信頼
気導――人間、誰もが持つ力。オーラとも呼ばれるが基本的は気導と呼ばれる。体の強化から、気導の達人になると空を飛ぶことすらできるようになる。ようするに何でもありな能力。
気導力――気導の量。多ければ多いほどに大規模で、応用の効いた技が使えるようになる。また、効率よく使うにも訓練が必要である。
威厳に満ちた男たちは地図を一瞥しては討論を開始し、指さしては怒鳴り声を上げる。
場には殺伐とした空気が漂い、顔には緊張の顔が浮かんでいる。
これからこようとしている敵が好敵手に間違いなく、また自分たちが破れてしまえば、無垢な人々の命を守れないという強迫観念にも似た責任感に押しつぶされそうになっていた。
それを積み重ねた経験と修羅場をくくり抜けてきた自信で蹴り飛ばし、勇気と己への怒りで自分を奮い立たせていた。
「情報部隊長…帝国重装騎兵師団か…帝騎兵がこちらに向かっている情報は本当か?」
初老の男のその気導力を込めた確認の一言とともに、皆が視線を情報を持ってきた者、情報部隊長に向ける。
最前線で戦ってきた歴戦の戦士たちの威圧は並の者なら震えが止まらなくなり、言葉を発することすらできないであろう。
が、しかし情報部隊長も歴戦の戦士の一員である。階級は大佐、名をルース・アー・ボームニア、齢は30を超えたばかりで、士官学校同期でも異例の出世を遂げている男である。
また、ボームニア地方を収めるボームニア家の三男である。
「間違いありません。我々が選りすぐった斥候兵たちからの情報です。敵の数ですが、先方部隊で1万、後に続く部隊を合わせれば、戦闘兵は3万近いと推測されます」
よく透き通った声だった。
シーンと静まる。
………。
……。
…。
一拍子、二拍子、三拍子の時間をおいてまた話し合いがはじまる。
「10万の軍勢は虚勢ではなさそうだな。我々の手勢で防げるのだろうか」
「うむ、このまま正面から敵に立ち向かうのは得策ではない。こちらの軍勢は半分に満たない」
「ビオン少将が率いるファランクス兵で食い止めて、我々が一斉攻撃を仕掛けるのはどうだろうか。密集した各々の気導力を防御に使い、固まられた部隊は分散されにくいという利点がある。敵の攻撃を凌ぎ、分散させた後に確固撃破をしていけば…」
「しかし、帝騎兵ともなると通用するとは思えない。その極めて高い機動力とファランクス兵に勝るとも劣らない気導力の前ではねじ伏せられてしまうであろう。我々が身を以て体験したことだろうに」
「いや、そもそもこの情報の信憑性を問いただしたいものだ。 帝騎兵はエルザ姫…特別顧問が撃破したばかりだぞ…そう簡単に兵力の補充がきくものなのか?」
「うう…む」
納得と覚悟、そして困惑を含んだ顔をした者もいる。
そのうちの一人の将校が声を上げる。
「この規模の兵力を抑えるには、野戦を繰り広げるわけにはいきません。陣営を盾にして防衛線を展開するべきです。兵力差は絶望的というわけでもありませんので、敵は恐らく包囲網を敷くことができないでしょう。彼に包囲されても、我々が確固撃破していくだけです」
続けて違う将校が控えめに答える。
「敵の兵力の分散させる方法さえあれば、野戦を展開してもよろしいと思うのですが…」
吟味した上で、困惑の表情をした将校の一人が述べる。自慢の髭を弄りながら、目を細める。整えられた口髭が印象的な男で、名をブラウン・アー・ハミニアといい、階級は少将である。主に辺境陣営にいる銃兵の総指揮をしており、本人も気導を用いた遠距離系攻撃が得意である。「熱血の銃騎士」または「能ある爪を隠さない鷹」とも呼ばれ、血気盛んであり、同時に自画自賛を惜しみなくする男である。
軍が退却を余儀なくした時に、たった一人でしんがりを務め、1千以上いた敵の前線部隊を足止めをして、見事に生還を果たした話はあまりに有名である。
愛嬌ある性格と、まがった事は死んでもやらないという姿勢から、軍の中でも彼のファンが多い。
「えぇとぉ…ル、る、るーニー君だっけ? ほら、あの情報部隊長のルーニーだ」
さも本当に忘れてしまったかのような顔をしながら、どもりながらそう告げる。
将校たちの緊張した顔が若干ではあるが緩む。
彼の更年期障害のぼけによる発言ではないと誰もがわかっているからだ。
「ルースです」
時間が惜しくなったのか、情報部隊長…ルースはわざと分らないふりをしている生徒に答えを教える先生のような表情をする。
ブラウンは皮肉が通じたことと、律儀に答えてくれたルースに軽く会釈をし続ける。
「ああ、そうだった…ルース君だ。…そのルース君の情報によると帝国重騎兵師団、帝騎兵が来ているらしい。我々があれだけの損害をだしてようやく撃退した帝騎兵がだ。それもつい先月のことの話だ。…その時、後顧の憂いを絶つため、半数いや七割以上は戦闘で殺したはずだ。何年もかけて訓練されるべき兵が、ましてやあの帝騎兵がたったの一月で補充できるはずがないだろう。それがワシの疑問点だ」
ブラウンは先ほどの好々爺から人が変わったように軍人らしい表情になり、鋭い眼光が一気にルースを貫く。俺の疑問を晴らしてみろとその目は告げていた。
ルースはそれを受け止め、瞼を軽く閉じて考える。そしてパチリとその意志の強い目を開ける。
「1万の帝騎兵が来ているのは事実です。独特の重装の黒い鎧と、白い鷹と青い獅子の軍旗を立てたあの帝騎兵です。敵陣に長年潜り込んだ斥候部隊による情報です。今より十日ほど前に敵陣営に到着をし、準備を整えて次第、出発をしたそうです。恐らく、帝騎兵の予備部隊から補充したのかもしれません。もしくは、一般兵の成りすましなのかもしれませんが、そのメリットが分りません。虎の威を借りる狐が戦場で通じるはずもありませんからね。」
「予備部隊とな? 帝騎兵に予備部隊がいたというのか? その情報は数年前に情報部から聞いたことがあるが、信憑性がないということで切り捨てられたのではなかったのか?」
「はい、我々が信憑性がないものとばかり思っていた予備部隊の存在です。情報部はカモフラージュと認識し、断定しましたが、今回のことでその判断が誤りであると理解したようです」
その一言で将校たちは皆、眉をひそめた。
もし仮にそのことが本当であるのならば、情報部の大失態である。
情報部所属でありながら、軍属情報部の人間であるルースが自分たちに嘘をついてまで、自分たちの失態を公表するとは思えない。メリットがないからだ。
数年前に…ローマン帝国軍との衝突が起きる前に本名を明かせない一人のスパイから一つの情報がもたらされた。
ローマン帝国の各地に帝国重装騎兵師団養成所があるのは周知の事実であるが、さらに同じ訓練を受けた予備の帝国重装騎兵師団養成所が存在しているとの情報がいきなり飛び込んできたのだ。
「予備部隊の数は正規の帝騎兵の二倍から三倍おり、帝騎兵が万が一に壊滅的な打撃を受けた時、速やかに補完的な役割を果たすために存在する。
そしてそれは最重要機密であり、それを公開しない理由まではわからない。ただ、他国からのスパイによる情報漏えいを防ぐために、一定期間の間、段階的に場所を変えながら訓練をしている。そして私はその地点を長年探っていたのだが、つい先日ようやくその中の一つの地点を掴み、その地点の情報と地図をここに記す。以降、私から連絡がなかった場合、私は存在しなかったことに」
と丁寧とはいえない地図絵が一緒についてだ。
当時、バベロニア王国軍属情報部でもっとも信頼されている優秀な斥候兵もといスパイからの情報が伝書鳩によって届けられた。
情報、紙、に書いてあった字はかなり焦っているのか乱暴に書きなぐられており、さらには血痕すらついていた。
その情報提供を最後に、そのスパイからの定期連絡が途絶えており、情報部は彼に不慮の事故があったと判断した。
当時の情報部の首脳たちはその情報の真偽を討論したが、結局は真実ではないと判断された。
「む…」
ブラウン含め、複数の将校たちは顔を顰める。
軍属情報部が白から黒だというのだから、その情報に基づいて考えるしかなかった。
将校たちは焦っていた。
先月の帝騎兵が撃破されたことによって、バベロニア王国は湧きに湧き、軍部は天狗になってしまったのである。
ようするに軍首脳を含めた国全体が油断をしてしまい、兵力、兵站の準備を怠ってしまった。前線で常に戦ったこともあって、帝国の強さをよく熟知していたここの陣営にいた人たちは、この程度で帝国が挫けることなく、さらに攻勢を強めてくる可能性があると判断し、さらに兵力の増員をし、敵の攻撃に備えるよう上奏したものの却下されてしまった。
ただでさえ軍に割く予算で国庫の負担が大きくなっていたのが、仇目にもなったのであろう。
今からより多くの兵を動員しようとしても、複雑な軍システムの調整を考えれば、一月ほどの時間がかかってしまう。
「情報部は国を滅ぼすつもりか? 無能、無能、無能部、ああ、これ如何」
ブラウンの苦渋に満ちた発言に気分を悪くしたのか、ルースは眉毛をピクリと一瞬歪ませる。
元々馬のあわない二人である。
ルースは唾をのみこんで、発言をしようしたときのことだった。
「それまでだ…ルース大佐、ブラウン少将、あまり恥をさらすでない。エルザ殿下…顧問がおられるのだぞ?」
勲章の数と、階級章を見れば異彩を放っている男から若い声が紡ぎだされた。参謀室内においては一番大きな権限を持っているおり、この陣営の司令官とよばれている男であった。
名をゲルト・マリオネス、バベロニア国境より東にある、神聖ヤーベン国出身ではある。内戦状態が続いたため、幼少のころに家族とともにバベロニア王国に移民してきたのである。
バベロニア貴族ではないことと、移民ということもあってか、風当たりも強かったが、運よく士官学校を次席で卒業して以来、星の数の如く軍功を上げた。
ローマン帝国との度重なる戦いの中で、防衛とカウンター(奇襲)の戦術眼が磨かれていき、「辺境の守護神」と呼ばれるまでになった。普段は絶やさず笑みを浮かべてはいるが、激昂したときや、緊急事態の時などに獅子のように恐ろしく、威厳に満ちていることから「微笑む獅子」とも呼ばれる。階級は大将。本来は北方戦略軍総司令なのだが、本人は前線にたつのが好きなのか、彼の無二の親友であり、王族でもあるレオン・アー・バベロニアに代理の戦略軍総司令を任せては前線にきているのである。
度重なる危機が訪れても、ここ国境にある平原地帯から一歩も南にある民が住んでいる穀倉地帯には踏み込ませたことがない。
彼がいなければバベロニア王国はローマン帝国に滅ぼされていたであろうとも言われている。近々、王は彼に爵位を与えるとも言われているが、真偽はどうなのだろうか。
形のいい眉毛に涼しげな目元、形のいい唇、肌には少し皺があるが30は超えていないように見える。しかし、実年齢は50を超えているのだから驚嘆する。
気導の達人でもあり、そのおかげか老化が遅くなったという。
ゲルトは笑みを浮かべ、しかし不機嫌そうにしていた。
ルースとブラウンはそのまま押し黙る。
それはゲルトの顔色を窺ったわけではなく、そもそもこの二人はそんなことを恐れる小物でもないのだが…とにかくそういう訳ではなく…。
気配を絶っていた人間がいたことに驚いてしまったからだ。
「かまわない。別に私がいようがいまいが、いいではないか? 続けろ」
凛々しさとどこか危うい脆さを含んだどっちともつかぬ声が響く。
今まで司令官を除いて誰も気づくことができなかった。
ブラウン、ルース含め、陣営にいた将校たちは目を見開いて驚いてしまっている。
その間抜けな顔がなんとも面白くて、エルザはカラカラと鈴のように笑い、その笑い声は無言、無音の陣営でやたらと響いた。
「あっはははは! 間抜けな顔ぉ」
豪快な笑いのようにも見えるが、どこか女性らしい健気な雰囲気が纏っていた。
何か彼女にいい事でもあったのだろうかと思えるほど、上機嫌なその様子に陣営にいた男たちも思わず笑みを浮かべてしまった。
「でも、私のシャドーを司令官以外、見抜けなかったのが嘆かわしいな。凄腕の殺し屋が来たなら、簡単に寝首をかかれるぞ?」
気導の応用技に「シャドー」と呼ばれる気配を絶つ技がある。
一般的にこの技を使えば、目視することと、音が途絶えてしまい、一般の人間はその姿を確認することもできなくなるのだ。
それでも、同じく気導を鍛えている者であれば、見抜くことができるのだが…。
エルザのシャドーは神業の領域に達していることもあり、恐らく気導の達人でも注意しなければ、気づくことすらできないであろう。
「エルザ顧問のシャドーはもう神業の領域に入っています。それこそ我々の最高の斥候兵と比べても勝るとも劣らないでしょう」
ルースは惜しみない賛辞を真心込めて放つ。
30にもなろうとしている男が初恋覚える少年のようにキラキラと目を輝かせながら、そう答える。
彼も数多くいるエルザに忠誠を誓い、羨望している男の一人なのだ。
ブラウンはそんなルースを横目に見ては小さくため息をつく。
……。なさけねぇ…。
自分と張り合おうとする男が、一人の女にここまで夢中になるのである。
なんとも言えない思いがするのだ
ブラウンの心の中の呟きは誰かに聞こえることもなかったのだが、何人かの男は同感する思いを抱いていることであろう。
カタカタカタ……。
強い風が吹いたのか頑丈に組み立てられている陣営が微かに揺れる。
緊張していた参謀の中は、女神の降臨で、もとい最初からいたのだが…。なんとも落ち着いた雰囲気で満ちていた。
――我々には司令官のゲルトと、隣にいるエルザがいるのだ。
参謀室の上座の中央で並んで立っている二人を見て、皆が皆そう思ったのだろう。
不思議なものである。
その人間を確認できなかった時、その存在を忘れてしまったかのように不安になり
その存在を確認できたときに、なんだ、彼らがいるではないかという安堵感に包まれる。
歴戦の戦士たちはその鍛えられている精神から、緊急事態に陥った時動揺するには至らないのだが、やはり人間であるため心はさわさわと揺れるのだろう。
それでも、ゲルトとエルザを見れば心が…無風の中の水面のように落ち着くのだ。
そこには歴史からくる絶対の軍事的信頼感を彼らに抱いているからだろう。
参謀室にいた将校たちは気を取り直したように作戦をたてはじめる。
器動→気導に変えました。