その勇者は最強故に
――漆黒の世界が、俺の体を支配する。自分が今どうなっているのかわからない。意識も宙に浮くように、あやふやだった。
「これが……人間の秘めたる力か……魔法具を限界まで使い、なおかつあなた自身の力も覚醒するように大きくなった」
だが誰か、女性らしき声はクリアに聞こえた。眼前に相手がいるようなその声は、さらに話を続ける。
「最後の一撃、見事だった。私もあなたの力を目の当たりにして、最後だけは全身全霊をもって応じた。だが、結果はこうなった……」
声は何かを覚悟したような、静かな決意を秘めたもの。
俺は聞いて、悲しい思いを抱いた。違う――そうやって、心の中で向けられた言葉を否定する。
「現実であっても結末はこうなった。結局、私という存在はあの物語のように、いつかは滅び去る泡沫だったのかもしれないな」
俺は何か声を出そうとした。しかし、どうにもならない。唯一できるのは、あきらめたように話す、誰かの声を聞き続けることだけ。
「勝負はあなたの勝ちだ。思うが儘、魔王を好きにすればいい」
魔王――? その言葉で意識が覚醒する。視界が開け、正面に魔王――エーレが現れる。
彼女は微笑んでいた。俺の剣戟の余波を受けたためか、服のあちこちがほつれ、ボロボロになっている。
「……俺は」
そこで、声を発した。
俺は今、魔王の首筋に向け剣を突きつけている。意識は飛んでしまったのだが、奇跡的に寸止めだけはできたらしい。
そして先ほど生じた魔王すら倒せる力は、まだ剣先に集中していた。エーレの喉元に剣を突きこめば、彼女を――魔王を、滅ぼせる。
「どうした? それが最終目的ではないのか?」
エーレが問い掛ける。だが俺は、かぶりを振った。
「……あんたを倒しても、何も意味が無いじゃないか」
そう告げていた。意味が無い――エーレは驚いたのか、きょとんした表情を示した。
俺はそうした彼女を見ながら一度深呼吸をして、話し始める。
「魔王エーレ……俺はあんたに頼み事をしたくてここに来た。だが、あんたを倒せる技量がなければできないと聞いていたから、こうして刃を交えただけだ」
「ならば、私に何を求める? 命ではなく、何をすればいい?」
魔王の問いに俺は静かに剣を引いた。そして、剣に宿る力も解く。
体の内に疲労感がずっしりと来た。今攻撃を受ければおそらく避けられない。勇者と魔王の物語は、魔王の勝利で終わる。だが、エーレが仕掛ける気配は無い。
「……リーデスやあんたから事のあらましは聞いた。神と魔王は争い、そのせいで世界が壊れ、協力して世界を元に戻そうとした」
「ああ、そうだ」
「長い戦いが確執を生んだ。その溝は世界が崩壊するとわかっていても、戦い続けるくらいのもの……だからこそ大いなる真実を秘匿し、裏で秘密裏に世界を管理していた」
「その通りだ」
エーレの言葉を受け、俺は剣を鞘に収める。その挙動を彼女がじっと見つめる中――俺は、エーレに対し跪いた。
「これが俺の答えだ――俺を、あんたの弟子にしてくれ」
頭を垂れ、告げる。
沈黙が起こり――顔を上げると、呆然とこちらを見るエーレの姿があった。
「……弟子、と言ったのか?」
「ああ、そうだ」
はっきりと頷く。エーレは真意を図りかねているのか、回答を示さない。そこで、俺は改めて口を開いた。
「俺は魔王を通じ世界の管理手法を学ぶ。そして、いつか人間の手でこの世界を管理できるようにしていく。そのために、俺が最初の人間となる」
「それが……答えだというのか?」
「神と魔王の確執が全ての問題の原因だとしたら、その歪みの無い人間が管理するべきだと思う」
エーレは何も答えない。ただ俺を真っ直ぐ見つめるだけ。
「エーレ、あんたはそうは思えないかもしれないが……所詮秘匿された管理なんていずれは崩れ去る。今まで長きに渡って世界の管理は保たれてきたが、秘密が露見すれば終わる世界なんて、あまりにも危険すぎる」
「確かに、それはそうだが……」
「それに加え絶対的とはいえ、魔王が消えれば管理ができなくなる世界なんて、いつ消えてもおかしくない。それは俺という人間が現れたことでわかったはずだ。目の前に、滅ぼせる勇者がいつか来るかもしれない。だからこそ人間にもできる……それでいて強大な存在を必要としない、管理の方法が必要なんだ」
「……あなたの言い分は理解できる。しかし、あなたはその答えでいいのか?」
エーレが応じる。詰問するような目で、尋ねてくる。
「あなたがどう言おうと、現状は大いなる真実を明かすわけにはいかない……世界が混乱するのは確定的だからだ。この状況下であなたの頼みを聞き入れるなら……あなたは、大事にしていた仲間達と離れ離れになる。あなたの仲間であれ、大いなる真実を教えるわけにはいかないからな」
「ああ、そうだな」
あっさりと同意する。力強さに驚いたか、エーレはなおも問う。
「ならなぜだ? 確かに魔王を倒せた勇者ならば、この世界の管理手法を学ぶには足るはずだ……だが、なぜ仲間達と別れるような真似をする? あなたは仲間のために、私と戦っていたのではないのか?」
「後悔しないためだ」
はっきりと答えた。俺はエーレを見返しながら、説明する。
「仲間達は大切だ。もし俺が魔王を倒したと凱旋したなら、もう仲間達も戦わなくて済むかもしれない。天寿を全うするまで、平和に暮らせるかもしれない。逃げ帰ったとしても、仲間達は慰め、俺の決断次第では戦うことをやめるかもしれない」
「ならば――」
「だけど、俺は必ず後悔する。大いなる真実を知り、それをわかっていながら何もしなかった、何もできなかったことを、必ず悔やむことになる。仲間達に大いなる真実を話せば、無理らしからぬことだと言ったかもしれない……俺は多くの失敗を得て来たけど、魔王を倒すまでは正解と思しき道を辿ってこれた。だから仲間達は、苦悩も全て受け入れ、慰めるかもしれない」
俺はエーレの表情を窺った。彼女はひどく戸惑っている様子で、言葉を待っている。
「だけど、俺は勇者だ。それじゃ駄目なんだ。俺は、前に立って多くの人を背にして立ち向かう人間だ。弱みじゃなく、慙愧の念を抱いたままにするなんて、間違っている」
話しながら、自分は勇者と言う称号に重きを置いていなかったのを思い出す。けれど今は強く、自分を勇者だと自覚できた。
「勇者であり、人々のためにできるのは……この世界をより平和にすることだ。だからこそ、俺がその礎になる。そしていつかまた仲間達と出会い、話せる時が来るその時までに、何も後悔がないようにしたい」
そう言い切ると言葉を止めた。願いはこれで全て。
エーレは話を聞いて俯いた。何か反論でもするのかと思った瞬間――彼女の笑い声が聞こえた。
哄笑か何かと思ったのは一瞬で、エーレが本気で、心の奥底から笑っているのが、はっきりとわかった。
やがて彼女は笑いを止める。同時に、申し訳なさそうに言った。
「ああ、すまない……笑ってしまった。いや、馬鹿にしているわけではない。ここまでいろいろと見通しているとは思いもしなかったから、思わず感情が爆発してしまった」
エーレは笑いながらも自分の恰好を確認する。服についた埃を適当に払うと、彼女は小さく微笑んだ。
「勇者セディ。あなたの主張、確かに聞き受けた。そうだな、確かに私だけが全てを統括する世界等、いつ消え去ってもおかしくない。それに、あなたのように大いなる真実を知り苦悩するような勇者ばかりではないだろう。もしかすると、私を殺す勇者が今すぐにでも、出てくるかもしれない」
「それじゃあ……」
「願い、聞き入れよう。いずれ来るかもしれない本当の平和を願い、私があなたに全てを教えよう」
魔王エーレは優しく告げた。これが勇者と魔王による、物語の終焉だった。
「色々とやることはあるが、ひとまずは休息だ。焦ってやってもロクなことにはならない」
そうエーレに言われ、俺達は最初にお茶をしたテラスへ来た。エーレも着替えを済ませ(といっても、同じ衣装であったが)俺と共に席に着き、お茶を飲み始める。
「さて、とはいえ問題は山積みだ。神と魔王の確執がある以上、そう簡単に解決できない」
「俺の答えとしては共存も一つの選択だけど、互いの境界を出ないようにする、なんて方法もありじゃないかと思う」
「なるほど。魔族は魔界。神々は神界と境界を分けるのか。だが、それで全て上手く収まるわけではないな。魔物の問題もある」
「どんな風になるのかは、ずっと未来の話だ。俺が死ぬまでに終わるようなものじゃない。管理の道筋における、足がかりとなればいい」
もし大業を成すことができなければ、新たな勇者――勇者じゃなくてもいいが、意志を継いでくれる存在を探せばいい――
エーレは小さく頷いた。その後、疑問を投げかける。
「セディ、今回の結論に当たって、そちらには問題があるだろう。あなたの仲間達はどうするんだ?」
「適当な理由で、どこかに転移させられ彷徨っていると、幹部の誰かに言ってもらえればいい。行方不明にするのが落としどころだろうから」
「あなたの仲間達にとっては、良い結末とは言えないな」
エーレの言葉に、俺は沈黙する。結局、仲間のために戦っていたのに、最終的に仲間を見捨てる羽目になってしまった。きっと、前みたいに泣いてしまうだろう。
だが俺は、それらを振り切るようにエーレに話す。
「けど、エーレ。もしかすると、俺は仲間達に話せる時が来るかもしれない。今後悔しても始まらない。仲間も言っていたけど、やってしまったことの善し悪しを判別できるのは過去になった時だけだ。だから、今は後悔しないように動くしかない」
「……それもそうだな。確かに今後、仲間達とは最良の結末を迎えるかもしれん。それを信じて進もう」
魔王の言葉に、俺は仲間達の顔が浮かぶ。
もしみんなが大いなる真実を知っていれば、こうした結末も頷いてくれたかもしれない。だが、俺は今一人でいる。今は一刻も早く仲間達に報いる必要があると思った。
考えていると、エーレが再び声を上げる。
「これからどうするかは追って考えよう。私にとっても……魔族が存在した歴史の中でも初めての事例だ。どのようなやり方が合うか、色々と試す必要もある」
「……そうだ。エーレ、一ついいか?」
俺は疑問に思ったことをエーレに尋ねる。
「魔王城にいる魔族達には、どう説明するんだ?」
「まずあなたが来るという時点で、大いなる真実を知らない魔族は外に出している。あなたへの処遇に納得のいかない者もいるだろうが、その辺りは任せておけばいい。悪いようにはしない」
「わかった」
諸所の問題はあるかもしれないが、とりあえずどうにかできそうな気配だ。一口お茶を飲みながら、ゆっくりと息をつく。
会話が途切れる。エーレもお茶を飲みながら、景色を眺めていた。魔王の横顔はひどく澄み切り、憑き物が落ちたように晴々としている。
「今から始まる……成功するかもわからない試みではあるが、これほど清々しい気分は久しぶりだ」
「清々しい?」
「私は共感者を求めていたのかもしれない。思えば私は魔族の頂点に立つ以上、同じ志を共有する者など出るはずもなかった。しかし今は勇者という全く違う者と志を共有している。それにより、少し気分が昂ぶっているようだ」
俺はエーレからいたく評価されているらしい。ただ彼女は魔王であるため、引っ掛かりを覚えるのも確かだ。
「奇妙だと思うか?」
心情を察したか、彼女は向き直り尋ねてくる。俺は一度誤魔化そうと口を開いたが、思い直し本音を話した。
「ああ、魔王に共感を得られるとは思っていなかったから」
「仕方ないな。まあ、その辺りはおいおい慣れるだろう」
エーレは断じると、軽く腕を組んだ。
「いずれ神々にもこの話をしよう。こうした勇者がいるとなれば、喜ぶに違いない」
「……そこが未だに信じられないんだけど、本当に神々と話をするのか?」
「ああ」
さも当然と言わんばかりに、エーレは答える。
「かなり気さくな方だぞ。良く話し合う神の趣味はバイオリンらしい」
「全く想像できない……」
「確かに似合わないな。それに趣味であるだけで、上手くはない」
そのセリフ、神様の前で言ったら天罰が降りそうだ。俺が困惑すると、エーレは表情を見て苦笑した。
「まあ、あなたには信じられないかもしれないが、こうしてこの世界は回っている。想像できない話だと思うが、これが世界の常識だ」
「そうだな……けど、人間だって世界に住んでいる以上、魔王以外にも大いなる真実を背負えるはずだ。フォシン王国の王様のように」
「ああ、確かにそうだ」
エーレは同意すると、途端に表情を引き締めた。
「勇者セディ。あなたはこれから私を倒すための苦難以上に、困難が待ち受けているはずだ。大いなる真実を知らない存在が多い世界。その中で、この世界を管理していくことがどれほど大変なのかは、想像し辛いかもしれないが」
「……ああ」
「だが、大いなる真実を知っている者達は、間違いなくあなたに手を差し伸べてくれる。勇者がこの管理に携わるのは初めてだ。しかも、その勇者は私に力で比肩しうる最強の存在。これ以上の戦力は、いないだろう」
エーレは言った後、立ち上がる。俺もまた、エーレに合わせて立った。
「多くの人々のために、協力してほしい」
彼女は右手を差し出す。俺は黙ったまま頷き、右手を差し出し握手を交わした。
その時、横から光が見えた。首を向けると、太陽光に当てられ湖面がキラキラと輝いている。魔界でもこうした景色が生まれるのか――そう思いエーレに顔を向けると、彼女は小さく笑っていた。
俺も釣られて笑う。二人の意志が合わさったのを祝福するように、湖はいつまでも輝いていた。