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入学。
それは不安と期待が混じり合った、胸のときめく瞬間——。
「あ、見えた!」
小さい頃からの憧れだった二頭立ての馬車に乗って、リサは夢と希望のたくさん詰まった新天地へと運ばれていた。
窓から身を乗り出せば、レンガ色の建物が徐々に大きくなっていく。
「お嬢ちゃん、頭を引っ込めなさい。危ないぞ」
「あ、ごめんなさいっ」
馭者のおじさんに大声で注意された。つつかれてビックリした亀のように首を引っ込める。
(きっとあれが学園!)
と、ワクワクしていると、そのそばから馬車は建物を素通りしていく。
(あれー?)
違ったみたい、というのを三回くらい繰り返して行くうちに、どうも学園って、思っていたより大きいみたいと気づき始めた。
壮麗な石造りのアーチをくぐる。木造で枠組みを造り、漆喰で塗り固められた建物の近くで馬車が止まる。
「お嬢ちゃん、ほれ、到着したぞ」
言われるまでもなく、リサは、はしゃぎ声を立てて馬車から飛び降りる。
抜けるような晴天。林立する見慣れない建物。リサは母に編んでもらった手作りの帽子を被り、トランクを引っ張り出して、眩い笑顔でお礼を言う。
「ありがとうおじいちゃん!ここが学園だよね、先生とか、お友達とか、いろんな人がいるんでしょ」
「違う違う、ここは校舎じゃなくて、寄宿舎。寝泊まりするところだよ」
と、ほほえましいものを見る表情で指摘された。また間違えちゃった、と恥ずかしくなった。
(寝泊まりするだけでこんなに大きいんだ)
それなら校舎はもっと大きいのかなと、まだ見ない「王立」のビックな感じを想像して、もう感動していた。
ふと周りを見渡せば、人がたくさん集まってきている。親子もいる。大人に引き連れられて、どこかに向かう入学生もいる。
ここからどうすればいいんだろうと、リサは困った。迷える子羊のように、キョロキョロと落ち着かない様子で見渡していると、
「ノーヴ家のリサ様でございますか?」
不意に声をかけられた。
「はいっ」
勢いよく返事をすると、相手の女性は爽やかで品のある笑みを浮かべた。
普通の使用人がよく来ている、こげ茶に白い衣服を重ねた服装だった。どことなく中性的な顔立ちで、癖のある胡桃色を、草色のリボンで結わえていた。
瑪瑙のような茶色い瞳を微笑ませながら、若い女性は恭しく一礼する。
「リサ様、お待ちしておりました。本日より後見役を努めさせていただきます。レレムと申します。リサ様が健やかに安全に学園生活を送れますよう、尽力したいと思います」
急に年上の人から礼儀正しくされて、リサは驚いてポカンとしていた。
「おかあさんから、何かお聞きになりませんでしたか?」
「——あ、そっか。そっかそっか」
リサは途端に合点がいって、何度もうなずく。
学園に行くことを許してもらったものの、結局、知らない土地で勉学に励みながら一人暮らしをして行くだけの生活力はないと判定されてしまったのだ。とても悲しかったけれど、両親公認の真実はくつがえし得ない。
でもお手伝いさんを雇うお金はないし、と一家で悩んでいたら、ノーヴさんが手配してくれることになった。何から何まで感謝しきりだ。
そのノーヴさんが、「学園に行ったら会えるよ〜」と言ってウインクしていたから、きっと目の前の人がそうなかもしれない。
そう思っているうちに、リサはついさっき聞いたばかりの名前を忘れてしまった。
「えーっと……」
「レレムと呼び捨てにしていただいて構いませんよ」
やんわりと、もう一度名乗ってくれたので、リサはほっと安心できた。
「そうだ、レレムさん、よろしくおねがいします」
リサにそう言われて、一瞬、意外そうに固まったが、すぐに元の大人びた雰囲気に戻って、
「こちらこそよろしくお願いします。さて、お部屋のご案内をさせていただきますね。お荷物をお預かりします」
と、うながした。
何棟も同じ形をしている建物の中から、一つの入り口をくぐる。順番を覚えないと、間違えて違う場所に入っちゃいそうだ。気をつけようと心に留めていると、一室に案内された。
「ここがお部屋です」
室内はとても広々としていて、快適そうだなという印象を受けた。南向きの小窓から日の光が入り、木製の机や椅子を照らす。棚や食器なども、既に一式揃えてあって、どれもピカピカに輝いて見えた。
「すごーい」
「貴族のお嬢様でも、ここに住んで通学される方もいらっしゃいますからね。こちらがリサ様の寝室になります」
——高貴なお姫様たちと、同じ屋根の下で、同じ生活をする。
リサは胸のときめきが抑えられない。今まで夢でしかなかった憧れが、現実になるのだ。
人見知りもあって、その場ではぐっと堪えていたけれど、夜になって一人になると、こっそり小躍りした。
「レレムさんはどこで寝るの?」
「私はあちらですね」
と控えめに言った。覗いてみると、リサの部屋の半分もない。家にいた時は家族で川の字になるのが当たり前だったから、別々の部屋というのには驚いた。
でも、召使とお姫様が一緒の部屋でお休みするのも変かなと思い当たって、納得することにした。
一通り案内が終了すると、これから自分のものになる椅子に腰掛けて、休憩をとった。
「学校は楽しみですか?」
と、レレムは当たり障りのないことを訊く。
「はい、とっても!」
自分のことを質問されて嬉しくなり、リサは明るく喋り始めた。
「王都とか、こういう、大っきい街に行ってみたいなって、ずっと思ってたの。それで、国のお姫様とか、……王子様とか、一度でいいから近くで見てみたいなって、あの、小さい頃からずっと憧れで」
と話し込むうちに、無自覚に緊張していつもよりエネルギーを使っていたからか、グーッと間の抜けたお腹の音がなってしまった。恥ずかしくなって顔を赤らめると、レレムはふふっと少しだけ笑って、
「お時間になりましたら、夕食のご用意をいたしますね」
「何を作るの?」
「さあ、何でしょうね。シェフの方に伺ってみないことには」
シェフがいるの? とリサの目は輝いた。
すぐにその時間はやってきた。美味しい料理が食べられる幸せは大きい。運ばれてきた焼きたてのふわふわパンや、銀食器に盛り付けられたまろやかなシチューを頬張る。幸せも、おいしさも、期待も一緒くたになって、リサの周りをぐるぐると回っていた。
(明日が楽しみ!)
ベットに入っても、心臓が高鳴ってなかなか寝付けられない。けれど疲労の方が大きかったようで、興奮していたのも束の間、いつの間にかぐっすり眠っていた。