1話【ヨハンシュ】結婚話1
一日がかりとなった凱旋式を終え、ヨハンシュ・リゼルナは王都に構える侯爵屋敷に戻ってきた。
久しぶりに屋根のあるところだとホッとする間もなく、青い顔の執事長に連れられて兄ジゼルシュの執務室に連れて行かれた。
そこで開口一番、兄が発した言葉に目を丸くする。
「明後日、結婚式になった」
「誰の、ですか」
少なくとも兄ではないことは確かだ。
ジゼルシュは昨年結婚をした。妻は隣国の第四王女。超がつくほど由緒正しきお嬢様だ。
(だとしたら誰の結婚式だろう)
現在、ヨハンシュは忙しい。
戦勝報告や事務処理がたんまりとある中、兄がどうしても出席させたいとなると、血縁が濃い間柄の人間に違いない。
「従兄弟のジェラード? あいつ、とうとう身を固めるんですか」
「違う、お前だ」
「……え。誰」
「だからお前だ」
「俺?」
「そう」
首肯する兄の顔色は悪い。
さっきの執事長なんて比べ物にならないぐらいに悪い。
兄のことをこよなく愛する妻のリリィが見たら、彼女まで顔色が悪くなりそうなほど、顔色が悪い。
「相手は誰です」
とりあえず聞いてみた。
ヨハンシュとて侯爵家の次男だ。当主である兄が「婿に行け」あるいは「妻を娶れ」と言われれば、「はい」と返事をするつもりでいた。
だが。
死にそうな顔で「結婚しろ」と言われると相手が気になって仕方ない。
「相手は……」
「ちょっと待って!」
「うおっ! いきなり大声を上げるな!」
「ちょっと心の準備が……!」
「そうだな……。わたしとて心の準備が」
「兄上、深呼吸しましょう」
「うむ。互いに一度、落ち着きを取り戻そうじゃないか」
そうして25歳と22歳の兄弟は、息をあわせて深呼吸をした。三回。
「いいか、ヨハンシュ」
「いつでもどうぞ兄上」
なぜだかヨハンシュはこぶしを握ってファイティングポーズを取った。対して兄のジゼルシュは執務机に両肘をつき、指を組み合わせる。
「相手は、フォーゼ王女だ」
「フォーゼ王女」
繰り返し。
そして。
ヨハンシュは血の気が引いておのれの顔が真っ青になったことに気づいた。
「気をしっかり持て、ヨハンシュ!」
「はっ! あ、危うく失神するかと」
「深く息を吸うのだ」
「わかりました兄上」
今度は過呼吸になるんじゃないだろうかと思いつつも、ヨハンシュはさらに数度深呼吸をする。ペリースマントが暑いなぁと思っていたのに、いまでは身体中に巻き付けたいぐらい寒気を覚えている。
「陛下の不興を買ったのでしょうか。ついぞ覚えがありませんが」
ヨハンシュは戸惑った。
陛下には戦勝報告のため、二日前に顔を合わせたが、いつも通りだったような気がする。いや、むしろご機嫌なぐらいだったが……。
ヨハンシュは振り返る。
『陛下の御威光におそれをなし、不埒者どもは逃げ帰りました』
通り一遍のあの言葉。
(は……っ! まさか!)
嘘に気づかれたか。
いやだってばからしいと思う。越境してきたあいつら。いわゆる『大牙の灰色狼』と呼ばれる隣国アマルス王国の不穏分子をぶちのめしたのはヨハンシュであり、ヨハンシュの騎士団たちだ。
それなのに、なーにが陛下の御威光だ、と苦々しく思ったのがバレたのか。
いやだが、陛下は『凱旋式を企画した』と応じてくれた。
まあ、その余計な企画のせいで王都に兄と共に足止めをくらっているのが現状なのだが。
「わからぬ。あるいはわたしの妻のことか、と」
「あ」
ぱっと顔を上げると、ジゼルシュは両手で顔を覆って深い息をついていた。
大牙の灰色狼は隣国アマルス王国でも手を焼く不穏分子だ。
時折、盗み目的で越境しては村を襲ったり、大規模攻撃をしかけてくる。
その都度叩き潰し、アマルス王国に苦情を申し立てるが、「うちでも手を焼いていて……。すまんな」というような内容の文書が一枚、ぴらっとくる程度だ。
その態度について、「実は裏でアマルス王国が糸を引いているのではないか?」と勘ぐる輩も多い。
国内ではアマルス王国に対してよい印象を持っていない者が増えてきた。
そしてジゼルシュの妻は隣国の王族出身。現国王の4女だ。
「それはないでしょう。それを言うならば、王太后陛下も隣国出身ではございませんか」
ヨハンシュは兄の不安を一言で消して見せた。
兄とその妻リリィの仲はむつまじい。結婚して一年。まだ子の気配はないが、侯爵家のために兄夫婦にはどんどん子を産んでもらわなくてはならない。
「もともと我が侯爵領は目をつけられやすいからな」
ジゼルシュがゆっくりと顔をあげる。ようやく血の気が戻ってきたところをみると、やはり妻のことが不安だったのかもしれない。実弟に否定してもらってほっとしたところがあるのだろう。
「それはありますね。先祖代々そうです」
ヨハンシュたちの領地・リゼルナ領は隣国と接するいわば辺境都だ。
戦となれば最前線であるし、今回侵略されそうになったルサージュ地方は飢饉知らずといわれるほど肥沃な大地が広がり、水がこんこんと湧く。
一部王族が「田舎」とばかにするが、リゼルナ領からの収穫物が納税されなければ、一か月も立たずに王都が干上がることを兄もヨハンシュも知っている。
いわば王家の台所。あいつらの胃袋を支えているのはリゼルナ領なのだ。
賢明な王であれば、その重要性は骨の髄までわかっている。
わかっているからこそ、リゼルナ侯爵に敬意と。
それから十分な警戒を示す。
なにしろそこは辺境。
隣国に寝返られれば、有能な味方が、次の日には小癪な敵になるのだ。
「どうやら王都近郊は今年も作物の実りが悪いらしい」
「今年も?」
ヨハンシュは眉根を寄せた。昨年も不作だったと聞く。
「我が領は変わらず、豊作だがな」
「……なるほど。それで今回の派兵に王都騎士団が参加しなかったわけがわかりました」
余裕がないのだ。
派兵に兵糧はつきもの。というか、十分な兵糧がないと兵は賄えない。戦えない。兵站が途絶えれば死活問題に直結する。
大牙の灰色狼たちの越境が確認され、ジゼルシュはすぐさま王都に早馬を飛ばした。
『即時対応せよ』との返事が来たが。
王家は、王都からの派兵を指示してはくれなかった。
越境は少数であったため、ジゼルシュは弟のヨハンシュに討伐を命じ、自らは隣領の領主と情報共有を行いながら、なにかあったときのための対処を講じていた。
その後、戦勝報告のために兄とともにこうやって王都に乗り込んだのは。
多少なりと皮肉のひとつでも言ってやろうと思ったからだ。
高みの見物は面白かったか?と。
「……俺の態度がわるかったんですかねぇ」
がっくりと肩を落とす。
派兵しない、ではなく、できなかったとわかっていたら、あんなに尊大な態度はとらなかったのだが。
「いや、関係あるまい。もう考えるのはよそう。とにかく、フォーゼ王女がお前に嫁ぐことはすでに決定事項だ」
「フォーゼ王女……」
ふたたびヨハンシュはつぶやいた。
モーリウスの毒婦と呼ばれる王女。
自分が知るだけでも、3回は婚約破棄されたのではないだろうか。




