6話【フォーゼ】ドレス
どれぐらいの時間が過ぎただろう。
フォーゼは肩のこわばりに気づいて息を吐いた。
なんだか奥歯が変だと思ったら、歯を食いしばっていたらしい。
(でもここまでくれば、あとひと踏ん張り)
大枠のところは縫えた。
細かいところは時間がかかるが、明日一日を費やせばどうにかなるかもしれない。
(あ、でも。ここさすがに荒いか……)
裾の部分だ。
ざくざくと縫いすぎているかもしれない。裾を踏んだり、なにかひっかけたときに糸が切れでもしたら大変だ。
(もう少し丁寧に縫っておこうかしら)
ドレスをひっくり返し、裾部分を手に持つのと。
扉がいきなり開くのは同時だった。
「きゃあ!」
「うわ、すみません!」
ドレスを放り出して悲鳴を上げたフォーゼは、バクバクと荒ぶる心臓を上から押さえ、突然の侵入者をみた。
そしてさらに驚く。
ヨハンシュだ。
「あ、いやその! 何度か玄関で声はかけたんです!」
なぜだかヨハンシュは両手を上げて降伏のポーズをとっている。
「だけどなんの返事もないし。王女のお住まいだと聞いて伺ったんですが、使用人も誰もいないようなので、一応確認しようと……!」
そして玄関ホールから一番近い部屋の扉を開けた、ということなのだろう。
「そ、そうでしたか。すみません。あの、使用人は引継ぎのためにすでに館を出ておりまして」
「引継ぎ?」
いぶかしそうにヨハンシュが目を細める。
「私が結婚し、卿と共にこの館を出ましたら、メイドたちは新しい職場に異動ですから」
「え。侍女も置いていくのですか?」
「侍女? いえ。ここにはメイドが二名とコックが一名だけです」
互いに「ん?」と頭の上に疑問符を浮かべていたが、先に我に返ったのはフォーゼの方だ。
「すみません、このようにお見苦しいところを! あの……お茶をお出ししたいところではありますが、現在、人手がなく……」
そしてフォーゼは内心悲鳴を上げた。
改めて見ると、この室内の散らかりよう!
片付けもできない女だと思われているに違いない。
「本当に、その。お忙しかったのですね」
ぽつりとヨハンシュがつぶやく。
とりあえず、部屋のすみに片付けようかとドレスをつかんでいたフォーゼは、目をまたたかせて彼を見た。
「本当に?」
「いえ、その。何度かお茶のお誘いのお手紙を差し上げましたが、即座にお断りされたので。これは相当嫌われているのか、と」
ヨハンシュが苦笑いをするが、フォーゼは小首をかしげた。
「お手紙を……くださっていたのですか。その、それは申し訳ありませんでした。先ほど申し上げたように、現在使用人が不在で……。お返事も出さずに、失礼いたしました」
たぶん、自分あての手紙はどこかで止まっているのだろう。よくあることだ。
「結婚式の衣装ですか?」
ヨハンシュが部屋中をぐるりと見回すから、また悲鳴をあげそうだ。
「え、ええ……。すみません。結婚式には間に合わせますから」
自分にも言い聞かせる。
「こちらもそうですか?」
ヨハンシュが見ているのは、ディスプレイトルソーが着ているカクテルドレスだ。
結婚式のあとに簡単なパレードをすると聞いていたので、念のためにと出していた。
だが、正直間に合わない。
婚礼衣装だけで手いっぱいだ。
パレードは婚礼衣装で出ればいいと思っていた。
「そ、そうなのですが……。ちょっとそちらは……。あの。侯爵領地に着いたときにでも披露を……」
「もったいない。こちらも着ればいいじゃないですか」
「その……人手が」
「俺も縫いますよ」
あっさりと言うや否や、ヨハンシュはきょろきょろと周囲を見回した。そして椅子を引っ張り寄せると、トルソーの側に座る。
ひょいとドレスの裾をまくりあげ、「あ。仮縫いできてるんじゃないですか」と言うと、針山から針を抜いてちくちくと縫い始めたから驚く。
「あ、あああああああの! ヨハンシュ卿! そのような……!」
「軍隊にずっといるので。階級章を縫い付けたり、破れを繕ったりするのはよくやるんですよ。直線縫いなら全然大丈夫です。兄からもうまいとほめられたことがあるほどです」
言いながらも手は止めない。
「王女はそちらの婚礼衣装を。ひとりよりふたりの方が断然早いでしょう? わからなくなったらまたお声掛けしますから」
「あ、あの……その」
「遠慮なら不要です。衣装を先に仕立てるほうが先ですから」
きっぱり言われ、フォーゼも腹が決まった。
もともと好かれようとは思っていない。
猫の手も借りたいぐらいなのだ。
ありがたい申し出として受け取ろう。
「糸が不足したらそのバスケットから出してください」
「わかりました」
「そちらはサイズ直ししてますので、仮縫いの通りに」
「了解です」
こうしてふたりは、黙々と衣装を縫い始めたのだった。




