#60.3 死の罪
「おい、起きろ」
声が聞こえた。と同時に、体に衝撃を感じる。遅まきに体は反応し、完全に倒れこむ前に腕が支えた。
「よく寝られるなこんな時に」
「あっ、アルル……」
「少しは傷心してるとでも思ったが、考えすぎだったか」
紫煙を口元でくゆらせ、ミントの刺激的な香りが鼻をくすぐった。うすぼんやりとした目で、彼女の顔を見る。なぜか焦点が合わず、目の中の彼女は曇りガラスの向こうで揺らいでいた。
「いや、そうでもないのか」
そう呟いてから、左手の指で挟んでいた原始的な紙煙草を咥えなおした。
そこでようやくなぜ彼女がいるのかを思い出した。
「そういえば、センは――」
「無事だよ。息はある」
「よかった」
なぜ、こんな大事な時に眠ってしまったんだろう。普段でさえ睡眠を摂ることはないというのに。
重く固まった体を起こす。堅い床と壁を支えにして座ったまま寝ていたせいだろう、全身に疲労感を感じる。頭もさえていない。思考が霧がかっており、ひとつひとつの事象を思い起こすのに時間がかかる。
「様子を見に行っていいかな? 合わせる顔は正直ないし、センが嫌がってるならいいけど」
私の質問にアルルはしばらく答えなかった。煙草を味わっているのか、咥えたままで静止している。明後日の方向を向いていた目玉がこちらに戻ると、ようやく煙草を手に取り、長く煙を吐いてから、口を開いた。
「いや、その前にお前はやるべきことがある」
「えっ?」
「ルカを呼ぶと言っただろ」
「ああ、そっか、そうだよね」
なぜかはわからないけれど、口元が緩んでしまった。それを目にしたせいだろう、アルルは引きつった目で私を見ていた。
「ごめんね、迷惑ばかりかけて」
「お前の場合はいつものことだろ」
また煙を吐きながら目線を逸らしたとき、背後で足音がした。アルルも私も気づき、同時に音のした方向を見る。
「ま、そうなるか」
姿を見せたのはルアだった。いつも通りの八角形の眼鏡をかけ、線の細い肢体が露出した白い衣服を身にまとっている。
「王は別件で用がありますので、代わりに私が来させていただきました」
「そうか、なら、あとは任せていいな?」
「はい。事態については把握しています」
「そりゃ、殊勝なことだ」
手を振りながら、乱雑な足取りでアルルは去っていく。
「センのこと、お願い」
「ああ」
白壁に備え付けられた木製の扉があく。かなり古いもののように見える。扉が閉まる音がし、ミントの残り香だけが部屋に満ちていた。
「では、お伺いをさせていただきます」
ルアは私の前に立った。
正直、彼女は苦手だ。何を考えているかわからないし、いつだったか話しかけたときも乗り気じゃないのか、まったく会話に乗ってこなかった。短文を一つ答えるだけで、手ごたえの一つもない。そのうえ口調には全く抑揚がなく、会話ができているのかさえあやふやだった。
同時にすごく優秀であることも知っている。ルカが一番信頼しているということも。頼まれたことには確実に答え、十分な結果をもたらす。豊富な知識があり、頭の回転も速く、まさしくルカの補佐役にふさわしいだろう。
立ったまま話すのはそういう意味ではらしいのだろう。必要なことだけをこなすために無用なことはしない主義なのだ。
全身の倦怠感はいまだ取れず、座って話したかったが、流石にそんなことができないことくらいは理解していた。私は罪人だ。今はその罰を決めるための時間。できる限り誠実に向き合わなくてはいけない。
「では、改めてお聞きします――」
そう、思っていたはずなのに、ルアからの質問は拍子抜けするほど淡白なものだった。これまでの経緯を一通り説明し、内容が薄かったところだけ、後々から補足を促されただけだ。大した時間を要することもなく、ルアは去っていった。私はまた一人きりでこの待合室のような部屋に取り残された。