さらなる来訪者
一瞬言われたことが理解できず、俺は呆然となった。
「……は?」
女神の剣――ラダン――そうした言葉をかろうじて頭で理解し、同時にまさかと思った。
大いなる真実を知った時のような心境だった――ナリシスも驚いた様子で、ウェージへと聞き返す。
「勇者ラダン……確かに本で読んだことはありますが……本当に?」
「族長が言っていたのだ。名前を騙っているという可能性はゼロではない。けれど百年以上生きているというのは、族長の目から見ても真実だと思ったそうだし、何よりその当時使っていた女神の武具なども保有していたそうだ」
――心のどこかで、それは真実なのだろうと頭の中で確信する。根拠はない。けれど――
「衝撃が大きかったようだな」
俺の表情を見てウェージは指摘。こちらはただ頷き返すしかない。
「そうか、君は物語のファンだったのか……衝撃的な話かもしれないが、実際彼はこうして今も活動しているというわけだ」
「……なぜ、彼が魔族の技術を提供するのですか?」
ナリシスからの質問。それにウェージは肩をすくめた。
「わからない。本来勇者であるなら、技術を保有していたとしても魔族の力を外に出すとは思えないのだが……いや、延命のために金が欲しかった、などと思ったのかもしれない」
金――確かに強力な技術だから、売りさばけば金になる。
「いや、待てよ……技術提供の見返りは求められなかったはずだ。となると彼は魔族の技術だけを私達に渡したということになる……つまり」
と、ウェージは笑いながら続ける。
「魔族に加担しようと心変わりしたのか……それとも――」
「なるほど、わかりました」
ナリシスが言う。神妙な顔つきで、話を切り上げようとする雰囲気が見て取れた。
「事情は……にわかに信じられない内容ですが、ウェージ様が仰った以上、真実なのでしょう」
「理解が早くて助かるよ。それで――」
「もう、情報としては十分です」
刹那、ナリシスが腕を軽く振った。するとウェージの瞳が一瞬驚きに変わり、そして、
膝から崩れ落ちる。俺は慌てて支えようとしたが一歩遅く、彼は地面に倒れ込んだ。
「お、おい……これって」
「首謀者の存在も明確になりましたし、加えて本拠地などの情報は持っていない様子。この辺りで切り上げるのが得策でしょう」
元の口調に戻ったナリシスは、嘆息した。
「相手は勇者ラダン……ですか。私にとっても過去の人物であり小説の登場人物というくらいにしか認識していませんでしたが」
「……本当に、大丈夫か?」
ピクリとも動かないウェージを見て問い掛けると、ナリシスは神妙な顔つきで頷いた。
「これ以上長々と話しても仕方ないと思いますし……欲しい情夫はこの屋敷で資料を漁ればいくらでも出てきそうな雰囲気ですし」
それはそうなんだが……さらに声を上げようとした次の瞬間、
「……ん?」
部屋の外から、何やら気配。隠そうともしないその魔力に訝しむ。
「お気付きになりましたか。屋敷に入って以降、一切気配を隠していないのですよ」
「その気配から、彼を……?」
「地下に降りて来た時点で眠らせる決意をしました。態度から、ウェージ様がどう仰ろうとも私達をどうにかするつもりのはず。彼がいては逆に混乱する可能性を考慮し、眠らせたわけです」
ナリシスは入口へ向き直りつつ語る。俺もまた彼女に言われ改めて気配を探ると……その隠そうともしない魔力に、首を傾げたくなった。
俺も気配を普段から殺しているわけではないので、魔力探知に優れた存在なら勘付かれる……が、はっきりいって近づいてくる気配はそれ以前の問題だった。間違いなくこれは意図的に気配を発し、こちらに気付かせようとするようなもの。
「何者か、わかるか?」
「いえ、私も初めて感じる気配…」
会話をする間にもさらに近づく。それに対し俺は右手を剣の柄にかける。
扉が開け放たれたと同時に、戦闘が始まるのでは……そんな風にさえ思えたその時、扉の間近まで気配は近づき、
「……やれやれ」
男性の声。そして、開いた――その先にいたのは、
「その様子だと、やはり面倒なことになっているようですね」
耳が尖っているためエルフ……なのは間違いないが、全身鎧姿であり、腰には剣があるとなると、騎士なのだと予想できた。
髪は青色。その顔には苦笑に近い表情が。
「ウェージ殿の実験室による物取り、という感じではなさそうですね。マヴァストもしくは、ジクレイト王国からの間者といったところですか?」
現れたエルフは眠らされるウェージの姿を一瞥しつつ問う。
「あなたの話は伺っていますよ、ナジェン様。とはいえ、一歩遅かったといったところですか」
「遅かった?」
ナリシスが聞き返すと、エルフは苦笑した。
「商売上色んな場所に潜り込んでいたことを考慮し、警告しようとしたのですが……その矢先、これですよ。確かあなたはマヴァスト王国とも取引関係があったはず。事件が生じるずっと前からあなたの存在がいる以上、無関係などと最初は思いましたが……使者が訪れたことで、族長も警戒したのです。そして危惧は正しかった……実に残念です」
と、肩をすくめて彼は語る……デインが考えたのはおそらく、マヴァスト側がアイストで商売をしていたナリシスに目をつけ、色々と情報を得るために接触している。そして使者はデインの監視役、とでも言えばいいのだろうか。
見当違いもいいところなのだが、現状目の前にエルフが現れてしまった。彼を神殿に戻してしまえば警戒されるのは確定的であり、どうにか対処しなければならない。
ウェージを眠らせたことは混乱を呼びこまないためだと語ったが……果たしてナリシスはどう動く?
「なるほど、事情はわかりました」
「存外冷静ですね。彼を眠らせた理由はどういったものですか? やはり間者として――」
「いえ、単純にこう考えたのですよ。彼は多くの研究を行い、裏で様々な人物と繋がっている……それを直接的に利用すれば、もう少し商売も上向くのでは、と」
エルフはまたも苦笑。それに対しナリシスは続ける。
「彼を眠らせ、資料がないかを探そうかと思っていたのですよ。事情を色々と知っているようですし、何か核心的な資料がこの部屋のどこかにあるはずです」
「それを使って、というわけですか……確かにウェージ様はデイン様から色々と情報をもらっていましたし、あるでしょうね。しかし――」
と、またも視線をウェージへ。
「口の軽さだけはどうしようもなかったですね……族長も、仕事の有能さだけではなくもっと口の固い人を選ぶべきでしたね」
「そうですね」
ナリシスは同意し、歩き始める。エルフの騎士の前に進み出て、真正面から対峙する形となる。
「戦う気ですか?」
エルフは眉をひそめて問う。確かに商人の娘が戦うなどという発想には至らなかっただろう。
「言っておきますが、下手に抵抗はしない方がよろしいですよ。あなたが例え間者でなくとも眠らせたのは事実ですし、申し訳ありませんがご同行を――」
彼が言った直後、ナリシスは突如手を振った。それによってまず開け放たれていた扉が、しっかりとしまった。
音によって彼も気付き、不審な目を彼女へ向ける。当の俺も同感だ。一体何をしようとしているのか――
考えた次の瞬間、もう一度ナリシスが手を振ったそれにより、今度は瞬時に結界が室内に満ちる。
「な、に?」
エルフは驚愕した。それも当然で、ここまで流れるように結界を形成……しかも、広間全体に掛けるなどという所業は、商人どころか並の魔法使いであってもできはしない。
そして、この時点で俺はナリシスが何をしようとしているのかを理解し、事の推移を見守ることにして、
刹那、ナリシスが女神の力を解放した。
「っ……!?」
これはさすがに予想外過ぎただろう。騎士は呻き、体を硬直させる。
「お、前は……!?」
「本当は敵の住処なども知りたかったのですが……ウェージ様の言動から察するに、望み薄でしょう。そして族長自身大いに警戒している。となれば」
ナリシスはエルフに歩み寄りながら、厳然と告げる。
「ここで知るべきことは、全て手に入れました。申し訳ありませんが、私達の手で、裁きを」
「な――」
次の言葉を言い終える前に、エルフは意識を手放したのか、突如膝から崩れ落ちる……気絶させた後ナリシスは気配を収め、さらに結界なども解除する。
「……力を示す必要はあったのか?」
気になって問い掛けると、ナリシスは肩をすくめた。
「一瞬で終わらせるには、動揺を誘うのが一番でしたし……何より」
ナリシスは気絶するエルフを見ながら、続ける。
「彼を神殿に戻すことはできませんが、かといって長時間戻らなければ族長もおかしいと思うところでしょう……けれど外にいるエーレ様達を呼ぶのには時間が掛かる」
「もしかして、今の力の解放でエーレ達に知らせた?」
「そういうことです。あの方なら易々と気付くでしょう」
さっぱりとした口調で語るナリシス。いや、結界越しに気配を露わにして、それに気付くというのは果たしてできるのか……そんな風に思いつつ、俺はエルフが倒れる研究室で、ただ立ち尽くしていた。




