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朝、起きた途端から、リサはワクワクしていた。
今日から入学式。学校が始まるんだ。どんな人がいるんだろう。お友達できるかなと、誰もが思うことをリサも感じながら、礼装に身を包む。
落ち着いた青色の、胸の辺りに花柄の刺繍が施されたワンピースは、リサが持っている中で一番上等な服だ。入学祝いにお母さんからお下がりでもらった。
着てみると、まだちょっと大きかったのか、肩の部分が広い。同じ色の布帯でリボンを結び、髪の毛も整えれば、鏡の中に自分の顔をしたレディが立っている。
「お似合いですよ」
「ほんと?」
「ノーヴ家の御養子なのですから、もっと自信を持たなくちゃ。これからお姫様にならなくちゃいけないんですからね」
レレムが少し屈んで、茶目っ気を交えてそう言った。
「うん!」
屈託のないリサの返事に、レレムは薄く微笑んで返した。
「……それでは行きましょうか。」
リサは上機嫌のまま出発した。それっぽい歩き方を模索したり、しきりに髪の毛をいじってみたりと、着ている服とは反対に落ち着いていない。
校舎に近づくにつれて、いろんな人が目に入ってくる。
初めは「あ、ノーヴ家の人でしょ。」と出会い頭に呼ばれて、周りの人たちから「本当にノーヴ家の養子なの?」とか「魔法使えるの?」とか言われるのかなと、そわそわしていたけれど、特にそんな事態も起こらなかった。住民全員が顔見知りになる田舎ならともかく、普通は、初対面なのだから言わなければ誰も知らないだろうということまでは、まだ頭が回っていないらしい。
入学式は聖エルマリア教会の講堂が会場になって開催された。生け花や垂れ幕の華やかな色彩に飾り立てられて、見る人の心をときめかせた。人々のざわめきが徐々に小さくなり始めた頃、司会が始まりを告げ、白いあご髭を蓄えた校長先生が、ニコニコと相好を崩しながら登壇した。
「えー、皆様、ご入学誠におめでとうございます。本学園の入学にあたりましては、ご父兄の皆様方にも感謝申し上げます」
と、話の長くなりそうな定型通りの挨拶が始まった。
「ここ、ダーネス王立学園は、現国王陛下から開校のお許しを賜ってから、今年で丁度20年となります。その間、世界でも、この学園でも、様々なことがございましたが、私たちはそれを知恵と勇気でもって一つ一つを乗り越え、ここまで来ることができました」
校長先生は咳払いをして続ける。
「しかし、これからの時代にも、苦難困難は続くことになりましょう。一つは敵対する国家、ガンドレッドとの戦いがあります。また一つには、このガンドレッドと組み、間違った教条を持って聖エルマリアの御名を穢す邪教をどうするか、ということもあります。
私たちが求めているのは、こうした苦難困難に立ち向かい、乗り越えていく、強い責任感と傑出した能力を持ったエリートの輩出にあります。
その意味で、民族や身分、貴賎を問わず、幅広く才能ある学生を受け入れています。偉大なる国家の指導者も、必ずここから生まれてくることになるでしょう」
校長先生は自分の話に自己陶酔しているようだった。
(まだかなあ、そろそろ終わらないかな)
リサはじっと座っているのに飽きてきた。いい話をしていることはわかるのだけれど、内容が頭に入ってこない。
それでもちゃんと話を聞こうと思ったら、
「皆様に期待しています。えー、以上にて、挨拶とさせていただきます」
話が終わってしまった。
この後も、入れ替わり立ち替わりでいろんな人が出てきたが、最後に出てきた人を見て、リサのテンションが密かに上がった。
「それでは、生徒代表として、ダーネス王立学園4年生、テウト・ダーネス皇太子殿下による祝辞を頂きます」
最初は聞き流しかけたが、言葉の意味を理解すると、
(王子様————!)
リサの瞳がパッと大きくなる。本物の王子様が見られるんだと思うと、ドキドキが止まらなくなって、ついには心の中でファンファーレが鳴り響き出した。
金糸で装飾された立派な服装、キリリと引き締まった表情、黄色に近い茶色のソフトな髪は、なでつけるように整えられ、深海のブルーの目が、優しさと繊細さをたたえている。かといって、月の陰のように萎びているかといえばそうではなく、唇や鼻に、一度決めたことは粘り強くやり抜くという意思の強さがのっていた。
堂々としていて、卑屈な所は一切ない。しかも礼節ある身のこなし、歩き方——憧れの王子様が、そこにはいた。
テウト皇子は前に立つと、持っていた原稿を広げる。一瞬の静寂のうちに唇を開く音が、リサには聞こえた気がした。
「新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。学生一同お祝い申し上げます」
王子様の声が思ったよりも高かったことにリサは驚いた。若々しいテノールの声で発せられる言葉は、たとえそれが型通りのものであっても、優雅であり、魅力に満ちていた。
しばらく朗々たる声で原稿の内容を話していたが、途中からその台紙を静かに閉じ、聴衆をまっすぐに見た。
そして自分自身の言葉で語り出した。
「私たちは何のためにこの学園にいるのでしょうか。『学ぶ園』と書かれるこの場所で、何を学ぶべきなのでしょうか。知識ですか。社会で生きるための知恵ですか。
それは、『偉大なる叡智』だと私は思うのです。私たちは人生の節々で、決断を迫られることになります。大きな決断をする時も、小さな意思決定の時もあるでしょう。その時に、できる限り公平無私な判断をなすこと——それが私たちに求められていることです。
より良き決断をするためには知恵が必要です。知恵を得るためには学ぶ必要があります。
知識のためだけに学ぶのではなく、栄誉のためだけでもなく、創造主から作られたるところの我々が、より知恵を持った判断をしていくために学ぶのです」
教会の講堂という場所は、人を無意識に、敬虔な気持ちにさせるのだろうか。テウト王子の話は、教典の内容を踏まえながら、段々と宗教的な色彩を帯びていく。
「私たちは、偶然この場所に集まったのではありません。世界には偶然はなく、あるのは私達人間の努力と、人間の理解を超えた世界の導きだけです。
私たちがこの地に集まったのは、神の栄光をダーネス国に打ち立てるためです。一人一人の成長が、全体の成長となり、国の繁栄へと繋がっていきます」
テノールの声が紡ぐ、凛々しい言葉——初めて見る王子様は、リサが想像していたよりも芯があって、崇高なものを追い求めている青年だった。
彼の言葉に感じ入るものがあったのはリサだけではないらしく、会場は万雷の拍手に包まれた。テウト皇子が壇上から降りた後も、リサは同じ場所を茫然と見つめ続けていた。
(いつか、直接会ってみたい——)
そう、胸に秘めながら。