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マックス  作者: 水道水
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陶酔と嫉妬

エルザ――ローマン帝国との国境にある陣営に所属する軍人。役職は特別顧問。王族であること、無類の強さをほこること、そして何よりも絶世の美女であるためか、彼女のファンと崇拝する者、忠誠を誓う者などが多数存在する。本人はそんなことなどどうでもよく、ただ自分の父に愛憎混じり合った感情をぶつけるために、女、武人として己を磨いているのである。主人公のマックスを一目見たときから、気に食わなかった。

 何もない。

 何もない。

 玩具が欲しい。

 綺麗に磨かれたミラーを一瞥し、麗しき淑女は呟く。

 自分の美貌を眺めて楽しむのも飽きた。

 毎日のようにむさい男たちに囲まれているのも飽きた。

 はじめこそ、そこそこ楽しめたのだが…。


 

「お父様はなぜ…かような辺鄙なところに…私を置いていったのでしょう」


「それはお前が可愛いからさセレナ。お前は私の宝物なのだセレナ」



 鏡の中の自分が答える。セレナと呼ばれた女性はその答えに身を震わせて歓喜をする。

 そして鏡の自分を上目遣いで見つめながら憐憫を込めた顔をする。


 

「あぁ…私のお父様…そのような事を仰って…わ、私を辱めたいのですね? 私の体を見たいのですね?」



 セレナと呼ばれた女性は顔を真っ赤にさせながら、自分の着装をはずそうとする。ひとつひとつ…、まるで男を焦らすかのように。



「おぉ…セレナよ…焦らさないでおくれ…」


「ふふ…お父様…」



 鏡の中の自分は手を伸ばし、あられもない姿に触れようとする。

 鏡という壁を突き破ろうと、必死に手を伸ばす。

 鏡が指紋でべたべたになっていく。


 女はそこで表情を一変させる。その顔は豹の毛並みのように変わってしまう。

 侮蔑と軽視が混ざったような笑みを浮かべる。



「さ・わ・る・な」



 耳に囁きかけるように、小さくそう呟く。





 

「エルザ様! よろしいでしょうか!」



 ドンッドンッ! ドアを叩く音。

 その騒々しさに一瞬、殺気の孕んだ怒りの目でドアを睨み付けるも、すぐに怒気はなりを潜め、気を引き締めた顔になる。

 落ち着いた声で答える。


 

「少し…待て」



 ほぼ裸身に近い状態であったため、いきなり出迎えるわけにもいかなかったのだろう。

 エルザは脱ぎ散らかされた服を見ては小さくため息をつき、それを拾い上げては着装をはじめた。

 スッスッと衣擦れの音と、カチャカチャとなる金属と金属の摩擦の音が、静かな静寂の中で一際だった存在感を放っていた。

 そう時間がたたないうちに準備を整えたエルザはドアを開けた。



「騒々しいな…何事だ」



 少し疲れたような声色で訊く。目には隠し切れない苛立ちがあった。

 女より一際大きな体系の男は、ドアを叩いたときの威勢のよさがすっかり失せていた。はじめには至近距離でその女神のように美しい顔を見て天国にいるのかと錯覚を覚えるほどに陶然としたが、その後に鬼と呼ばれて畏怖されている目の前の存在が不機嫌そうにしているのに気づいては、地獄に叩き落されたような失望と恐怖の絶望感を味わう。


 ほんの数秒で人生を一度体験したような感覚。


 男は背中からぞわりとくる冷や汗と共におとずれる震えを必死に押さえ込みながら、自分が何のためにきたかを思い出す。



「敵軍の先鋒部隊が北北西より出陣した模様です。エルザ特別顧問には至急、参謀室に来ていただくよう司令官より命を受け賜っております」



 今の状態でよく噛まずに話せたなと、男は思いながらエルザの反応を待つ。



「わかった。すぐに行くと伝えてくれ」


「了解です。では、私はこれで…」



 役目を終えて、ほっとしたように大男は踵を返し、逃げるように立ち去ろうとした。

 全身からは滝のように汗が噴出している。



「まて」



 制止の言葉をかけられ、男は蛇に睨まれた蛙のごとく動きが止まる。

 そしてそのまま振り向かずに固まった。


 

「貴様…名をなんという?」


「ネルソン・ヴォブ・アーネストと申します」


「ほう…アーネストのものか、ウォブを名乗っているということは後継者だな。して…オーウェン卿は達者でいるか?」



 まさか、父の名前が出てくるとは思わなかった男…ネルソンは少し驚きながらも、質問に答える。



「え、ええ…母が病に伏せてから、特に健康には気を使っているようで…父上は最近は農園の栽培を下の者とともに行っているようです。母親の病気を見て、己の健康を特に気にするようになったのでしょう。そして考え方が保守的になり、家の財産管理から遺産の分配のことも手筈を整え始めたようです」


「もういい…それは君の家の情報だろ? 私に軽々しく打ち明けるものではない」


「はっ…はい! そうですよね…どうして私はこのようなことを」



 ネルソンは、一度も他人に話したことのないような、自分の家の情報をエルザに打ち明けた。と同時にどうしてこんな事を他人に話してしまったのだろうかと首を傾げた。



「まぁ…母君のことは気の毒ではあるが、そなたの父君がそれで健康に気を使い始め、家のことを気にかけることは悪いことではないではないか。オーウェン卿は軍事のことばかりが頭にある戦争屋だからな。今回のことで少し落ち着けてちょうどいいだろう」



 エルザはハハハと体面的な笑いを上げたあと、大男…ネルソンに近づき、肩にポンと手を置く。震えている肩を宥めるように、まるで叱られた赤子をあやす様に優しく。

 ネルソンは自分でも気づいていなかった震えていた肩は、自然と収まった。



「そう…怖がるでない。オーウェン卿には昔、いろいろと世話になったことがあってな。その子息であるお前に何かをするほど、私はまぬけでも恩知らずでもないのだ。そうではないかな? ネルソン」



 肩に置いた手で首筋からリンパ線を撫で上げ、そのまま左耳を人差し指と中指で優しく撫でる。ネルソンは自分の上がる心拍数を感じながら、畏怖のそれから陶然とした顔になる。

 人生で味わったことのない至福を感じるとともに、ネルソンは思考能力が削がれていく。


 

「だがな…ネルソン」



 エルザは撫でる指を止める。

 急いで振り向き、エルザにネルソンは物欲しそうな顔をした。もっと撫でて欲しいようだ。その仕草におかしさを感じるエルザだが、口に出しては言わなかった。

 精悍な仕官がまるで子供のようにころころと表情を変えているのを見れば、彼を育てた親もため息をつくことであろう。

 


「これだ…このドアのことなんだが…ドアはもっと優しく叩くものだ。どのような緊急事態でもだ。このようにな」



 エルザはコンコンと優しく叩いてみせる。

 そして、少し怒ったように…。


 

「もしそれが出来ないのなら、この陣営を立ち去り、大人しくアーネストでお坊ちゃまになるんだな。どんな緊急事態にしろ冷静さを保て、それができないまま、この最前線の陣営に居座っているのなら、私はお前のこの耳を手で引きちぎって、オーウェン卿に送る。不出来な息子よりと綴ってな」

 

「了解です!」


「よし、そのまま行け」



 ネルソンはさしたる恐怖を感じることもなかった。

 ただ、切なさを感じた。自分がいなくなった後を想像しては切なさを感じた。

 この陣営を立ち去るということは、エルザという女神を拝むことができなくなるからだ。

 自分がいなくなることで、自分のほかの男が彼女と触れ、話し合うことを思えば胸が締め付けられる。

 本来なら自分といられた時間が他の男にとられるのを思えば、心臓に剣を何度も刺すような痛みを感じる。

 嫉妬のようなどろどろとしたものがない純粋な感情だった。


 一言一言が、普段の自分なら傲慢な女と見下すだけだが、エルザにかかれば不思議なことに甘美なそれに変わる。

 今まで味わったことのない思いに、違った意味で身を震わせ足早に立ち去った。


 このままここにいれば、彼女を抱きしめたいという衝動を抑えきれなくなるからだ。



 ネルソンが足早に立ち去る姿を見ては、エルザは小ばかにしたような笑みを浮かべ、ため息をついた。



「あいつも、皆と同じか。怖がるか欲情するかの二つしかない。姉上、男というのはどうしてこうも単純で、面白みがないのだろうか?」



 普段から畏怖され、怒れば恐怖し、中には失禁するやつもいる。

 そして少し甘いことをいっただけで、天にも昇る気持ち…と気持ち悪い顔をするやつもいれば、極端だと射精するものもいた。

 そんな男ばかりが周りにいては、小ばかにもしたくもなるものだろう。



 エルザはふと一人の少年の姿を思い浮かべた。



「あの糞餓鬼のように、私を怒らせるやつもいるんだったな。ふん! 気分が悪くなってきた」


 エルザは、自分が半殺しにした少年の立ち向かってくる姿と、叩きのめされて気を失っている姿を思い浮かべた。そして…。



「最後の最後に…獣…のようになって襲い掛かってきたな」



 するっと衣擦れの音が聞こえる。

 エルザは左肩をはだけさせ、ちらりと目をやる。

 そこには猫…ではなく、人間の爪で引っ掻かれた痛々しい傷跡があった。

 そっと触れてみる。



「っあっ!」



 まだ瘡蓋ができかかっている状態で、触れるとべたりと指にのりがくっつく様な感触がした。

 


「お父様には見せられません…見せられないな」



 エルザは父の姿を思い浮かべ、悲しそうにそう呟いた。


 王座に座る父の威風に満ちた父の姿。


 交差するまぬけな顔をした少年。



「マックスとかいったな…あいつ…」



 昨日の、日も暮れた夜のことを思い出す。






 焚き火で照らされた、立派な試合を果たすための場をつくり、兵士たちはその場を囲って立っていた。

 そこでは、私が剣の腕を披露すると同時に、度々ストレス解消のために、訓練という名目で一人ずつ自分の前に呼び寄せては叩きつけるか、斬りつけていた。

 また、それでもなお退屈しのぎにならなかった時には、数人から数十人の精強な兵士を相手取ってゆっくりと痛めつけながら、からかって遊んでいた。

 私には剣の才があったらしく、剣を学び始めてまもない頃に、自分の師であった人間たちを次々と超えていった。そして何度も国内にある大会に優勝した。

 敵国であるローマン帝国の幾人もの勇者、猛将もうしょうと呼ばれている人たちを斬ってきており、バベロニア国内の私の評価はすでに剣聖けんせい、聖なる剣士とまで呼ばれるようになっている。

 皆が私の技の美しさに酔いしれているところであろう…と思っていた。偶然、本当に偶然なことにたまたま見ていた方向に、それは気持ちよさそうに眠っているやつがいた。


 それはそれは気持ちよさそうに寝ていた。



「おい、そこのお前!」



 自分や男たちが剣を振るっていたのが、えらく滑稽に思えてしまって腹立たしくなった。

 試合が終わっていないにもかかわらず、声を張り上げて怒鳴ってしまった。

 エレザと数人がかりで戦っていた男たちは動きを止め、また観客をしていた軍人たちもが一気に寝ている男…マックスに視線を注ぐ。



「Zzzz…」



 マックスの本当に気持ちよさそうに寝ていた姿をみた男たちは、誰もがぽかーんという擬態語がぴったりな表情をする。

 一陣の風が吹く。


 ……………。


 ………。


 …。



「ぷっ」


「ぎりっ」


「ぶるぶるっ」



 十人十色。

 怒りで殺気を出す者、笑いをこらえて震えている者、はたまた私の怒りを露にした姿を見て恐怖する者、様々な人がいた。

 皆が皆違っていた。


 自分を向けられた男たちの視線のほとんどがマックスに注がれていた。


 マックスを見ていた。





「くっ!」



 我慢ができなかった。

 視線を独占する少年が腹立たしかったからだ。


 「私の視線」を奪った。私は何者にもあらゆることで負けてはならないのだ。


 気付けば、私は彼に剣を向けていた。


エルザの紹介を前書きで追加しました。

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