#60.4 死は振りまく
「どうだった、ネフちゃんの様子は」
「芳しくないな。センの容態といい、どうにも本人に任せるしかない」
アルルは戻って来るなり、ヴィズと二人でそんな会話を交わした。互いに椅子に座り、半身を向き合わせている。二人とも力なく寄りかかるように座っていた。
アルルはネフに嘘をついたわけではない。実際、センは息をしている。けれど、それだけだった。生きているだけ、という表現が最も正しいだろう。傷の修復は遅いながらも始まっている。しかし、治ったところで動けるようになるかはわからないというのが二人の考えだった。
「見せられないわよね、こんな状態のセンちゃんは」
ヴィズはベッドの上のセンに目をやる。正しく手足を伸ばし、仰向けの姿勢で寝てはいる。しかし、この姿は形ばかりのものだ。息があるだけで、状態は人形と変わらない。
「様子は気になってるようだったが」
「当然でしょう。でも、ね」
「わかってる。傷を広げるほど野暮じゃない。とくにあんな状態のネフじゃな、いくらなんでも」
「そんなにひどかった?」
「ひどいなんてもんじゃないよ。どうにか無理矢理動かしてるって感じだ。自分の状態を見つめ直すことすらできていないらしい」
「それは、よくないわね……」
「ああ、まったくだ」
部屋には変わらずアルルが吸っている煙草の煙が満ちている。普段ならヴィズはそうした彼女の態度を止める。ヴィズは煙草自体が好きではないからだ。しかし、今回ばかりはそれを許していた。
もちろん、アルルもヴィズが煙草嫌いなことを知っている。普段なら、ヴィズが来るとわかった段階で消してしまう。しかし、今はどうにも口に何かがないといてもたってもいられない状態だった。
つまり、二人もまた追い込まれていた。
事態は言ってしまえば前代未聞。ある神がその従属神を殺しかけたその事実の大きさは計り知れない。今までもいざこざで争いが起きることはしばしばあった。でも、命が奪われる一歩手前まで行くことはない。それも一方的なものともなればなおさらだ。そのうえで、被害者どころか加害者までもが手の施しようのない傷を負っている。
アルルとヴィズが治療できるのは外傷や病だけだ。精神系の病に対する知識がないわけではない。しかし、治療の対象が抽象化すればするほど、完璧な治療からは遠のいていく。特にネフのような特殊な精神性を備えているものが対象となればなおのことだ。
ネフは知らず知らずのうちに自分を閉じ込める節がある。それは強固なもので、簡単に開いたりはしない。しかし、開いてしまえばそれはそれで厄介を引き起こす。彼女の本来の精神性はそれほど不安定なものだ。その証拠と言えるだろうか、彼女は常に笑っている。それが張り付いた仮面であることは付き合いが長く深いものであるほどよく理解していた。
「ルカさんはどうするかしら」
「さあな。だが来たのがルアだったことを見るに、あまり重要視はしていないんだろう」
ヴィズは驚いているらしく、天井を見つめていた視線をアルルへと移す。
「ルカさんは来なかったの?」
「来なかったよ。平然とした顔でルアがやって来て、しかも全部お見通しって感じだ」
「なんだか、少し残念ね。ルカさんはこういうことはもっと重大なこととして捉えると思っていたけど。特にネフちゃんのことなら」
「そういう男だろアイツは。根本的に冷血なんだよ。お前だって知ってるだろ」
「でも、ネフちゃんは特別じゃないの?」
「どうだか。私はあの男に『特別』なんてのはありもしない幻想だと思ってるけどな」
「そうかしら。ここのところ随分精力的にいろいろやっていたし、あのお城ではネフちゃんや茜ちゃんのことをかなり気にかけていたでしょう?」
「だが、その問題の茜はどうなった? な、答えは明白だろ」
「そうかもしれないけど……」
「悪いことは言わない。夢は見すぎるな。そして考えることもしなくていい。今はとにかく二人の治療だけに専念すべきだ」
「それもそうね。それは正しいわ。私たちが役に立つ、数少ない機会だもの。きちんと治してあげましょう」
そう言って二人は立ち上がった。いまだか弱い呼吸を続けるセンのもとへヴィズが赴く。布が掛けられた顔の部分を見やり、その下を想像した。
まだ治りきっているはずはない。でも、その速度を速める方法はいくつかあるはず。彼女はそれを模索し始める。
「私はそこでうずくまってるだろうネフの様子を見てくるよ。必要ならまた蹴とばしてくる」
「ええ。でも、余計な傷は負わせないで」
「わかってる。すべきことはする。あんな顔のアイツをいつまでも見ていたくはない」
「そうね」
ヴィズに見送られアルルはくわえたばこで渡り廊下を歩き出した。治療部屋はあえて遠くのものを使うことにした。ネフを遠ざける以上に、ルカからもできれば遠ざけたかったからだ。こんなことは子供だましであると知りながら、花が咲き乱れる中庭を横目に歩を進める。
「やるさ、今はそれしかない」