2 目なんか瞑れるか!
リリディアの意思とは関係なく、父侯爵に言われるまま、リリディアは現王の王太子ラドクリフ・ベルンシュタインと政略結婚させられたのだった。
華麗な婚姻の儀式後、花嫁衣装を脱いだリリディアの前に王太子の従者が現れて言う。
「それではこちらへ……」
案内されたのは王太子の寝室だった。
(殿下がお部屋に呼んでくださった……でも、なにをすれば?)
びくびくしながら部屋に入っていくと、意外にも殿下の他に数人の者が待ち構えていた。
「殿下、お連れしました」
「ご苦労。お前は下がって良い」
「殿下、本当にこのような娘に治療をさせるのですか?」
そばに控えていた学者風の男が、我慢できないように言葉を発した。
「うるさい。俺の病気も治せないくせに、文句だけは言うんだな」
「ですが、殿下……」
学者風の男はどうやら医者のようだ。
その時、部屋の隅から別の声がした。
「治せなかったら、 “病気” ということにでもして始末すればいいことではないですか」
声の主は、タチアナ・ボルヴィック子爵令嬢だった。
「まあ、待て。治療させてからだ」
王太子殿下はそう言うと、ベッドに横になった。
「あの……私は……?」
「お前は、殿下のご病気を治療をするんだ。いいか、いい加減なことをしたらタダじゃおかないぞ。私たちが見ているからな」
医者の男に言われてリリディアは殿下のベッドの横に立った。
「やれ……」
殿下の命令に、リリディアは仕方なく手をかざした。
キラキラとした光がリリディアの手からこぼれ、王太子の体に注がれる。すると、リリディアの頭には大きな耳が生え、ドレスの下から長い尻尾がのぞいた。
「なんなんだ……この娘。ケモノなのか? 何か怪しい術でも使っているのか……」
周りにいた医者や取り巻きが、気味悪そうに呟く。
だが、それとは裏腹に殿下の病気は良くなっていった。
殿下の病気は重く一度で治る者ではなかったため、何回にも分けて治療をしなければならなかった。
治癒後の殿下は機嫌も良くなり、感謝の言葉を掛けてくれることもあったが、それは治療を続けてもらう為だったのかもしれない。
王太子の病気がすっかり良くなってしまうと、途端にリリディアは邪魔者扱いされるようになった。
こうしてリリディアは、王太子を治癒するためだけの、短い結婚生活を終えた。
翌朝、誰も見送る者もいないリリディアは、夜明けと共に静かに王城を出た。
久しぶりの外の世界だった。
特に行く当てのないリリディアだったが、とりあえずあの長い時間を過ごした辺境の侯爵家の領地屋敷へ行ってみようと思った。
着る物は昨日のうちに、殿下から賜った褒美の宝石と交換で手に入れてもらった。
目立たない男の子のような服に、フードのついたマントとブーツ。それに古びた肩掛けカバンが彼女の唯一の財産だった。
一日中歩きに歩いて陽が沈む頃、街道沿いの大きな木によじ登ってそこで眠ることにした。
小さな頃から木登りだけは得意だったからだ。
白い大きな月が昇る頃、物音で目が覚めた。
誰かが下で争っている。
「何者だっ、何故追って来る?」
「おまえこそ、何故我らのことを嗅ぎ回る?」
「知りたいことがあるからだ……」
「これ以上深入りすると、容赦せぬぞ」
月明かりの中でキラリと刃が光った。剣と剣がぶつかり合う音がして、火花が散った。
二人はしばらく剣で打ち合っていたが、やがて一人の動きが鈍くなり、もう一人は走り去った。
木の下で男の呻き声が聞こえた。
リリディアは少し様子をうかがっていたが、男の苦しそうな声が気になって、するすると木を下りた。
「大丈夫ですか?」
リリディアが声をかけると、その若い男は目を見開いた。
まだ20代前半くらいの若者だった。月の光に照らされて銀色の髪がつやつやと揺れる。淡いブルーの瞳はアクアマリンのようにひんやりと透き通っていた。
肩から血が滲んでいる。先ほどの打ち合いで怪我をしているようだ。
「今、治します。ちょっと目を瞑ってください」
そう言うとリリディアは、手をかざした。
キラキラした光がリリディアの手から零れる。
リリディアと男の目が合った。
「ちょっと、目を瞑ってくださいって言ったのに!」
若い男は少しおかしそうに、
「赤の他人が何をするかもわからないのに、目なんか瞑れるか!」
と言う。
「……まあ、それもそうですね」
「それより、何をした? 痛くなくなったぞ」
「まあ……治しましたので……」
「お前、治癒能力者か?」
「……まあ、そうかもしれません」
「そうかもしれないって……どういうことだ?」
「知られたくないので、内密にお願いします……」
「おまえ、変なやつだな……」
「……そんなこと言われたの、初めてです……」
リリディアは、人生で初めて親しげにそんなことを言う男に、少しだけ興味が湧いた。
「それより、なんで襲われていたんですか?」
「うーん、それはだな……内緒だ。そんなことより、おまえどこから湧いて来たんだ?」
リリディアは問われて、木の上を指差した。
「木の上にいたのか……猫みたいなやつだな」
男は立ち上がると、明るい月の下で手を差し出した。
「治してくれてありがとう、俺の名はレンだ」
リリディアは男の手を取って立ち上がりながら、
「僕はディア……よろしく」
と握手を交わした。