第三話
陽守の演説を聞いた翌週の月曜日。土日を経て元気いっぱい、活力に満ち溢れた子どもたちが登校し、燐伎も同じく通学路を駆け、門を通過し、教室へその元気な姿を見せた。
「皆、おはよう!」
「あ! おはようりっくん!」
燐伎も登校時間は早い方だが、それよりさらに早く来ていた同級生と挨拶。“りっくんは今日もかっこいいね!”とひそひそ話し合う彼らの声を耳にし、心で軽くありがとうを述べながら自分の席へ向かい、今日使う教科書類を机の引き出しに仕舞っていく。
次々に登校してくる友達とおしゃべりしながらしばらく待っていると、親友が無表情……にしては若干いらついた顔を俯かせ、入口から静かに入ってきた。
「こづちゃん! おはよう!」
他の子へしていたのと同様に声をかけると、心槻はやっとその顔を上げた。そして何だか緊張がほぐれたような、ほっとしたような顔で挨拶を返してくる。その言葉に燐伎も少し安心し、心槻の下へ向かいながら次いで気にかかることを明るい調子で問いかけた。
「そんな顔してどうしたんだ? 朝から何かあった?」
自分の席に行く心槻に付いて行き、彼女がよく整理されたランドセルから授業の順番通りに中身を引き出しに仕舞うのを見守る。
「朝っていうか昨日の夜かな……再来週はお姉ちゃんの命日あるんだけれど、親から電話かかってきて、時期が近いし彼岸もあるから再来週の土日に帰ってこいって」
心槻は今はいない、顔を見たこともない姉が大嫌いだ。そして姉をやたら持ち上げ、心槻の意思を無視し、姉のようになれと強制してくる親も大嫌いで。何なら大人が嫌いな理由の一つが親である。今回の件について、つまりは姉の事情に付き合わされることが嫌なのか……と思ったが、どうやら少し違うらしいことを次の言葉で知る。
「いい加減嫌だから何か適当に理由付けて断ろうと思って。それで、その日は実家に行かなくてもよくなったの」
「よかったじゃん! ……ん? なら何で……?」
再度聞くと、胸に溜まった不満を全部吐き出したいと言わんばかりの大きなため息。これは相当にストレスが溜まっているぞ。
「代わりに今週の土日に来いって……」
「あー……」
結局先に帰るか後に帰るかの問題になってしまったようだ。心槻からすれば親は顔も見たくない、できるなら縁も切りたい存在であり、彼らの都合に振り回されることも心から嫌で仕方ない。
「実家に帰れば一日中、ううん、いる間はご飯と寝る時間以外ずっと勉強しなきゃいけないし、何よりあの人たちの毒素浴びるの嫌すぎるんだけど」
と、このように毒を吐く。心槻は親の命令により毎月一回のペースで実家に帰っており、全てを恨む程の怨念を抱えて蓮隅市に戻ってくるので、心槻の友人は時期が来る度にいつも心配をしている。……と言っても、そういった深い事情は燐伎と僅か数人しか知らないが。
「とりあえずお疲れ……」
「ありがとう……」
心槻の話を聞いていたら何だか自分まで大変な気持ちになってきた。笑いながらため息を一緒に出す。それに気づいた心槻は急いで謝った。
「ごめんね、朝からこんな話して」
「ううん、気にしないでくれ! 悩みは吐いて楽になるならどんどん吐かなきゃだぜ!」
と、持ち前の学園の王子様モードでにいっと笑う。その頼り甲斐のある、少女らしからぬかっこいい笑顔に今まで学校中の何人もの女子生徒が落とされてきた。何なら男子生徒も何人か魅入られたくらいに。ただし心槻はそれに落ちなかった珍しい部類である。尤も、共に過ごすうちに燐伎のことを認め今や親友になる程ズブズブだが。
ふと、先週の金曜日に二人で共に見たあの人についての記憶が蘇る。
「そうだ、この間の陽守のおじさんなんだけど、結構有名人かも!」
土日の間いとこが陽守について何か考え、彼を見たことがあると告げてきたのを思い出して心槻に伝える。朔一もまだ二十二歳と若いため、朔一自身が“どこかで見たのかもしれない”と話していたようにやはり若者の間で相当に流行っているのだろう。
「そう……あの人って根を伸ばすのが得意なんだ。あの大嘘つき」
心槻が陽守をやたらと警戒する理由を燐伎は何となくしか知らない。何せその理由を頑なに言おうとしないのだ。人の嘘や表向きの態度に敏感で、自らも大人の前では本心を隠し、だからこそパーソナ教に惹かれた彼女が、その教祖にははっきりと嫌悪を示す。大人嫌いを公言する心槻を思えばそれは理に適っている気がするものの、陽守の掲げる理念には賛同しそうなものだが……。理念と提唱者たる陽守はあくまで別で、彼を見て何かを感じ幻滅でもしたのだろうか。それとも彼女の姉のことを口にしたのがよくなかったのか……?
「まあまあ、陽守のおじさんが言ってたみたいに誰だって仮面を被って本当の自分を隠してるから! あの人にもきっと事情があるんだよ!」
「……かもね」
大人も、いや、生きている以上皆が何かしらの仮面を被らねばならないことを心槻も身を以てよく知っている。それを燐伎もわかっている。だから尚更パーソナ教の教えには共感しそうなものだと思っていたし、したからこそ演説に誘ったはずだ。しかし、ただ見聞きするだけと、実際に触れてわかり、それを受けて思うことには差があるのだろう――彼女が口で語らずともそのあたりであればある程度はわかる、親友なのだから。
「……りっくんはあの人のことどう思っているの?」
心槻の問いに、改めて自分の中の彼を考えてみる。パーソナ教を提唱する以上、彼もまた仮面を被っていることを自覚しているはず。そしてそれを言語化し、人に教えて回っている。
「本当はどんな考えを持ってるのかはわからないし、もしかするとこづちゃんが言うみたいに嘘を吐いてるのかもだけど……ボクは本当に優しい人なんじゃないかなって思うな!」
正しく、本心だ。それを聞いた心槻は小さく吹き出し。
「……将来人に騙されないようにね」
「えっ⁉」
その反応に気をよくしたのか、心槻はさらに笑い出す。先程までの暗い雰囲気から一転、随分と楽しそうにする彼女の様子が嬉しく、燐伎も何だか嬉しい気持ちになった。
そう色々と話しているうちに朝休みの終わりを予告する鐘が鳴る。二人も、他の同級生も自分の席に着き、朝読書の時間用に持ってきていた本を取り出した。