5話【フォーゼ】王城内をパタパタ
衣装を手直しするための糸や布をもらいに、王城の衣装室へ向かっていたフォーゼは、回廊に入ろうとして息をのんだ。
(どうしてヨハンシュ卿が……?)
花束をぶらぶらさせ、こちらに向かって来ようとしている。
とっさに逆方向に逃げようとしたら、あちらからはナナリーの一団がやってきていた。
迷った末、植え込みの陰に身を潜ませる。
(結婚式が明後日ですものね。きっとなにか調整があっていらっしゃっているんだわ)
どうか気が付きませんように、と身を小さくしながら願う。
自分だってそうだ。
明後日の結婚式に着る婚礼衣装。
その手直しで睡眠時間が削られている。
なにしろ作ったのは16歳のとき。軍務大臣の息子と婚約が決まった時だ。
もちろん、婚約が決まるたびに「仮縫い」という形で婚礼衣装は用意されていた。
だが、初めての婚約など6歳だ。当然、そんなものが使えるはずもない。
16歳のときに仮縫いされた婚礼衣装のサイズを直し、本縫いして使用するように言われているが、現在、間に合うかどうか。
同時並行でリゼルナ侯爵領に持参する荷物も用意しなければならないが、手が回らない。
もともと、フォーゼの館に仕える使用人は少ない。
コックとメイドがふたり。
そのメイドもフォーゼが侯爵領へと引っ越しすると同時に異動が決まったため、現在引継ぎを兼ねて王城に行ってしまった。コックも同じだ。合間を縫ってフォーゼのための料理を運んできてくれるので、大変心苦しい。
衣装の手直しなど本来王城の衣装室に丸投げしてもいいのだろうが、「現在、ナナリー王女のドレス作成で手いっぱい」と断られたのだ。
ふと自分の指が目に入った。
指ぬきがはまり、ところどころ赤くなった指。
王女のものとは思えない。
(そんなこと、どうでもいいのよ!)
落ち込みそうになる自分に発破をかけた。
とにかく衣装だ。
まともな衣装さえないのかと、結婚式でヨハンシュに恥をかかせてしまう。
いや、違う。
フォーゼはぞくりとした。
『侯爵家は王女に満足な衣装さえ用意させなかった。明らかに不敬である』
父が難癖をつける隙を与えてしまう。
(早く衣装室から糸をもらわないと……)
もうヨハンシュとナナリーはどこかに行っただろうか。
そっと植え込みから顔を出して仰天した。
ふたりが会ってなにか話をしているではないか。
令嬢たちの笑い声が聞こえてきた。非常に和やかな様子だ。
フォーゼはヨハンシュに瞳を向ける。
非常に身長が高い。
すらりとした体躯に、黒の軍服がとてもよく似合っていた。
『あの方のように強い騎士になりたいのです!』
二番目の婚約者だった伯爵家の次男が目を輝かせて言っていた。
その当時からヨハンシュとジゼルシュの兄弟は王都では有名だった。
容姿端麗な兄弟。
兄は頭脳明晰。弟は武勇に秀で、礼儀正しい。
兄弟仲はよく、父親亡きあともしっかりと領地を守る孝行息子たち。
(レオ、あなたが尊敬する方は、いまでは黒鷲の軍神と呼ばれる方になりましたよ)
心の中で、もう亡くなった兄と慕う伯爵家の次男に語り掛ける。
ふと。
視線を感じてフォーゼは身体を固くした。
一瞬だが。
ナナリーがこちらを見た気がしたのだ。
「かまわなくてよ」
ナナリーがにっこりと笑って手を差し出す。
ヨハンシュが恭しく花束を差し出した。白と桃色を基調にしたとても愛らしい花束。彼がなにか言っているが、フォーゼの位置からは聞こえない。
ただ。
「ありがとう」
ナナリーが礼を言ったのが聞こえた。
なんだ、と。
フォーゼはホッとした。
彼は、ナナリーが好きなのだ。
ナナリーは現王妃の娘。
好意を寄せる殿方は多いと聞く。本人もあのように陽性な性格のせいで、社交界では非常に人気が高いのだとか。
(なら、離縁を申し出られるのも早いかも)
侯爵家のためにも早急に離婚してほしい。
そのための策を練りながらドレスを縫っていたのだが、これなら大丈夫だ。
なにしろナナリーとフォーゼはまるで水と油だ。
ナナリーのような娘だと思ったのに、なんか違う。ヨハンシュがそう思い始めたころに、別居を切り出そう。
きっとヨハンシュもそれを飲むだろう。
そして頃合いを見計らい、父に言うのだ。
『原因は私にあるようなのだが、子を授かる気配がない。ヨハンシュ卿に心苦しいので、王家に戻りたい』と。
子が産めないという噂が立てば、父とて今後、婚約の手駒としてフォーゼを使えないだろう。
これが最適解である。
フォーゼはひとり頷き、そしてもう一度そっと顔を出す。
もう回廊には誰もいない。
やれやれ、とフォーゼは植え込みから出て王城の衣裳部屋に向かった。
(糸と……それから継のための布をいくつかもらわないと)
二階へと足を向ける。
できるだけ丈を出してみたが、それでも胸周りと腰回りのサイズがあわない。
縫い目や継の跡が隠れるように調整しつつ、なんとかごまかさねば。
廊下を小走りに進む。
侍従やメイドはみな、フォーゼを見ると目を背けた。
かかわるとナナリーやダントンの機嫌が悪くなる。だから王城内において、フォーゼは空気のような存在だった。
「お嬢様」
急に部屋の扉が開き、聞きなれた声がフォーゼの足を止めた。
館に仕えてくれているメイドだ。
「これをどうぞ」
そっとバスケットを差し出してくれる。
ぱかりと蓋を開けると、十分すぎる糸と布が入っていた。
「衣裳部屋にさらに通達が来ていて……。ナナリー王女の衣装を最優先しろ、と。たぶん衣裳部屋に行ってももらえないと思って」
メイドが声を潜める。フォーゼは周囲を伺い、自身も小声で尋ねた。
「でも糸や布の不足分を見咎められるのでは? これは……」
もらえない。
罰を受けるのはこのメイドなのだ。
「申し訳ありません、これは不用品として処分されるものなのです。つまり……その」
メイドは苦し気に告げる。
ようするに廃棄品。
ナナリーの衣装を作るにはあまりに見苦しいと捨てられるもの。
メイドは、その廃棄品から見繕って集めてくれたのだ。フォーゼのために。
「長年お仕えしながら……。なにもお手伝いできず申し訳ありません」
「とんでもないわ。助かる。これだけあれば十分よ」
足音が近づいてくる。誰かに見られてはまずい。
フォーゼはメイドの手を一度だけぎゅっと握り、礼を言ってバスケットを受け取る。
そして後ろ手にそっと扉を閉め、通り過ぎる侍従に何食わぬ顔をして会釈をした。
(これでなんとかなる……。早く縫わなくては)
あのメイドにはいつかちゃんとお礼を伝えたい。
そう思いながら小走りに階段を駆け下りた。
フォーゼの館は、王城の北側にある。
回廊をずっと北へと進み、倉庫と倉庫の間を抜けた。
以前は上級貴族の簡易宿泊場所だった場所だと聞いている。
日当たりが悪く、王族が住むところにしては部屋数が格段に少ないが、それでもフォーゼにとってはひとりでゆっくりできる場所だ。
扉を開け、中に入る。
いつもなら出迎えてくれるメイドはいない。
玄関ホールの応接用テーブル。ここにも小さなバスケットがあった。
近づくとメモがある。
『お嬢様。しっかりと食事なさってください』
コックだ。
中を確認すると、パンに肉や野菜をはさんだものがあり、フォーゼの好きな果物がたくさん入っていた。
誰もが自分を心配してくれている。
そのことに感謝し、フォーゼは右手にメイドが用意してくれたバスケットを。左手にコックが届けてくれたバスケットをぶらさげ、一番近くの部屋に入る。
婚礼衣装を仕立て直している部屋だ。
乱雑なのはもう仕方ない。
とにかく完成させることが先だ。
バスケットをテーブルに置き、「よし」と自分で気合を入れる。
ついでにもう冷めきった紅茶を喉に流し込んだ。
「がんばるわよ」
椅子に座る。
この二日間、ずっと縫い続けていたので、すべてが手の届く範囲にある。
さっそく衣装に手を伸ばし、針山から針を取った。
そうして、黙々と縫い始めたのだった。




