第三話:孤独な大統領と、蒼き影の男 ─阿嶋進悟─
演説が終わった。世界を前にした、大統領としての初めてのスピーチ。
その言葉がどれだけ力強かったか、それを理解してくれる者は少ないだろう。だが、少なくともこの瞬間、俺は世界を少しだけ動かすことができた気がしていた。
会場を後にして、俺はリムジンに乗り込んだ。運転手も、側近たちも、すべてが無言だった。
空気が重い。首に感じる重圧に息が詰まりそうになる。
運転手がバックミラー越しに俺を見ている。何も言わないが、目に浮かぶ言葉はひとつだった。
“次の行動が大事だ”。俺も同じ気持ちだった。
大統領としての行動、それがどう響くか、どうしても気になる。だが、今はそれを考える暇もなかった。
突然、リムジン内の電話が鳴った。
「大統領、阿嶋首相が会談を希望しています」
“阿嶋?”
日本の首相だ。名前を聞いた瞬間、俺は一瞬戸惑った。
どうしてこのタイミングで会談を持ちかけてきたのか。だが、阿嶋進悟は、単なる首相ではない。
彼は、転生前の大統領が唯一信頼していた人物だった。もし大統領が今もこの世界にいたのなら、間違いなくこの人物を頼りにしていただろう。
「分かった。すぐに向かう。」
電話を切ると、俺は少しだけ深呼吸をした。
リムジンはホワイトハウスに向かって走っている。窓の外を流れる風景に目を落とすが、心は落ち着かない。
阿嶋進悟は、少し特別な存在だ。政治家としてのカリスマ、冷徹な判断力、そして不安定な国際情勢をしっかりと見据えている人物。
彼に会うことで、どれだけ世界が見えてくるのだろうか。
数分後、リムジンはホワイトハウス前に到着した。
降りて少し待っていると、日本の首相、阿嶋進悟がやってきた。
彼はすぐに歩みを進め、まるで俺を迎えるかのように静かに立っている。
歩みは急がず、冷静さを保ったまま、俺に向かって一歩一歩確実に進んでくる。
「大統領、お時間を頂きありがとうございます」
阿嶋首相の言葉には、少しの畏怖もなければ、堅苦しさもなかった。ただし、その一言に込められた重さを感じずにはいられなかった。
「こちらこそ、会談できて嬉しいよ」
俺は軽く笑いながら返したが、その表情には多少の緊張が滲んでいた。
阿嶋は無言で頷き、ホワイトハウス内の会議室へと案内した。
会議室に入ると、阿嶋はすぐに
「大統領、あなたの演説は…少し驚きました。」
「驚いた?」
「はい。アメリカ第一主義を貫く姿勢が前面に出ていましたが、その裏にどんな意図があるのか、少し気になりました。」
その言葉に、俺は少しだけ眉をひそめた。確かに、自国の利益を最優先にする方針は表に出したが、それをどう捉えられるかは予想外だった。
「意図?」
「ええ。アメリカが強くあれば、世界も強くなるという主張には、確かに一理あります。しかし、全てをアメリカの利益に基づいて考えることは、他国に対して強い圧力をかけることになります。外交にはもっとバランスが必要だと私は考えています。」
「だが、アメリカが世界の警察役として機能することで、最終的には安定をもたらすとも考えている。」
「それも一つの考え方ですが、他国との協力関係を築くことで、もっと強固な平和が築けると思います。」
「協力関係、か。」
「はい。例えば、日本としては、アメリカの力を借りながらも、他国との平和的な対話を大切にしたい。外交で解決できる問題があれば、戦争の火種を消すために話し合いを優先すべきだと思います。」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ考え込んだ。確かに、戦争を回避するためには話し合いが不可欠だ。だが、アメリカの強さがそれを支える役目を果たすのもまた事実だ。
「だが、今の世界は不安定だ。どれだけ話し合いをしても、すぐに何かが起こる。」
「もちろん。だからこそ、強いリーダーシップが必要です。」
「強いリーダーシップ?」
「はい。世界を引っ張るリーダーがいなければ、各国はバラバラになり、いつでも衝突が起こり得ます。だからこそ、大統領にはその強さが求められている。」
「強さか…。」
その言葉には、少しだけ驚きがあった。だが、阿嶋の目には何かが込められているように感じた。
「大統領、あなたはアメリカを世界に誇る強国にする力を持っています。その力を、他国と手を取り合うために使えば、必ずや世界をより良い方向に導けるはずです。」
「だから、協力が必要だというわけか。」
「はい。アメリカの力が強ければ、他国もその力を尊重するでしょう。しかし、その力を独りよがりに使ってはいけません。信頼を築くためにこそ、その強さが必要なのです。」
俺は黙って考えた。阿嶋の言葉には深い意味があるように感じられた。
この男は、ただの政治家ではない。彼の目の前にある世界を、冷静に、そして理論的に見つめているようだった。
「ありがとう、阿嶋。」
「いえ、私は大統領に伝えたかったことを伝えただけです。」
「それでも、君の言葉には力がある。」
「大統領、私はただ一つだけ伝えたかった。それは、どんなに強くても、一国だけでは世界を平和に保つことはできないということです。」
その言葉が、俺の胸に重く響いた。
「分かった。協力の大切さを忘れないようにする。」
阿嶋は満足げに頷き、そして少しだけ微笑んだ。
俺たちの会話は続く。それが、この先の世界にどう影響を与えるのか、まだ分からない。しかし、少なくとも今、俺は一つの重要なアドバイスを受けたことを感じていた。