魔王の弟
「顕現せよ――竜の庭園!」
ディクスの声と同時に床に突き刺した刀身から魔力が放たれ、俺達の立つ廊下を覆い始める。その範囲は俺の所までも到達し――やがて、囲うような結界を成した。
「勇者セディを待ち、結界を発動させたのか。しかし、この程度――」
ヴランジェシスは薙ぎ払うようにして床を斬った。しかし、
「何……?」
途端、訝しげな声を上げる。
「女神の武具なら、あっさりと結界を壊すこともできただろう。何せお前は、天使だから」
ディクスが言う……同時に、剣を構え直した。
「しかし、今使ったのは竜……新竜の魔法具だ。大地の魔力を利用し生み出した結界……そう易々と壊すことはできない」
「……面倒な魔法具を持ったものだ」
ヴランジェシスは歎息しつつ、肩をすくめた。
「後悔させてやろう……結界を構築したことにより、追い込んだのは自分だと」
「こっちのセリフだ……セディ!」
彼が指示を行った――直後、俺は走った。目標は背中を見せているヴランジェシス。さらにディクスも斬りかかる。挟撃の状態であり、ヴランジェシスを捉えたと思った――
「……ふん」
対する天使の反応は、まず俺へと首を向け、放たれた斬撃の軌跡を追う。
次いで剣をかざし一撃を防いで見せた――が、続いてディクスが真正面から迫る。どうするつもりなのか――
「無駄だ」
ヴランジェシスは一喝し――ディクスの剣を左腕をかざし防ぎ切る。
「貴様の剣は通用しない」
「……だろうね。この状態なら」
余裕のヴランジェシスに対し、ディクスは表情を崩さない――刹那、その腕に刃が食い込んだ。
出血などはしない。けれどその反応にヴランジェシスは何かを悟ったか――剣を勢いよく弾くと、さらに俺も押し返し距離を取ろうとする。
ここだ――俺は直感し、シアナの魔法具による収束を加え、ヴランジェシスへと仕掛けた。相手は俺とディクスから距離をとろうとするが、その背後は壁――
「見事な連携だな」
端的にヴランジェシスは言うと、今度はその全身から魔力が生じた。
一瞬、仕掛けるのを中断しようかと思った程の濃い魔力――けれど、俺は薙いだ。
斬撃がヴランジェシスの剣へと当たる。けれど武器破壊などはできず、逆に弾き返された。
ディクスもまた同様に防がれ、弾かれる。結果挟撃は、ヴランジェシスは壁を背にして立ち、俺達と対峙する形となる。
「これで、そちらの優位はなくなった」
決然と言ったヴランジェシスは、剣をかざすと俺達を値踏みするように視線を流す。
「そもそも、私に挟撃で勝とうというのも愚かだとは思うが……」
「……セディ。私が食い止める。だから全力で魔力を込め、突撃してくれ」
天使が話す間にディクスが言う――意図はすぐにわかった。ディクスがヴランジェシスを抑える間に、魔王すら打ち破れる全力の一撃を叩き込めということだ。
俺はそれで大丈夫なのかと一瞬口に出しそうになった――が、その時有無を言わせぬ無言の圧力が俺を襲う。
――私を心配する必要はない。そう、ディクスは語っていた。
「……ああ」
俺は承諾し、魔力を加える。この場でディクスは全力を出すことができない。もし倒すとなれば、俺の……エーレを破った力しかない。
本来は神々の力であるため、通用しないはず……けれどシアナからもらった指輪の力で、目の前の天使に通用する。
「凄まじい力だな。ここまで戦い続けてもなお、それだけ余力があるとはさすがだ」
一方のヴランジェシスは顔色一つ変えず答えた……この剣は、間違いなく目の前の天使を滅ぼせるはず。それでいてなお、余裕を抱いているのは――食らわないと考えているためだろうか。
「ならば、来い……私が、引導を渡してやる」
声の直後、俺はさらに魔力を込め――正面から、駆けた。策も何もない、ただひたすら愚直な突撃。最強の一撃を放つべく、思考を捨てた攻撃。
それは、ディクスを信じたからこその行動だった……思えばディクスとはこの事件で深くかかわっただけで、シアナのように交流を重ねたわけでもない。しかし彼の行動原理全てが人のためという魔族に似合わない――それでいて、大いなる真実を守るべく活動している姿を見て、触発されたのかもしれない。
合わせてディクスが走り、前に出る。するとヴランジェシスは俺達の作戦を察知したか、歪んだ笑みを浮かべた。
「――終わりだ」
核心を伴った言葉。その剣の狙いは、ディクス。
いや、より正確に言えばディクスごと俺を斬ろうという腹積もりなのかもしれない――
ヴランジェシスの剣が振り下ろされる。その一撃は俺の剣と同様恐ろしい程に魔力が練り込まれており――ディクス!
胸中で名を読んだ刹那、ディクスとヴランジェシスの剣が衝突した。一瞬の攻防であり、瞬きするようなほんの僅かな時間。その中で、
「――全力は出せないけど、このくらいのことはできるさ」
ディクスが言った。それは果たして、誰に言った言葉なのか。
そしてヴランジェシスの顔に――驚愕が走った。刃は止まり、剣すら破壊することができず、鍔迫り合いとなる。
「言っておくが、剣術だけをとってみれば、私が兄弟の中で一番だからな」
その言葉で、先ほどのセリフは俺に言ったものだと気付き――瞬間、ディクスがヴランジェシスの剣を大きく弾いた。
「なぜ――」
天使の顔は驚愕に染まったまま。そこに俺が接近し、
「――おおおおっ!」
絶叫と共に、剣を、一閃した。
俺は剣を振り抜き、ディクスはヴランジェシスが驚く間に一瞬で距離を置いた。そして――
剣が、天使の体へしかと入った。
ヴランジェシスは声も無く、一歩、壁際に近寄る。俺は攻撃を終えると僅かながら一歩下がり、
「なぜ、だ……?」
ヴランジェシスは、俺の斬撃を身に受け立ち尽くした。
右肩から斜めに一閃したのだが……出血し、やがてゆっくりと、彼は崩れ落ちる。
「なぜ……貴様は……」
「その理由を話すつもりはない」
ディクスが冷淡に返答する……先ほどの魔力になぜ対抗できたのか、と問いたいに違いなかった。
「だが、一つだけ言える……天使として、私達を大いに油断していた……それが、決定的な敗因だ」
厳然と述べた、直後――ヴランジェシスは崩れ落ち、同時にその体が光り始めた。
「私、は……まだ……」
それでも奮い立とうとする天使……しかし、それは意味を成さず、
血だまりを残し、彼は光となって消えた。
その姿が完全に消えたのを見て、俺は床に目を落とす。
「……天使は肉体を所持しているけど、許容量以上の魔力を身に受ければ、体が分解するようになっている」
そこでディクスが、俺に解説を行った。
「血が残っているのは、体から離れていたためだな……セディ、助かった。私一人では、力を解放しない限り倒せなかった」
「……最後は、どうやって防いだんだ?」
なんとなく疑問を抱き尋ねると、ディクスは「簡単な話だ」と応じた。
「私の体には、悟られないよう魔力を放出寸前で留め蓄える術式を組み込んである……勇者として活動する間は、誰にも露見されないよう少しずつ魔力放出してバレないよう蓄える。これまでの戦いでそれもずいぶんと消費していたけれど、残りをヴランジェシスに対抗するためつぎ込んだ。それだけだ」
……タネがわかればそれほど難しいことではなかったが、ヴランジェシスから見れば人間が自分の攻撃を防いだように見えただろうな。
「さて、どうやら脅威は消えたようだ……セディ、ここに来たのは天使の動きを察知したためか?」
「ああ……けど、話は長くなるから後で話そう」
「わかった……そういえば、カレンさんを見た?」
「ああ。気絶していた」
「そうか……ならいったん、彼女のことを優先し、落ち着いたら城の周辺に悪魔がいないか確認してもらえないか」
「わかった。ディクスは?」
「私は城内の人間と連携して、この事態の収拾を始める。ところで、シアナ達は?」
「街で悪魔を倒しているよ。赤き悪魔にも適応できたみたいだし、おそらく大丈夫だ」
「そうか。では動こう」
「ああ……!」
応じた直後、走り出す。そうして俺は、この戦いを完全に終わらせるため元来た道を逆走し始めた――




