第8話 知能指数と心理的虐待
前回、ガスライティングについて触れました。
こうした心理操作を巧みに使って、罪悪感を感じることなく、無意識のうちに子供を支配する親。
こうした目に見えない虐待は、皮肉なことに、高い知性のもたらす悲劇なのではないかと思うことがあります。
最近、両親は揃って知能検査を受けました。
プライドの高い父は、準備万端で気合いを入れて臨んだのでしょう、IQは130でした。
母は体調が優れない中での受検でしたが、IQは124でした。
世間から見れば、二人とも十分に「頭の良い」部類に入るでしょう。
私は検査を受けていませんが、母には「私やお父さんより、あなたの方が頭がいい」と言われます。
ギフテッドという言葉は、私のそんな飛び抜けた知性が話題になる中で知りました。
うちは三人兄弟ですが、その中でも私だけ学力が飛び抜けています。
弟は大学には行かず、喫茶店を経営して生計を立てています。
兄はそこそこの大学に入り、一年留年して卒業しました。
そんな兄の留年が、私にとっての「終わりの始まり」となってしまったのです。
「兄のせいで余計な学費がかかったのよ」
親の顔色を窺って生きてきた私は、「家計が苦しい」「学費が払えない」という言葉を呪いのように浴びてきました。
実際にはそんなこと気にしなくてもよかったのでしょう。
親が私の将来に無関心であることは前にも話しましたが、親の望む「良い子」であろうとしていた私には、行きたい大学も、学びたいこともありませんでした。
選ぶ基準のなかった私は、自分の学力で入れる一番いい大学を選びました。
そんなやる気のない選択だったのにもかかわらず、受験勉強は頑張りました。
そして、塾へ行けとも言われなかった私は、大量の参考書を買い、独学で東工大に現役合格しました。
模試の判定はAでした。
地頭だけはよかった私は、詰め込み式の受験勉強ではなく、考える力だけで難関大学を突破したのです。
けれど…案の定というべきでしょうか。
合格を伝えても、両親からのお祝いの言葉はありませんでした。
大学なんて、行っても行かなくてもどちらでもよかったのかもしれません。
むしろ、入学を控えた私に母が言ったのは、お祝いではなく「お願い」の言葉でした
「うちはお金がないから、バイトしてね」
その言葉を聞いたとき、張り詰めていた糸が切れる音が聞こえました。
通いたいわけでもない大学のために、高い学費を払い、さらにバイトまでして通い続ける理由が、どこにあるのでしょう。
そうして私は、入学からわずか1ヶ月で退学することにしました。
「せっかく入学金と学費を払ったのにもったいない」
のちに母にそう言われ、大量の参考書を買ったことについても、ネチネチと言われ続けました。
親の顔色を窺って、自分の意思もなく生きてきた私が悪いのでしょうか。
母にこの話をすれば、こう言うかもしれません。
「顔色なんて窺わずに自分のやりたいことをすればいいのに」と。
あるいは、「親の言うことなんてろくに聞きもしなかったじゃない」でしょうか。
大人になる頃には、親の言いそうなセリフをシミュレーションできるようになっていました。
こうして私は、誰もが羨む最高学府への切符を、自ら破り捨てて、社会からドロップアウトしました。




