第八話
土曜日の夕方、心槻の姿は根緒家にあった。
「心槻さん、素麺用の器を並べるのを手伝ってくれるか?」
「うん」
朔一の呼びかけに心槻も頷き、指示通りに手伝いをこなしていく。
今日は燐伎の家でお泊り会だ。燐伎の両親はまた用事でおらず、家には燐伎と朔一の二人きりの予定だったため、そこで燐伎が心槻を誘いこうして三人で夕食の準備をしている。
「朔一さん、次は何をすればいいの?」
朔一は大人だが、あの燐伎が全幅の信頼を寄せるなら、と心槻からもある程度の信用はある。
「兄貴! こっちの準備終わったよ!」
二人の仕事ぶりに朔一は感心を見せ、つい“早いなぁ”とこぼして。
「りっちゃん、心槻さん、ありがとう。じゃあ……そうだなぁ。今、素麺茹で上がったから、りっちゃんは薬味の準備を、心槻さんは器にめんつゆを注ぐのをお願いできるかな? あ、割らずにそのまま食べられるやつだから水は入れなくて大丈夫だぜ」
「了解!」
「わかったよ」
次なる指示に二人とも気持ちのいい返事を返し、朔一もそれに笑顔を見せる。二人とも手際がよく、朔一が残りの作業をする間にすぐ自分の役割を終わらせて報告した。
「兄貴! 素麺の準備終わったよ!」
「こっちも。朔一さんはどう?」
「ああ、こっちも問題ない。よし、食べようか!」
三人が己の仕事を全うしたおかげで素麺はできあがり、無事に食卓へ。丁度机の真上から、照明が並べられた素麺や器たちをきらきらと照らしている。
「いただきます!」
一つの皿にまとめて並べられた素麺を適量取ってはめんつゆに浸し、勢いよくすする。……うん、この香りと冷たさと喉越しが堪らない。
「おいしい〜!」
「暑い時は冷たいものに限るな!」
「同感」
まだまだ暑いこの時期だ、素麺は幾らでもおいしく感じる。エアコンの風も含め涼を全身で味わう。
「心槻さん。もし一人がちょっと苦手だなって思ったらいつでも家に来ていいからな。オレとりっちゃんはもちろん、りっちゃんのパパとママも歓迎するからさ!」
りっちゃんも同じことを思ってるから、とこちらを見た朔一に燐伎も続けて。
「そうそう! こづちゃんはボクの友達なんだから、遠慮なんて全然しなくていいんだぜ!」
二人の温かい言葉に心槻もほっとしたような笑顔を見せる。
「うん……二人ともありがとう。心配しなくてもわたしは大丈夫だよ。でも、困った時は頼らせてもらうから」
ならいい、と二人揃って朗らかに笑う。
さあ、早く食べねば素麺がぬるくなってしまう――話を弾ませながら次々に食べ進めていき、三人分の素麺が無くなってしまうまでにそう時間はかからなかった。
夜も深まり、居間は消灯され、現在は燐伎の部屋にて燐伎と心槻の二人で話をしている。朔一は台所で一人晩酌中だ。
「にしても、りっくんってわたしたち子どもの前と大人の前だと話し方ちょっと違うよね」
「あっ、バレてた? 学校だとかっこよく振る舞ってるつもりだけど、家族の前だとそういうのいらないかなって! それと学校と同じ口調を大人の前でも使うのはちょっと失礼かなって思ってさ!」
頭をもしゃもしゃと掻きながら笑って答えると、クッションを抱く心槻も釣られて笑う。
「気にしなくていいのに。でもりっくんのそういう外面と内面の差、わたしは好きだよ」
「えへへ……そう言ってくれるのはこづちゃんくらいさ! いつもありがとう!」
――〜♪
燐伎の子ども用スマホが小さく通知音を鳴らした。これはいつも就寝時間を忘れないようにする為に設定しているリマインダーで、このアラームが鳴ると寝ることにしている。
「そろそろ寝ようぜ! 電気消して大丈夫?」
「わたしは大丈夫だよ。おやすみ、りっくん」
「おやすみ、こづちゃん!」
電気を消し、二人で燐伎のベッドに寝転がり、タオルケットを横にしてかける。
燐伎の部屋にはエアコンが無いので、窓を全開にして扇風機を稼働させることで熱を逃がしている。夏本番は流石にきついがこの時期は案外何とかなるもので、風を取り入れる為にカーテンは開けている。目を閉じる前には外の優しい、薄っすらとした僅かな明かりが部屋に差し込む様子が見えた。
……数分後、その窓から眩い光が入ってきた。何事かと燐伎と心槻は飛び起きる。
「何? えっ、何⁉」
「……これ、もしかして」
心槻が過去の経験からの推察を話す前に、光の主は窓から姿を現した。
「こんばんは、燐伎さん、心槻さん。突然だけど部屋にお邪魔してもいいかな?」
「月予さん、こんばんは! いいけど、何……してるの?」
部屋の主の許しを得て、土足を脱いで部屋に上がる。二人の困惑と不審がる目を浴びながら月予は口を開いた。
「一つは、改めて協力のお願いをしに来たんだ。心槻さんはこの間のことを燐伎さんと陽守くんにも話したみたいだけど……やっぱり、来てもらえないかな?」
「見ていたならわかるでしょ。わたしはあなたの下には行かない」
強く言い切る。それは月予も予想していたようで、やっぱりか、と困った笑みをこぼした。そんな月予に燐伎も以前心槻たちとの話題に上がった、月予の行動の理由について尋ねる。
「ねぇ月予さん。月予さんは何でこづちゃんと望千さんを交換したいの?」
「……うん、それが二つ目の理由。それを話しにやってきたんだよ」
そう、目を伏せがちにして薄く笑う。その顔は何だか寂しそうで、彼の抱えたもののほんの一部が言葉に乗せて伝えられた。
「僕は遠い昔はまだ人間で、月の神になる時……実質的な生贄になることに何もかもに絶望した時に、友達と約束をしたんだ。“友達が大切な人を守る信念を持ち続ける限り、決して現世を見捨てない”って。その友達の為に、僕はずっと現世を守ってきた」
つまり友達への情と約束の為に今まで活動していたということだろう。義理堅い男だと、燐伎は彼を少し見直した。だが、大事な話はここからだった。
「その友達っていうのは陽守くんの前世なんだ。……陽守くんがどんなに僕を憎もうと、僕は陽守くんを大切に思ってる。……だから、陽守くんに望千さんを返してあげたいんだ」
やっと月予の本心が見えた。これが月予の本心からの望み。だが、何故陽守に望千を返すことが陽守を大切にすること、つまり陽守の為に繋がるのだ?
それを問う前に部屋の外からダッシュで階段を駆け上る音が聞こえてきた。
「ありゃ、結界は張ったんだけど新月の名前を持つ彼には通用しなかったか。じゃあね、心槻さん。満月の日に祠でまた会おう、そこで最後の答えを聞かせてよ。燐伎さんもお元気で」
そう言い残し月予は土足を持って窓から飛び降りる。二人が急ぎ下を覗き見ると、既に月予はそこにはいなかった。
そして残された沈黙をすぐに打ち破る、ドアを開ける音。
「りっちゃん! 心槻さん! 今男の声しなかったか⁉」
「兄貴! 実は……」
これまでのことを説明すると、朔一はうーんと唸り顎に手を添えて考え込む。
「やっぱり、陽守さんはあの人で間違いないんだな……ねぇりっちゃん、心槻さん。今度陽守さんに会えないか? ……この件に関しては、オレも責任を取らないといけないからさ」