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「ここで、合ってるかな……」
そう呟きながら、リサは講堂の扉を開ける。辺りをキョロキョロと見渡す。合っているとは微塵にも思えなかった。何故なら誰一人として人がいない。準備している気配もなく、閑散としていたからだ。
朝夕の祈りで来ることはあったけれど、誰もいない講堂に入るのは初めてかもしれない。無数のろうそくに照らされる講堂は、荘厳な雰囲気があった。
リサは大扉をそっと閉める。なんとなく、音を立ててはいけないような気がして、忍び足で中央まで行った。立ち止まって上を見ると、天井画の世界が広がっていた。
絵画は中央が頂点となるように遠近法が用いられていた。羽を広げた天使たちが飛び交い、光球を投げかけている。愛や勇気、叡智を象徴した光の球が、リサの頭上で煌めいている。
(パーティーの場所、どこなんだろう)
とリサは思いながらも、天井画に見惚れた。存在は知っていたけれど、こんなにも落ち着いて、じっくり眺める機会は今までなかった。
突然、入り口の大扉が、キイィと軋む音を立てて開かれた。リサはビクッと震え、振り返った。入ってきたのは紺色の修道服に身を包んだ、若い女性。目鼻立ちがはっきりしていて、歩き方から清楚な印象を持った。
女性はリサの姿を認めると、友好的な笑みを浮かべた。
「ベスティーオの宗教画、きれいでしょ?」
この女性もリサと同じように、中央に立って眺めたことがあるのだろうか。彼女はサンダルをカーペットに沈ませながら、近づいた。リサが頷くと、口元を緩ませた。
「私もこの絵、好きなんだ」
女性はリサの隣に立つと、見上げる。
「私みたいに、直接神様を見ることができなくてもね、神様はここにいらっしゃるんだって感じさせてくれてね。きっと、魂から臨在を掴んで描いたものって、見る方の魂も震わせられるのかな」
「描かれるんですか」
リサは女性を見ると、視線が合った。人を包み込むような、ダークブラウンの瞳だった。
「昔、だけどね。ここの学生の時に、授業でちょっとだけ」
「学生……」
「そ。卒業してからもここでね、本当に、私の性に合ってるって感じる。いつまでも先輩づらできるし。あはは」
真面目そうだと思ったけれど、気さくな方らしい。女性は冗談めかして笑った。
「逆だけどね。みんなの中から、本当にすんごいのが出てくるかもしれないし」
「あの……」
リサは聞いてみようと思った。先輩なら、わかるかもしれない。
「今日、歓迎パーティーがあるって聞いたんですけれど、場所を知りませんか」
「あ、もしかして新入生!?」
女性は驚いた。大声が講堂に響き渡る。周りに誰もいないから気にしなくてもいいはずなのに、リサは自分が新入生であることが、絵画の天使たちに知れ渡ったように思えて、なんとなく気恥ずかしくなった。
「はい……そうです」
「へえ、お名前は?」
「リサ・ノーヴです」
「ノーヴ、へえ、そんな遠いところから……ん? ノーヴって、もしかして、あのノーヴ?」
ノーヴさん以外に、どのノーヴがいるんだろう。けれども、その反応は、既に何度かされている。皆決まって、奇異なものを見てしまったという目で見てくる。リサはかしこまって、
「はい」
と答える。この女性は、本当に驚いたように目を丸くした。
「へええ、そうなんだ! よし、リサっち、歓迎会は食堂だぞぉ、場所はわかるかな?」
いきなりフレンドリーに話しかけられて、リサは戸惑った。
「ええっと……?」
「じゃあ一緒に行こっか。夜道で女の子が一人なんて危ないもんね」
知っている、と答える前に言われて、リサはもう答えられなくなった。知らなかったらお昼ご飯が食べられないことになってしまう。しかし、場の空気に押し流されて、ついていく。
(あれ、あたし、一人で来たんだけどなあ)
一人で来たなら、行きも帰りも一緒だとは思ったけど、それを言葉にする勇気はなかった。
「あ、私はアイラム。気軽にアイラムさんって呼んでくれたらいいよ」
アイラムは人懐っこく微笑んだ。話してみると、とても活発そうだった。修道着姿でなかったら、学生と言われても違和感はないだろう。
「リサっちは、どう? 学校慣れた? 楽しい?」
「慣れたいです」
「そうだよね〜。ああ、新入生かあ、懐かしい! 私にもそんな時代があったなんて、信じられないや」
心の底から懐かしいと思っているのが伝わってきた。
「アイラムさんはどんな学生さんだったんですか?」
「え、私? もうとにかく恥ずかしがり屋で、人と話せなくて、クラスの隅っこにへばりついて授業受けていたよ? いやあ、よく辞めなかったわ」
「本当ですか」
リサがそう思わず聞いてしまうくらい、そんなふうだったようには見えない。
「今思っても、あの時のネクラ度、やばかったわ。ま、もういいんだけどね。その時の自分、許せているから」
アイラムは他にも、リサが住んでいる女子寮の寄宿舎の話をしてくれた。
「あそこ、石垣に囲われているでしょ? でも昔はあれ、なかったんだ」
あのあたりの寄宿舎は、俗称「花の園」と男子に呼ばれているらしい。昔は柵だけだったのだが、夜な夜な野獣どもが可憐な花を求めて侵入した事件が、開校以来何度かあったため、二十年間で警備がだんだん強固になっていった歴史があるんだとか。
「そ、そうなんですか」
学園の裏歴史を聞いて、リサはびっくりした。長年同じところに住んでいると、いろんな事件が起きて、いろんなことを知っているのだろう。
「だからリサっちも、男には気をつけるんだよ? 知らない人についていったりね、しないようにね。モテる男ほど、怪しいから」
「わかりました!」
食堂に近づくと、雑多な賑わいが徐々に聞こえ始めた。もう始まっているらしい。賑やかな音と光が建物からはみ出ている。
食堂の手前で、アイラムは言った。
「辿り着けたね。じゃ、私はこれで。パーティー、楽しんでね〜」
「あ、ありがとうございます!」
アイラムの、ぐいぐい押してくる感じにはびっくりしたけど、話しているとこちらまで明るくなれた気がする。
リサはお礼を言うと、建物に向き直った。