4話【ヨハンシュ】王城内をウロウロ
ヨハンシュはため息をつきながら王城内の回廊を歩いていた。
最初は抱えて持っていた花束は、いまやただの荷物。片手持ちにして、ぶらぶら振っていた。
ちらりと花束を見る。
白や桃色を基調にそろえてもらい、その香りにもほっこりしたのが嘘のようだ。
渡す相手に出会えずにいるいま、花束もしょんぼりしているように見える。
(いくら忙しいって……。ちょっとぐらい時間がとれないものなのか?)
フォーゼの件だ。
兄から結婚の件を聞いてすぐ、ヨハンシュはフォーゼに手紙を出した。
明日、お茶でも一緒にどうでしょうか、と。
返事はその日のうちに来た。
ありがたいお話ですが、明日は忙しくて無理です。
手元に届いたのが夜だったが、ヨハンシュはすぐにまた手紙を書く。
では明後日はどうでしょう。昼食かお茶を。
返事は深夜に届いた。
ありがたいお話ですが、明後日も忙しくて無理です。
ヨハンシュは兄のジゼルシュの寝室に飛び込んだ。
妻を領地に残してきたため、ひとり寝ていたジゼルシュは「襲撃か!」と剣をつかんだのだが、弟だと知り、ほっと胸をなでおろした。
が。
弟からの説明を聞き、貧血を起こして再びベッドに倒れこんだ。
「兄上! 気をしっかり!」
「顔を合わせる前から嫌われているではないか!」
兄の言葉になにより傷ついたのは弟だった。
「明日、花でも持って王城内に行け! そして偶然を装い、フォーゼ王女に会うのだ!」
命じられて来たものの……。
そううまくいくわけがない。
とりあえず王城内をうろうろしたが、衛兵からは不審がられ、顔見知りの貴族からは「このたびは大変なことで」と結婚からほど遠い言葉をかけられる始末。
すれ違う侍従や女官にフォーゼのことを聞こうとするが、みな、一様に知らぬ存ぜぬを通す。
ここまで来ると、かん口令が敷かれているか、本人自身が「会いたくもありません!」と言っているかのどちらかだ。
(……嫌われてるのかなぁ。でも思い当たることはなんもないんだが……)
うなだれながら、ヨハンシュは王城内にあるフォーゼの住まいにむかって歩く。きっと遭遇率はそちらのほうが高い。
結婚する前にせめて顔合わせだけでもと思っていたのだが、本人はそれほどこの結婚が嫌なのだろうか。
忙しいの一点張りだ。
しかも壁打ちしたボール並みの速さで返信される。
ヨハンシュはフォーゼの顔を知らない。
同じ王女でもナナリーや、王太子のダントンは知っている。
ナナリーはいつも国王につきまとっているし、ダントンについては礼儀やふるまいについて何度か注意したことがあるからだ。
ただ、フォーゼとなると違う。
常に「婚約だ」「破棄だ」を繰り返していることは知っているが、基本的には王城にある自分の館に引きこもっている。
フォーゼとて、ヨハンシュの顔を知らないだろう。
そんな相手といきなり結婚し、辺境の地に連れて行かれるのだ。
せめて結婚前に、「自分は無害であり、王女に危害を加える人間は、我が家にはいない」ということをわかってほしかったのだが……。
会えないのならこれ、どうすればいいのだ。
「まあ、ヨハンシュさま」
不意に声をかけられ、顔を上げた。回廊の奥から歩いてくるのは、ナナリー王女の一団だ。
「これは、ナナリー王女」
ヨハンシュは花束を左手に持ち替え、右こぶしを握って左胸にあてた。
「まあ、他人行儀ですこと。お顔を上げてよろしいのよ。お姉さまと結婚なさるんですって?」
華やかな声に従うと、ナナリーは侍女や友人とおぼしき貴族令嬢を引き連れてすぐそばにいた。
「陛下のお許しを得て」
……というしか言えない。自分としては望んでいないのだから。
「今日はお父様にお会いに?」
ナナリーが小首をかしげる。
細い首だとヨハンシュは思った。
赤毛を結い上げ、リボンや花で飾りまくっているので、バランスが非常に悪いように見える。頭の重さで首がぽっきりといきそうだ。
「あら、ヨハンシュ様ったら姫様のことをじっとご覧に」
「姫様の今風な髪型に釘付けのご様子ですわ」
侍女や令嬢に言われ、ヨハンシュは我に返った。どうやら「風が吹いたら折れそう」と見つめすぎたようだ。
「これは失礼いたしました」
「とんでもありませんわ」
目礼から視線を上げてぎょっとする。ナナリーが頬を染めて自分を見ているからだ。
(やばいやばい。変な頭だな、と思って見ていただけなのに。勘違いされる)
自覚はないが、ヨハンシュ兄弟は顔がいい。
ちょっとじっと見ただけで女たちはすぐこれだ。
「そのお花は? 私に?」
ナナリーに言われてさらに驚いた。なんであんたに。
「これは……その、フォーゼ王女にお会いしたく、何度かお手紙を届けたのですがお忙しいらしく。それでは花だけでも贈ろうかと」
あんたのじゃない、とは言えないのでそう伝えると、令嬢たちが「まあ」と声を上げた。
「お忙しい? 王女が?」
「そんなわけございませんわ」
「きっとまたなにか嘘を……」
「嘘?」
ヨハンシュは目をすがめた。ぴたりと令嬢たちが口を閉ざすので、これは怖がらせたか、と瞳を緩める。
「しかし女性というのは結婚準備が大変と聞きます。特に今回のように結婚まで日がないとなれば……」
「だってお姉さまの結婚準備なんて、何年前からされてますの?」
ほほ、とナナリーが笑う。
一瞬の間を置き、令嬢たちも声をそろえて笑った。
「確かにそうですわね」
「何度も婚約が解消されて」
「その都度のお輿入れ準備」
令嬢たちは目を見交わしてくすりと笑う。
「忙しいなんて……」
「ねぇ?」
「きっと嘘ですわ」
ヨハンシュはそんな令嬢たちをじっと見つめた。
(とんでもない女どもだ)
人の悪口しか言わない。顔をしっかり覚えて、義姉には決してかかわらせぬようにしておかねば。
リリィにこの国の悪口などは覚えてほしくない。
「まあ、ヨハンシュ様が憂いておられますわ」
ナナリーは芝居がかった声で言い、めっとばかりに令嬢たちに注意した。
「お姉さまは本当にお忙しいかもしれません。軽々しくおっしゃってはいけませんわ」
「そうですわね」
「失礼しました、姫様」
頭を下げる令嬢たちに鷹揚にうなずき、ナナリーはヨハンシュに向かって手を出した。
「その花束。私からお姉さまにお渡ししておきましょうか?」
「え? あ……いや」
自分で持っていきます、と言おうとしたが迷う。
この令嬢たちが言うように本当に忙しくないとしたら、フォーゼは自分のことを嫌っていることになる。
その嫌っている相手が直々に花を持っていくというのはどうか。
余計にこじらせる可能性がある。
ならば。
異母妹とはいえ、身内が持っていくほうがいいかもしれない。
「かまわなくてよ?」
「では……。ナナリー王女の厚意に甘えまして……」
ヨハンシュはそっと花束を差し出した。
「ありがとう」
ナナリーが言う。
ん?とヨハンシュは脳内に疑問符が沸いた。
ありがとう。
なぜお礼なのだ。
この場合は「確かに受け取りました」とか「姉に伝えます」ではないのか。
それとも姉に代わって礼をしたとか?
「よい香りですこと」
ナナリーは花束に顔を近づけ、うっとりとした様子だ。
ヨハンシュは「フォーゼ王女によろしくお伝えくださいませ」と伝言しようとしたのだが。
ナナリーは令嬢や侍女を引き連れてさっさと回廊を歩いて行ってしまった。
「やれやれ……」
ヨハンシュはため息をついた。
兄に「花を持参しろ!」と言われてやってきたが。
(まあ……。当初の目的は達成したか?)
軽くなった右腕をぐるぐると回し、ヨハンシュは歩き出した。




