1 来たくて来たわけではありません
「王太子妃リリディア・ベルンシュタイン、もとい侯爵令嬢リリディア・ルーゼンヴェルク。そなたの王家の品位を貶める行動の数々、到底許容できぬ。本日たった今を持って、そなたを離縁し王宮からの追放を言い渡す。早々に立ち去れ!」
朝食の用意がなされたテーブルの向こう側に腰掛けた、王国の王太子ラドクリフ・ベルンシュタインはその第一声をリリディアに投げかけた。
(まだ『おはよう』の挨拶もしていないのに……)
珍しく朝食の席に呼ばれたと思ってはいたが、その理由が『離婚宣告』とは……いくらなんでも非常識ではないだろうか。
「殿下、朝からそのようなことをおっしゃっては、お可哀想ですわ」
いつからそこにいたのだろうか?
王太子のお気に入り、タチアナ・ボルヴィック伯爵令嬢がいつの間にかラドクリフ殿下のそばに立っていた。扇子で口元を隠しているのは、嘲笑を堪えているのだろうか?
「今日中に出て行けなんて、さすがにお気の毒すぎます。せめて明日の朝までということにしてあげてはいかがでしょう?」
(殿下は『今日中に出て行け』なんて一言も言ってない気がするけど……)
「うむ、そうだな。それでは明日の朝まで猶予をやろう。早々に支度を始めよ」
「殿下……」
タチアナが何やらこしょこしょと殿下に耳打ちする。殿下はその耳打ちに首を縦に振った。
「それからリリディア、王宮でのことは何ひとつ他言してはならない。もし他言すれば……必ず追っ手を差し向け、お前の口を塞がせる。いいな?」
「は、はい……殿下。殿下がご病気だったことは誰にも言いません」
王太子が重い心臓病を患っていたことは、王宮内の秘密とされていた。そのことを口外したら刺客でも送られるのだろうか……
「いいか、決して漏らすなよ……お前のような獣を、病気を治すためとは言え一度は王宮の一員にしたのだ。光栄に思え」
「……私は、来たくて来たわけではありません…」
思わずリリディアは呟いた。
「なんてことを! 薄汚い獣の分際で、一瞬でも王宮の一員になれたことだけでも身に余る光栄でしょう?」
(薄汚いケモノ……)
リリディアは思い出していた。
辺境の侯爵家の古い館の一室が、彼女の唯一の空間だった。
たった一人の静かな田舎での生活が続くかと思われた頃、突然王都の父侯爵から手紙が届いたのだ。
手紙には『近々そちらに迎えの馬車をやるので、支度をして待っているように』と書かれていた。
(お父様は私のことを忘れたわけではなかったのだわ! もう二度とお会いできないかもしれないと思っていたのに……)
リリディアは嬉しくて、いままでのひとりぼっちの生活から救われた気がして、はやる気持ちで迎えの馬車を待った。
数日後、 迎えの馬車はやって来て、従者が言葉少なにリリディアに告げる。
「お嬢様、お迎えに参りました。王都で旦那様と奥方様、それにご姉弟の皆様がお待ちです。どうぞ、お乗りください」
「お、奥方様って? それに姉弟……?」
驚くリリディアに従者は静かに告げる。
「旦那様は、王都でご再婚なさいました。ご兄弟は奥方様の連れ子のお嬢様と、ご再婚後にお生まれになったお坊ちゃまです」
(お父様、再婚なさっていたのね。……私のことなんか、忘れるはずだわ。それなら、何故今ごろ私を?)
三日三晩馬車に揺られ、王都にある侯爵邸に着いた。
久しぶりの再会に胸をときめかせたリリディアの前に現れたのは、継母とその子供達だった。
「初めてお目にかかります……私リリディア・ルーゼンヴェルクと申します」
そう自己紹介したリリディアに最初に投げかけられた言葉は、
「まあ、なんてみすぼらしい!」
という継母の一言だった。
「おかあさま、この汚い娘が私の妹って本当ですの?」
継母のそばに立つ、美しく艶やかなドレスを纏った令嬢が言った。
「仕方ないわね、こんな芋娘でも侯爵の血を継いでいることに変わりはないわ。この娘を差し出せば莫大な褒章がもらえるのだから……」
継母はそう言うと、召使いたちに命じた。
「この娘を隅々まで洗って、なんとか人前に出せるようにするのよ!」
数時間後、着ていた物を身包み剥がされお風呂でゴシゴシ洗われた後、ドレスを着せられた。
それは、今まで見たこともないような光沢のあるクリームイエローのドレスだった。
ドレスにはふんだんにレースと刺繍が施され、肌触りも素晴らしい物だった。
踵のある靴は履き慣れないので、歩くのによろよろしてしまうのだが、見せられた鏡の中のリリディアは、いつも見ていた自分とは全くの別人だった。
「支度できたかしら?」
そう言って部屋に入って来たのは、先ほど義母の隣に立っていた美しい令嬢だった。
「ふうん……馬子にも衣装ね、私のお下がりだけど。……いいわ、連れて来て」
リリディアは召使いに手を引かれて、別の部屋に連れて行かれる。その部屋で待っていたのはリリディアの父侯爵だった。
「リリディア、よく来てくれた。来てもらってすぐこんなことを聞いて申し訳ないが、お前の “治癒能力” は変わっていないか?」
「え?」
リリディアは驚いた。父の前でその能力を示したことはなかったはずなのだが……
「お前の母親が、『この子には私にも劣らない治癒の力がある』と言っていた。どうだ、その力を見せてくれぬか?」
父侯爵はそう言うと、リリディアの前に近くにいた従者を立たせ、腰に佩ていた剣を抜くと従者の上に振り下ろした。
「うわあっ!」
従者は叫び声を挙げて床に崩れ落ちた。父侯爵は平然とそれを見下ろすと、リリディアを促して言った。
「リリディア、この者を治癒せよ」
「…………」
リリディアは今自分の目の前で起きたことが信じられなかったが、倒れている男に近寄るとその手をかざした。
キラキラした光が手から零れるように男の上に降り注いでゆく。
すると青ざめた男の顔に赤みがさし、傷口がどんどんくっついて、肉が盛り上がり薄い線になって、すうっと消えていった。
「やはりな、母親と同じだな……」
父侯爵は従者の傷が消えていくのを見守ったのち、リリディアをまじまじと見て言った。
「耳が生えるところもそっくりだな……尻尾もあるのか?」
リリディアの頭に大きな猫の耳が生えていた。
「どうして……どうして、こんなことを……」
リリディアの顔が辛そうにゆがむ……追い打ちをかけるように父侯爵が言った。
「おまえは侯爵家の令嬢として、王太子と結婚するのだ」