森への途上
「さて、ここからは徒歩になるな」
目的地となるエルフの森に一番近い町――早朝時刻。馬を町へ預け、今から森へ向かおうという段階となり、エーレが呟いた。
彼女は外套に白銀の鎧姿であり、恐ろしい程似合っている。鎧自体はこれまでいたマヴァスト王国の物だが、簡単に装飾なども施され多少なりともアレンジが加えられている。これはきっと、エーレの趣味だろうな。
「なあ、エーレ」
どこか活き活きとした様子の彼女を見ながら、俺は問い掛けた。
「城の仕事は……本当に、大丈夫なんだろうな?」
「ん? 当然だろう。だからこそ私がここに来ているわけだが」
「……仕事を放り出して、好奇心とかで森に行ってみたくなった、という理由じゃないよな?」
確認してみると、エーレは力強く頷いた。
「無論だ」
「……その割にはそわそわしているような気がするのは、俺の思い違いか?」
「……そんなことはないぞ」
首を振るエーレ……けど、態度から色々と滲み出ている。
「お姉様だって仕事を放りだしてというのはあり得ませんし、大丈夫でしょう」
と、ここで俺の横にいるシアナの言葉。視線を移すと、なんだか苦笑を伴った彼女。その姿はこれまでと同様ローブ姿であり、どこか傍観的に姉を見つめている。
――俺達は現在、エルフの住処であるアイストの森への途上。名目上はマヴァスト王国が助力を願いたいとのことで、騎士と共に向かって欲しいと依頼された形。
建前としての俺やシアナの役目は、エルフ達に先の事件に関することを克明に伝え、協力してもらえるよう騎士の援護をする……実際は大いなる真実に関することが脅かされそうになっており、その原因がエルフにある……と王に説明し、調査する。
で、同行者としてなぜか魔王エーレがやって来た……大丈夫だと彼女は言っているが、俺としては大いに不安だ。
実力的には申し分ないし、はっきり言ってこれほど心強い味方もいない。けれど、城を放り出して大丈夫なのか――
「言っただろう? 私がいなくとも大丈夫な体制は整えたと」
俺の不安顔を見てか、エーレは口を開いた。
「それにいざとなれば、私だけ城に戻ることも可能だ……指揮権まで放棄したつもりはないからな。ここに赴いたのは事態が悪化の一途を辿り、悠長に調査していては手遅れになることを考慮してだ」
「……でも、エーレが来たことはほとんどの魔族に言っていないんだろ?」
「ああ」
即答するエーレ。俺としては頭を抱える他なかった。
現在城には、エーレが信用できる部下だけを残しているらしい。その中にはファールンなんかもいて……書類を決裁する場合、彼女が代理で処理をするケースもあるらしい。そんな大役任せていいのかと俺は驚く他ないが、エーレはしかと頷いた。
「それに、城を開けるといってもこの調査についてだけだ。ほんの数日……そのくらいは、仕事が溜まっても問題ない」
本当にそんなのでいいのだろうか……思うのだが、これ以上質問しても意味はないと感じ、言及は控えることにした。
「わかったよ……で、一応エーレがエルフ達と交渉することになるわけだが、大丈夫なのか?」
「任せておけ。魔王の力、とくと見せてやろう」
……そんな所で魔王を誇示されても。まあ、とりあえずエーレに従うことにしよう。
それから俺達は森へと歩き出す。歩くペースもそれなりだし、昼過ぎには到着できるかもしれない。
「セディ、疲れたのなら遠慮なく言ってくれ」
「……わかった」
俺はエーレに配慮され、思わず苦笑しそうになった……勇者と魔王が手を組むという状況を、魔王が共に行動していることで改めて認識したためだ。
「到着したらまずはアイストを仕切るエルフに会う……書状を渡し、相手の出方を窺うことにする」
そんな中、エーレが俺とシアナへ説明を始めた。
「セディが天使ヴランジェシスと戦っていたという事実は、既に敵も周知していることだろう……反応を見て、都度対処していく」
「情報を隠されたらどうする?」
俺が問うと、エーレは笑みを浮かべる。
「何か隠しているという反応があれば、私達の目的がここにあると考えてよいだろう……敵だってせっかく手に入れた技術を捨てるわけにはいかない。注意深く探して行けば、見つかるはずだ」
「けど、今までと比べてすぐに見つかりそうにはないだろうな」
嘆息する俺……何せ、相手はエルフだ。人間達からすれば『賢者』と謳われる彼らが、ヘマをするとは到底考えられない。
「敵の出方がある程度決まれば、私が考えよう……それと表向きはマヴァストからの要請だ。基本私が前に立って話をするから心配するな」
「……大丈夫なのか?」
いきなり拳を振り下ろす真似なんてしないと思うけど……一応訊いてみた。
「私は喧嘩っ早く見えるのか?」
対するエーレの返答は心外という感じ。俺は首を左右に振りつつ、
「いや、話をすること自体……きちんと整合とれるのか?」
「必要な情報は頭に入っている。心配するな」
断言するエーレ……ま、俺より頭が良いことは間違いないし、ここは信用するとしようか。
後は適度に雑談を交えつつ俺達は歩を進める。気候は旅をする分には少し暑かったが、風が心地よく汗をかくこともほとんどない。
「エーレ、こうして出てくるのは初めてなのか?」
俺はふと疑問を口に出すと、エーレは小さく頷く。
「これほどの緊急事態もなかったからな」
「逆に言えば、それほど危ないというわけか」
「手が足りん、という点もあるが」
と、エーレは憮然とした面持ちを示す。
「今回、大いなる真実を知らない魔族の調査を平行してやっているのだが、そちらだけでもかなり負担だからな……加え、元々ギリギリの数で運営していたこともある……本来はそうした不足分をセディやシアナに解決してもらおうと思っていたのだが……裏切っていた魔族が判明し、減るばかりだな」
「……なるほど、な」
「セディ、だからといって気負う必要はないぞ。いざとなれば私達が最大限のフォローをする……それこそが、私達の役目なのだから」
決然と言ったエーレに対し、俺は少し考え、
「……最悪のケースとは、戦争とかか?」
問うと、彼女は目を細めた。
「それで済めばいいが」
「上があるのか?」
「最悪は、この世界が諸共消え去ることだ。敵が逆上し、何か仕掛けるなどという可能性もなくはない」
――そんなことをする力があるのか、という疑問は抱いたが、エーレは至極真面目に語っている。そうしたケースを想定し、対応する術を考えておくという心持ちなのかもしれない……そしてこれこそ、管理に必要なことなのかもしれない。
「とりあえず、エーレが出たにしてもまだ抑えられる範囲か。なら今回の任務である程度真相に辿り着かないといけないな」
「まさしく」
返事をして……その時、彼女の口からため息が漏れた。
「どうした?」
疑問を呈すると、エーレは俺と視線を合わせた。
「いや、つくづく奇妙だと思っただけだ」
「奇妙?」
「勇者が魔王を倒すという小説の世界では、大抵は勇者が力を得たり、あるいは努力を重ね倒すという構図だ。しかし今回はどうだ。敵が様々な実験を行い、力をつけようとしている。これは見方によっては、努力と呼べなくもないだろう?」
「……ニュアンスがだいぶ違う気がするけど、確かにそうかもな」
よくよく考えると、こちらのメンバーはそれこそ一騎当千――いや、それ以上の強者揃いだ。魔王エーレを始め妹のシアナ。さらに弟のディクスや、それに連なる魔王軍幹部……ついでに、魔王を倒せる力を持つ俺に、女神を始めとした神々や天使……敵としては、途轍もなく強大な敵に違いない。
「逆に言えば、私達がそれを止めるということは、なんだか悪役のような立ち位置という感じでもある」
「……構造は、そうだと言いたいだけだろ? 実際は、相手が秩序を乱しているわけだし」
「そうだな……無駄話は、これくらいにするか」
エーレは唐突に話を中断すると、前を向いた。俺はそれをなんとなく傍観者的に眺め……ふいに、シアナが口を開いた。
「風景、綺麗ですね」
「ああ」
即答するエーレ……どうやら、街道に沿って見える風景を大層気に入ったらしい。
「こういう緑は、魔界にはないからな……正直、ずっと見ていたい」
「……エーレも、大変なんだな」
そんな感想を俺は呟きつつ――目的地へと歩み続けた。




