第九話
電話で陽守にアポを取ったところ、翌週の月曜日が祝日のためその日に陽守宅へ集まることとなった。
お泊り会から心槻が帰った後、燐伎は膝を抱えてテレビを見ながら、どこか憂鬱な気分で日曜日を過ごしていた。
この世界には自分の知らないことがまだまだある。友人が友人の姉が関わる月に誘われ、その月はもう一人の友人の為に動いているらしい。そんなことをついこの間ようやく知った。そこに自分が割って入る余地はあるだろうか。友人関係にあること以外赤の他人の自分がずけずけと踏み込むのは彼らを尊重していないことになるのでは。……と、今更不安になってきた。
「りっちゃん、浮かない顔だな?」
「兄貴……」
いつものように優しく声をかけてくれるいとこ。……この際だ、彼にも意見を求めてみようか。
「……ねぇ、兄貴。兄貴は人の事情に土足で踏み込むのってどう思う?」
度の入っていないレンズの奥の目が不思議そうにきょとんとしている。かと思えば、その目は慈愛に満ちたものとなり、静かに笑った。
「オレも、昔に人が人生をかけた決断をするところに立ち会ったことがあるよ。所詮赤の他人だし、結局何もできなかったけどな」
そう両手を上げて肩を竦める。その言葉に燐伎は目線を落とした。が、その様子に気づいた朔一が背中をぽん、と優しく叩く。
「でも、りっちゃんは心槻さんの親友だろ? なら親友としてやれることはやるべきだ。お互いに後悔しないようにな。後から悔やんだって後の祭りだ、自分の努めを見つけたならそれを果たそうぜ。……それに、悩むことも大事だけど、りっちゃんは悩んで落ち込むよりも、いつもみたいに素直に笑って人を引っ張る姿の方が似合うなってオレは思うな」
親友。……そうだ、自分は心槻の親友なのだ。親友として彼女を大切に思い、だからこそ彼女を引き止めた。そのことを忘れてはいけない。親友としての努めを、彼女を引き止めた責任を、自分は全うするべきなのだ。
「……うん! ボク、こづちゃんの為に頑張る! それに陽守のおじさんも放っておけないし、やれることをやるよ……!」
「うん、それでよし! じゃあ野菜ジュース飲む?」
「また貰ってきたのー?」
気がつけば先程までの憂いはどこへやら、心から笑っていた。後悔しないように、自分の正直な思いと友人を信じて動こう。そう決めて、朔一が冷蔵庫から取り出したての野菜ジュースを受け取った。
月曜日になり、燐伎たち三人は陽守宅を訪れた。インターホンを鳴らすとすぐに部屋の主は現れ三人を出迎える。燐伎が挨拶を終えた少し後で、朔一は陽守に向き合った。
「お久しぶりです。――加陽太丞さん」
……その言葉に陽守は一瞬目を見開く。が、何が起きたのか、目の前の彼が何者かをすぐに理解し、口を開いた。
「……お前、サクか。……いえ、朔一さんとお呼びしましょうか」
低く声を出したが素の話し方はそれっきりで、またいつものような柔らかい敬語へと変わった。太丞というのは陽守の本名なのだろう、彼らのやり取りから燐伎と心槻はそう察する。
「別に敬語とか使わなくてもいいですよ」
自分は年下なのだからと朔一が告げると、陽守は薄く笑ってやんわりと断った。
「これでも社会人ですから、礼儀として敬語を使わせてください。……では、中へどうぞ」
中は相変わらずの狭さで、内訳は子ども二人と大人二人とはいえ四人が集まると少し窮屈だ。陽守が家具を多く置くタイプではないため一定のスペースは確保できており、これは陽守が整理整頓をしていたおかげだ。尤も、もしかすると整理整頓をしているのではなく、ただ物欲が少ないからかもしれないが……。
「ただの水道水ですが、よろしければ」
陽守が台所から汲んできた四人分の水を座卓に並べる。
それに一度口を付けてから、燐伎は土曜日に何があったのかを陽守に語った。
「……望千が、俺のことを……」
話を聞いた陽守は顔をしかめ、目線を座卓の上のコップへ落とす。そして気持ちを飲み込むようにそれをごくごくと飲み、彼の水は半分以下になった。
「……ねぇ、いい加減教えてほしいんだけれど。お姉ちゃんと陽守のおじさんって、本当はどんな関係なの? ただの知り合いじゃないんでしょ」
心槻の問いに陽守は彼女を見る。……その顔は悲しそうな、懐かしむような、簡単に感情を読み取ることができない笑顔だった。座卓の上の、望千との写真を手に取り優しく縁を撫でる。写真を見る目からは彼にも温かな血が通っていることが見て取れた。
「私と望千……さんは、恋人だったのですよ。高校の頃に私は重い病気にかかり、望千さんは私の回復を月に願い、その願いを叶える対価に月へ行きました。そして望千さんが月へ行く旅に同行したのが、そちらの朔一さんです」
――ようやく全てのピースがはまった、全容を理解できた。だから陽守は月予へ敵対的で、月予は陽守に望千を返そうとしているのだ。
「望千さんが戻ってきてくれるのなら、それは確かに喜ばしい。ですが以前も申した通り、そこに心槻さんの犠牲があってはならないのです。……それに例え望千さんが戻ってきたところで、月予が私を友人と思ったところで、私はあの者を許すつもりはありません。必ずやこの手で復讐を遂げる」
強い語気で、吐き捨てるも同然に言い切る。これも彼が恋人を愛する故の恨みつらみだ、それを第三者が真っ向から否定することはできない。しかし。
「馬鹿みたい。自分勝手に復讐したって、それでお姉ちゃんが戻ってくる訳ないのに。月予さんの要求を全て飲めとは言わないけれど、少しは現実を理解したら?」
心槻の言うことも尤もだ。陽守は気まずそうに目線を逸らすも、すぐに目を閉じて眉をひそめた。
「どんなに否定されようと、私は復讐をしなければなりません。そうでなくては生きることも侭ならない。そもそもパーソナ教を広めているのも、教祖として信仰を得て、月の神と戦う力にする為ですから。望千さんのいない世界に意味は無いのですよ」
その言葉に心槻と朔一は沈黙する。……だが、このやり取りに燐伎は一つ閃いた。
「……やろうよ、復讐。そして望千さんも取り返す!」
三人の目が一斉に集まる。一体どうやって? と言いたげな視線に、燐伎は学園の王子様らしい頼れる笑みを返した。
「ボクの作戦はこう――」