは多少戸惑った表情を見せたが……鬼気迫るものを感じたのか彼はすぐさま踵を返し、
「こちらです」
告げると屋敷の中を案内する。
俺達もその後に続き――小さな個室へと入り地下へと通じる床の扉を開ける。ここもウェージの屋敷と同様らしい。
そこからエルフを先頭にして階段を下り、足早に目的の場所へと到達した。
傍目から見て、先ほどの実験室と変わらないような構造。けれど一点だけ決然として違う場所がある。
中央の人が入れるガラス容器もまた同じだったのだが……その中に入っていたのは、
「あれが、研究の悪魔か?」
エーレが問う。そう、筋骨隆々の黒い悪魔が、ガラス容器の中に不気味に存在していた。
「そうだ、とはいえこれは魔力量などを調査するための実験体」
デインは答えると屋敷の主であるエルフへと告げる。
「お前は街の様子を見ていてくれ」
「え? 街ですか?」
「もし何か起きたらすぐに連絡を頼む」
「……わかりました」
話が見えない上俺達の存在が気になって困惑した様子だったが……彼は族長の言葉に従って研究室を後にした。
「よろしいのですか?」
ふいにシアナが問う。半ば追い出すような状況となったためだろう。それにデインはすぐさま頷く。
「ここに資料を預けているのは事実だが、彼がその全容を把握できていない部分もある上、彼がいると話もやりづらい」
言うや否や彼は室内を歩き始めた。そしていくつかの書棚から資料を手に取り、それを手近にあった紐でまとめ始める。
「資料については最近ここに来たため把握している……重要な部分については回収し、後は放置でいくとしよう」
「この施設が神々の手に渡ってはまずいのでは?」
エーレが問う。それにデインは一瞥し、
「神々が動いているとなると、破壊する時間もないだろう? それに、ラダン殿の方でまた新たな研究を行っているとも聞く……神々を出し抜く手筈は整っているし、それほど経たずしてここの資料は古くなって使い物にならなくなるはずだ。ここでの失態は事実だが、それを挽回できるように貢献はする」
「わかった。それでは行くとしようか」
エーレは告げ、先んじて歩き出す。それに追随する俺は、今後の展開について少しばかり考える。
本来なら、こんなことをせずに彼をさっさと街から逃がすように魔界へ連れて行くのが良いのだが、それをすれば族長が突然いなくなることとなり……このアイストに、多大な混乱を呼び込むことになるだろう。そしてそれは、勇者ラダンの手先や、それとは関係ない私利私欲な魔族達に付け入る隙を与えかねないことになる。
重要なのは、街に混乱が生じないようにすること……ナリシスがその姿を見せることによってある程度制御できる。そこに加えデインが魔族と手を組んでいると見せつけることができれば、族長が白だと思っていた者達も黒だと断定できるだろう。
そうなれば、全ての矛先をデインへ向けることも可能であり……それをすることが、街の混乱収拾も短期間で済むだろう。だからこそ、混乱を引き起こそうとしている俺達がやるべきことだ。
地下から脱すると、エーレが一度振り向きデインへ確認を行う。
「このまま森を脱出するということでよろしいか?」
「構わない」
「では、行くとしよう……できれば人目を避けたいところだが……」
彼女が呟く間に屋敷入口に近づき――今度は家主がドタドタと俺達に近づいてきた。
「ぞ、族長……!」
「どうした?」
「それが、街の外の様子がおかしかったため確認したのですが――」
言い終えぬ内に、デインは慌てて走り始める。俺もまた彼と同じような態度を示したい気分だった。まさかこれだけの短時間で、もう準備を整え攻撃できる態勢に……?
いや、女神の所業である以上、十分可能のような気もするのだが……それにしても、仕事が早い。なおかつエーレの動きに合わせしっかりとナリシスは対応しており、簡単な打ち合わせにも関わらず見事な連携だとさえ思った。
デインが玄関扉を開ける。俺はその後方から覗き込むようにして外を窺ったのだが――
「な――」
デインが呻く。そして俺も、同じように声を零しそうになった。
「天使か」
エーレが言う。極めて冷静な声音だった。
外――空に、彼女が言う存在が飛んでいる。まさかここまでやるとは……などと思いつつ、俺はナリシスが放ったと思しき存在を見て、ただ茫然とする他なかった。




