3話【フォーゼ】結婚話
父である国王から自身の結婚について指示されたのは。
いつもどおり、唐突だった。
「こたびは、どのような殿方なのでしょう」
謁見室で頭を下げたまま、フォーゼは尋ねる。
「うむ。まずは面をあげよ」
そう言われ、フォーゼは腰を伸ばす。
三段ほどあがった階のうえにある椅子。
そこに座るのは実父である国王。それから、異母妹であるナナリーと異母弟であるダントン。
粘着質な視線に気づき、フォーゼは無表情を装って異母妹弟を見る。
ナナリーは相変わらず赤い瞳に勝気そうな色を宿らせていて、ダントンはあからさまに侮蔑的な視線をこちらに向けている。
ふたりとも、赤毛に赤い瞳。
それは現王妃から引き継いだものだろう。そして、フォーゼにはないものだ。
フォーゼの金色の髪と青い瞳は国王譲り。
ナナリーとダントンの共通項は、髪色と瞳だけではない。性格も似通っている。だからだろう。非常に仲が良く、そしてフォーゼのことを嫌っていた。
国王も、死んだ妻の子よりも生きている妻の子の方が可愛いのかもしれない。
いまも、上座に座っているのは異母妹弟であり、自分は下座。
父と妹弟に会う、というのに場所は謁見室だった。
だがこんな仕打ちにももう慣れた。
モーリウスの毒婦と陰口をたたかれても聞き流せる。
そして、父の手駒として婚約破棄を繰り返すのも。
「ヨハンシュ・リゼルナだ」
できるだけ平然としていようと思っていたのに。
その名を聞いて目を見開いてしまう。
(ヨハンシュ卿⁉ あの⁉)
先日も騎士団を率いて討伐し、いま、王都に戦勝報告に来ている。
あの、黒鷲の軍神。
「まあ、お姉さまでもよくご存じの殿方でした?」
しまった、と思う。
ナナリーが意地悪い笑みを浮かべていたからだ。
「なにしろ、軍神と名高き殿方ですものね! 社交界でも人気の高い方ですし」
「はしたない限りだな。頭のなかは男でいっぱいか」
ダントンが吐き捨てる。
硬く閉ざした心にひびが入りそうになり、フォーゼは奥歯をかみしめて堪えた。
「未婚の女性ならはしたないけど。いいんじゃない? ダントン。お姉さまは何度も婚約なさった方だし」
「それがなってない。貞淑な王国女性にあるまじきことだ」
「仕方ないわよ、男運が悪いんですもの。ねえ、お父様?」
「そうだな、だがもう安心だ」
国王がフォーゼを見て、微笑んだ。
「リゼルナ侯爵都は辺境だがよい土地だ。今度こそ安心して暮らせるだろう」
どの口が言っているの。
怒鳴りつけたくなるのをこらえる。さらに奥歯を強く噛み締めた。
年端もいかない自分に優しくしてくれた宮中伯を自害に追い込み、兄のように仲良くしてくれた伯爵家の次男を修道院に放り込んで栄養失調で殺したのはお前ではないか。
表ざたにこそならなかったが、軍務大臣の家ではフォーゼはひどい目にあった。
仕方ないと思う。
それまでのいきさつを考えれば疑心暗鬼になるのも仕方ないと思う。
婚約破棄の気配を感じ取った軍務大臣はフォーゼを誘拐。監禁の上、三男に命じたのだ。
手をつけてしまえ、と。
危ういところを近衛兵に救い出されたのだが、三男は目の前で斬首された。
(男運が悪いですって……?)
それを仕組んだのは誰なのだ。
「それに、ヨハンシュの兄……当主のジゼルシュが『すぐに弟の妻として迎え、我が領に』と言っておってな。三日後に簡単な結婚式をして、お前にはすぐに領地に向かってほしい」
「え⁉」
声をあげたのはダントンだ。いぶかしそうにナナリーが目を細めて弟を見る。
「なに?」
「あ……いや、その。かりにも王女が婚約もせずに? しかもそんな簡単な結婚式など」
バツが悪そうにダントンは椅子に座りなおした。
「いいんじゃない? だってお姉さまは三回も立派な婚約式をしたのよ? ずるいわ」
口をとがらせ、上目遣いに国王を見る。国王は苦笑いして猫を撫でるようにナナリーの頭を撫でた。
「お前にもふさわしい相手を見つけて、婚約式をしなくてはな」
「約束よ、お父様」
にこりと笑ったのも一瞬だ。
すぐに冷たい光を宿してフォーゼを見下ろし、足を組む。
「だからいいんじゃない? 別に。お姉さまは質素な結婚式をして辺境に向かえば」
「辺境って。侯爵都だろ?」
ダントンが指摘するが、ナナリーは鼻で嗤った。
「農作物がいっぱいとれるところでしょ? 私なら絶対嫌だけど。お姉さまにはいいんじゃない?」
「……父上」
ダントンの声に、フォーゼはわずかな違和感を覚えた。
姉であるナナリーと共になにか嫌味のひとつでも言うと思ったのに。
「この結婚は……永続的なものですか? 今回も、王女の身分のまま嫁ぐと聞きましたが」
ひやりとした。
そうだ。
いつもとは違う「結婚」から始まるこの流れ。
これは。
永続的なものなのか。
「おかしなことを言うな、ダントン。結婚とは永続的なものだよ」
国王はほがらかに笑った。
「死がふたりを分かつまで、ね」
父のおだやかな声。
だがフォーゼは悟る。
これは。
いつもと同じだ、と。
何ら変わることのないいつものあれだ。
そしてそれはダントンも同じのようだった。
彼のなかにあったわずかな不安は霧散したらしい。
不遜で傲岸な笑みを彼の顔は取り戻した。
「そうですか。ならばおめでとう、姉上」
ダントンが興味なさげに言う。
「ほんと、そうよねぇ。お姉さま、私に感謝してよ? ヨハンシュさまとお姉さまってお似合いじゃない?ってお父さまに伝えたのは私なんだから」
キャッキャと笑うナナリーの顔を張り飛ばしてやりたい。
余計なことを、と。
私が憎いならどうして私だけを不幸にしないのだ。
どうしてこの妹弟は。
私の大事なものを壊し続けなければ気が済まないのだろう。
「ということで、急かしてすまないが準備をしてほしい」
国王の言葉に、フォーゼは無言で頭を下げる。
退席の許しを待ちながら、フォーゼは頭のなかで目まぐるしく考えた。
これ以上、自分に関わって犠牲者を増やすわけにはいかない。
すみやかに離縁されるためにはどうすればいいのか。
どうすれば。
侯爵家に迷惑をかけずに出戻りができるか、を。




