敵か味方か
天使の顕現――俺は咄嗟に応じることができなかった……ほんの一瞬、天使の名を騙った魔族か何かなのではないかと思ったのだが、この暖かい魔力が無言で彼の主張が正しいのだと伝えている。
「今回の事件、私は奴が特殊な実験をしているとわかり、調査に赴いた。そしてそれは魔族達に対する陰謀だと知り、相手が何をしているのか明確にわかった段階で、私が奴を裁いた」
「それが……フォゴンが逃げた時だったのか?」
「そうだ……訊き出すために、あそこまで追い込まなければならなかった」
追い込む――俺は僅かながら違和感を覚えた。屋敷を出るフォゴンは慌てている様子などなかった。昨夜は怯えていたにも関わらず今朝になってそれがなくなり、悪魔達を利用し脱出を果たした。
もし天使が近くにいて裁こうとしているのがわかれば、傍に置くような真似はしないし、おびえ続けてもおかしくない……となれば、フォゴンは別の理由で、右往左往していたということなのか?
「そして、残るは悪魔だけ……騒動を起こしてしまったことは私も悔やまれる。だからこそ、討伐を行うことにする」
「……さっきの試練というのは、どういう意味だ?」
本来は天使相手なので委縮してしまうのが普通なのだが――アミリースと接した慣れなのか、それとも根源的にまだ疑っているためか、いつもの口調で俺は問い掛ける。
「フォゴンの撒き散らした災厄に勇者達が対応できるのか試すことができる……という意味だ。共に魔王と戦う存在である以上、私達は常に人々を見ているため、そういう言及をした。不快に思ったのならば、訂正しよう」
「いや……」
俺は首を左右に振ろうとして――動きを止めた。体にまとわりつくような、嫌な感覚が全身を襲う。目の前の天使長という存在を見て、何かがおかしいと頭が警告を発している。
目の前の天使は本物なのか……そして、彼の言っていることは本当なのか?
「さて、城に向かっているのだろう? ならば私のことを伝えてくれ。こちらは悪魔の討伐を始めることにしよう」
そう相手は提案をしてくる……これは、一体どういう意図で言っているんだ?
天使であることを踏まえれば、彼はフォゴンを裁き、その理由を俺から伝えて欲しいと言っているのはずだが……それを鵜呑みにしてもいいのか?
唐突な展開により、頭の整理が追いつかない……いや、ここで重要なのはまず、目の前の天使が大いなる真実と関連する存在なのかどうかだ。もし大いなる真実を知り管理を女神から任されているとしたら、彼の言葉をそのまま信じてもいいかもしれない。
けれど知らない場合……フォゴンを何かの目的で殺したのだとしたら……考えたくはないが、目の前の天使が敵だという可能性も、十分あるのではないか――
「どうした?」
ヴランジェシスが問い掛けてくる。俺はどう返答しようか迷い口を動かそうとして、
「……そうか、混乱しているのか。それもまた仕方ないな」
天使は小さく肩をすくめ――突如、翼を消した。
どうやらあの翼は背中から直接生えているのではなく、魔力か何かで形作られているのだろう。
「わかった、いいだろう……そちらは一度頭の中を整理して、ゆっくり城へ向かってくれ。その分私が働こう」
――刹那、俺の頭の中にある予感がよぎった。もしこのまま目の前の天使から目を離せば……何か、取り返しのつかないことになるのではないか。
けれど、これはあくまで俺がそう直感しただけ。彼の言った『真実』は証拠となるようなものもないが……だからといって、俺の予感が正しいかもわからない。
どうすればいい……? 悩んでいる間に、天使は俺に背を向けた。
「それでは……戦いが終わった後、会おう」
「……ちょっと、待ってください」
その時、俺は考えがまとまらない中、敬語に口調を変え呼び止めた。
「一つだけ、聞かせてください」
俺は何を言おうか必死で頭を巡らせながら続ける。するとヴランジェシスは反応し、体を半身、こちらへと向けた。
「どうした?」
小首さえ傾げ、俺に問う……所作だけ見れば邪気は一切なく、俺の予感が全て間違いのような錯覚さえ受ける。けれど――
俺は、頭の中に質問が浮かんだ。そしてそれは、
「――女神や、それに仕える天使の方々に遭遇したら、訊こうと思っていたことがあります」
相手が敵なのか味方なのか――確かめる、何よりの手段であると確信した。
「ああ、どうした?」
「……俺は、一度魔王城に赴いたことがあります」
――その言葉に、天使の顔が僅かながら驚きに変わる。
「そして、魔王と遭遇した……はずでした。その時の記憶が無いまま、俺は……その」
「魔王によって、何か施されたと?」
ヴランジェシスが問う。俺は小さく頷き、続きを話す。
「……俺は僅かな時間でしたが、魔族として活動していました。今はこうして勇者として剣を振ることができています……それは、仲間のおかげです」
「なるほど、言いたいことはわかった。つまり、勇者としての資格があるのかどうか、確認したいというわけだな?」
俺はそれに頷いた――とりあえず、相手を繋ぎ止めることには成功した。
本当に質問したいことはこれではない……けど、この場で色々話ができるきっかけにはできた。
俺が魔族であったと知れれば、大いなる真実を知らない神々がどう思うか少し危惧もあった……まあアミリースもいる。なんとかなるだろう。
それよりも、この天使から目を離してはいけない……そうした頭の警告に、俺は従った。
「いいだろう、少しばかり診よう」
告げたと同時にヴランジェシスが手をかざした――それは暖かな光を生み、途端に俺を包みこむ。
「っ……!」
「心配するな」
言った後、すぐに光は消えた。あっという間に検査は終わったようだ。
「ふむ、悪しき魔力は存在しない。魔族の力は消えたと断定してよいだろう」
「……ありがとう、ございます」
俺が礼を述べると、ヴランジェシスは「構わん」と応じた。
「さて、他に気になることはあるか?」
「……では、最後に一つだけ」
来た、と心の中で呟いた。今度こそ、俺の考えていたことを実行する時。
「……その魔族としての記憶の中で、仲間にも話していないことが、一つだけあります」
「何?」
「多少ながら、憶えていることもあったわけです……かなり断片的ですが、完全に記憶を消すことができなかったというわけですね」
「それで、その内容は?」
ヴランジェシスは興味を抱いたか、質問を寄せる。その眼の光は、どこか俺の言葉を予想している雰囲気もあり――
「男性か何かの声で……『大いなる真実』という言葉を憶えています。それはさも重要そうな単語であり、また俺が魔族討伐をした際出てきた単語でもあったため、気に掛かっているのですが――」
まず確認すべきは、目の前の天使が『大いなる真実』を知っているかどうか。だからこのキーワードを引き合いに出し、反応を窺うことにする。
ヴランジェシスが知っているのか知らないのか、直接的に語るような真似はしないだろう。だからここからは態度を見て判断するしかないのだが――
「……そうか、幹部クラスの相手と戦い続けてきた勇者である以上、そうした単語に自然と辿り着いたというわけか」
ヴランジェシスはどこか納得したように呟いた。これは――
「その言葉を聞いて、勇者セディはどう思った?」
「……俺は、安直に魔王と悪しき人間が手を結び、色々とやっているのではと思ったのですが……」
「惜しいな、色々と人間の見えない場所で何かをしているのは間違いない……だがそれは、おそらく勇者セディの考えの及ばないことだ」
彼は笑みさえ浮かべながら話す……間違いない、ヴランジェシスは大いなる真実を知っている。けれど、反応が変だ。
管理の枠組みにいるとすれば、露見しないように誤魔化してもいいはずだ。それを、俺が興味を抱くように含ませた会話を成立させるのは……変じゃないか?
「聞かせて、頂けませんか?」
もしここで嬉々として目の前の天使が話したのだならば……相手は間違いなく、大いなる真実を知りながら、管理をしている存在ではないだろう。
それはどういうことなのか――エーレの推測通り、偶然真実を知ってしまった存在なのではないのか――
「いいだろう。魔族を討ち破ってきた勇者セディの頼み……話そうじゃないか」
ヴランジェシスは言った……俺は、緊張した面持ちで相手の言葉を待つ。
「まず、前置きしておくが……先ほどフォゴンに対し説明したことは嘘だ。他に理由があったため、殺した」
そんな風にまず話し出す……となれば、やはり――
「その理由は、この世界の管理における話に繋がっていく。信じられないだろうが、この世界は……魔王と神が手を組み、世界を管理している」
――内容はかなり概要を省いたものではあったが、ある種確実な事実。
「……は?」
対する俺は――演技がバレないかとヒヤヒヤしつつ、呆然と聞き返した。
「管理……?」
「信じられないという顔だな……当然だ。私だって、最初信じられなかったのだから――」
そしてその顔が、醜く歪む。それは紛れもなく、怒りの表情だった。




