第十話
九月二十九日、金曜日。学校をずる休みした燐伎と朔一は急いで駅へ向かい、心槻及び陽守と落ち合った。心槻も同じくずる休みをし、陽守は有休を取ったようだ。目指すは月予を祀る祠。その場所は朔一が知っている。
電車のボックス席で揺られながら四人は戦意を高ぶらせ……いや、決意を再確認した。
「それにしても朔一さんに恋人共々お世話になるとは」
「十年前にもお話しましたけど、オレも望千さんを止められなかったことを後悔してるんです。……もう同じ後悔はしたくないっていう、オレのエゴなんで気にしないでください」
旅の道中、陽守は望千についてたくさんの思い出を話してくれた。中学時代に出会ったこと、望千から告白されたこと、完璧人間の彼女が自分の前でだけは心からの笑みを見せてくれたこと――決して忘れ得ぬ、青春時代の思い出。
「惚気聞きすぎて汗腺から砂糖生成できそうなんだけれど」
と、心槻は言うものの、親からは得られなかった全く知らない姉の情報に興味津々のようだ。
「ねぇねぇ! 陽守のおじさんは望千さんが無事に帰ってこられたらパーソナ教はやめちゃうの?」
「どうでしょうね……月予へ復讐を果たした後、私はまともに自我を保っていられるかの自信が無いのです。今まで復讐の為に生きていたので、それ以外の生き方を忘れてしまいました」
そう言って軽く笑みを漏らす。……このあたりは目的を達成してから考えてもいいのだろう。そもそも、今は目的を果たすことが重要なのだから。
途中で駅弁を食べながら四人は作戦をおさらいする。目的地へは確かに近づいていた。
電車を降りた次は町民バスに乗り、最寄りのバス停で降りる。その足で祠がある山の麓の廃村まで来る頃には辺りは薄暗く、朔一にとっては懐かしい風景となっていた。
「……久しぶりだな、ここに来るのは」
「望千も同じ景色を見ていたのですか?」
「はい。そしてここからあの山へ登ったんです」
そう言って指を差した先には小高い山。かつては威圧感すら感じていた場所は、これから決戦の場となる。もう、何も失わない。目指すはよりよい未来。朔一は一行を見て、強く言葉を放った。
「行きましょう。――いい景色を、オレたちの手で手に入れるんです」
山頂まで一時間かけて登り、頂上に着く頃には人工の光無しには歩くことが恐ろしい程薄暗くなっていた。もちろん街灯なんてものは無く、予め持ってきていた懐中電灯だけが頼りだ。
祠は廃村にあるせいか長年手入れがされていないようで、どこからどう見てもボロボロの――今にも崩れ去りそうなガラクタも同然だった。
この光景も十年前に見たものと同じだと、朔一は話した。
「緊張してきたぁ……兄貴、月と祠が通じるのは月が出てる時なんだよね?」
「そうだと思うんだけど、月予さんは夕方にも出たって話だし、通じやすい時間帯がそうってだけで、実際にはその気になれば自由に姿を現せそうだけどな」
空には朔一が見たあの時のように薄雲がかかっている――その夜空を、今度は燐伎たちも見ている。……そして、満月がゆっくりと動く雲の切れ目から顔を覗かせた。さぁ、勝負の時だ――!
……月の光が差し込む。その光と共に、男が地上へ降り立った。
「……皆で、来たんだね」
「月予……!」
陽守が睨み、持ってきたバールを構えた先には此度の対決相手、月予。彼は朔一を見るなり穏やかに笑った。
「サクさん……いや、朔一さんだね。あの時は望千さんを連れてきてくれてありがとう」
「そのことなんですけど、望千さんをこの世に返してほしいんです。ただし、心槻さんを代わりに引き渡すという条件は飲めません」
その言葉に月の神は不思議そうに首を傾げる。ただ提案を断りに来たのではない、そう察して。
「でも現世の人の縁が無いと僕はこの世界に干渉できない。だから心槻さんが来ないのなら望千さんを返すことはできないかな」
今度は月予の言葉を陽守が嘲笑い、がなり混じりに問い詰める。
「はっ! 人を攫いそいつの人生を奪うことが本当に人の為なのか? 自分の都合で人を振り回すことが本当に俺……かつての友人とやらの為なのか?」
その言葉に彼は言葉を飲んだ。……彼はわかっている。人の人生を自分勝手に利用していることはわかっているのだ。だから望千を現世に返す提案を心槻や陽守にした。……そもそも何より友人の、陽守の幸せを奪ったことは言い逃れできない。
「そのことでボクから提案!」
今度は燐伎へ視線が行く。……燐伎の心臓はバクバクと激しく、この焦りはきっと悟られているだろう。何せ相手は神なのだから。それでも、自分にできることを果たすのだ。
「月予さん、神としての自分を捨ててみない?」
「えーっと……どういうことかな?」
恐らく来るだろうと予想していた通りの質問に、どうにかハキハキと答える。
「月予さんはきっと、今まですっごく頑張ったんだと思う! でもね、人は神に守られてばかりじゃなくても生きていけるってボクは思うんだ。だから役目を捨てて、楽になってもいいんじゃないかなって!」
「そこで俺の事情も絡んでくる」
今度は陽守。陽守は依然として険しい表情のまま、考えを淡々と話す。
「俺がお前という神を殺し、神としてのお前を終わらせる。そうすればお前は神の役目から解放されるはずだ」
「……でも、君は僕に復讐したいんだよね?」
その疑問は尤もだ、陽守も苦虫を噛み潰したような顔になる……が、すぐにその問いに答えた。
「あぁ。俺はお前が憎い。確かに月へ復讐したい。だがこの計画なら、月の神を殺すという復讐自体はそれがお前の為になろうと叶う。何より、望千が自己犠牲で月にいたままではなくこちらに帰ってきて、幸せになってくれるのなら全てを飲み込む覚悟はできている。望千の返還、お前の殺害及び引退……それがこちらからの要求だ」
バールの先端を向け続ける陽守の要求に言葉を失う。……少し考え、やっと口を開く頃には満月が東の空から彼らを見守っていた。
「……うん、わかっていたよ。人間は神の手を離れても自力で歩いていける。それに……陽守くんが約束通り“大切な人を守る信念を持ち続けている”のは間違いないみたいだね。――その条件、飲むよ」
燐伎と心槻が喜びで顔を見合わせる。その二人を朔一が優しく見つめ、月予へ声をかけた。
「その為にまず望千さんを呼んでもらいましょうか」
「そうだね、彼女に現世との縁を返すよ」
月予は月へ大きく手を広げた。
「“早賀爾月予彦の言において命ずる――榛上望千へ、我が得た現世との縁を返還する。”……望千さん、こちらへ来てくれるかな」
もう一度、月の光が強く地上を照らす。そして一行の前できらきらと光が集まり形となり――光が収まると同時に望千がその場に姿を現した。
「望千ッ……!」
真っ先に動いたのは陽守。バールを放り投げ、彼女の下へ駆け出し、抱き締める。月からずっと見守り幸せを願っていた、もう会えないと自分に言い聞かせながらも会いたくて仕方なかった愛しい人の抱擁に望千は安堵の声を出す。
「太丞くん……元気になってくれて、よかった」
「何がよかっただ……! 俺は、お前のいない世界で気が狂いそうだったんだぞ……いや、もう狂ったのかもな」
そう強く抱き締める彼から、徐々に嗚咽が聞こえ始める。そんな彼を恋人も優しく抱き締めて。
「私、自分のしたことを間違いとは思っていないよ。……でも、結果として苦しませてしまったね、ごめんね」
「……いや、いい。望千がいるなら、ここで生きているなら……それで構わない。――お前を、愛しているから」
望千の体から腕を離した時、彼は今まで見せたどの笑顔よりも優しい表情をしていた。しかしその後にまたしかめっ面に戻った顔を月予に向け、バールを拾い彼へ相対する。
「さぁ、後は俺がお前を殺すだけだ」
「そのことだけど、流石にバール一本じゃ厳しいね。……だからそれに僕の権能を付与して、一時的に神殺しの力を持つ武器にするよ」
月予が神としての力をバールに注ぎ込むと、それは淡い黄色の光を放ち、一本の刀となった。
「……行くぞ」
「うん、いつでも」
刀を構え、今度は月予へと駆け出す。十年もの間抱え込んだ激情を込めたそれを、右上から大きく振り下ろし――。
「ッ、……!」
……月予の体に一閃の深い傷を付けた。……彼の体が光に包まれていく。
「あぁ、この死ぬ感覚、懐かしいなぁ……うん? 違う、神の力だけが抜けていく……これは」
「お前という“月の神”を殺した。お前、元は人間なんだろう。なら月の神でなくなったお前は人間に戻るはずだ。“神殺しの力”にしたのはお前だぞ」
バールに与えられた権能が作用する時間は本当に僅かで、月予へ一撃を与えるとすぐにその力が抜け、それは普遍的なよくあるバールへと戻った。そして月予からも体を包んでいた黄色い光が上空へ飛んでいき、最後はただ一人の人間がそこに立っていた。
「これからどうするのかはお前が決めろ。俺たちはもうお前に用は無い」
陽守の言葉に、しばらく呆気に取られていた月予だったが、また穏やかに笑い出した。
「……やっぱり、君は優しいね。ありがとう、陽守くん」
陽守と月予が言葉を交わすその近くで、望千は心槻に話しかけていた。
「心槻……って言うんだっけ。その……はじめまして、姉の望千だよ」
「……知っているよ、そんなこと」
目をしっかりと見て口を尖らせる。やはり簡単には受け入れられないか。
「……アナタにもたくさんの迷惑をかけたね、ごめんね」
「別に、お姉ちゃんがいなくなったことで醜い大人たちの本性が出たってだけでしょ、その本質は変わらないよ。……でも」
むすっとした顔から、挑発するような挑戦的な表情を浮かべる。
「姉だって言うなら、姉らしい行動でもしてみせてよね」
「! ……うん、善処するよ」
……その二つの光景を見届けた燐伎と朔一。二人もまた、顔を見合わせて雑談に興じる。
「りっちゃん、後悔はある?」
かつて振り払えない後悔をし、いとこに同じ思いをしてほしくなかった朔一がその可愛いいとこへ問いかける。
「ううん、全く! ……ボク、やれることをやったよ!」
「そうだな、よくできました!」
空には真ん丸の、何一つ欠けた所の無い月がぼうっと浮かんでいる。秋らしい冷たい夜風が、熱の冷めぬ一行の隙間を通り過ぎていった。