【翡翠の玉】翡和〜ひわ〜
200年続く或る時代。
時代に翻弄されながらも、
今を生きた3人の女性の物語。
玉石混淆
宝石と石が混じり合う様、
或るものには宝石に、
また或るものにはそれが石になる。
絢爛繁栄が200年以上も続く或る時代。
聖君と呼ばれた先代の王の崩御後、
長子が即位して、早20年。
変わらない この先も永遠に続くと思われた栄華の時代に
陰りがかかり始める。
「翡和お嬢様、そろそろお時間です。」
翡和の世話係りであるアキがそっと声をかけた。
「....そうね」翡和の声はか細く、そばにいるアキにもよく聞こえないくらいだった。
雄大で禍々しいと感じたこの長い廊下も、所々にガタがきている。
翡和が歩く度、木の軋む音が、嘲笑にも思えた。
「父上は?」尋ねた翡和にアキは、
「....下にいらっしゃると....」アキは俯いた。
家紋とこの裏切りの廊下を守る為、
娘を売った父親は最後に顔も見せる気はないのか、
翡和は諦めの表情で、後ろを振り向き、
目を閉じた。
三ヶ月前のあの日から、翡和の運命は大きく変わった。
3代続く瀬咲家は、砂糖と塩の王室専売所として、
多くの財を成し、瀬咲は西の王族なりと言わしめた家系である。
加え現当主の長女 翡和は、そのずば抜けた器量の良さが有名で、
各地から縁談の申し入れが絶えなかった。
「翡和様、今日は3通も縁談の申し入れがありましたよ!」
アキはしかめ面をして翡和に言った。
「....戸棚にしまって、放っておいて」翡和は、薄く紅を塗りながら、見向きもしなかった。
棚を開けて、入り切らない程の書状を閉まい、
開いているの窓から外を見る。
「あ、英一郎様です!」
アキがそう言うと、
華やかな翡和の顔にいっそうの花が咲き、
「今日は一人でいくわ」
足取り軽く、花の香りを振りまいて、出かけていった。
アキは嬉しかった。
翡和お嬢様が幸せになっていくことに、
心から嬉しく思っていた。
瀬咲家は3人の子供がいる。
長女の翡和の母は、翡和を産むと同時に息絶えた。
母を亡くした父は、自暴自棄になり、
遊廓や妓楼に入り浸り、飲み明け暮れた。
程なくお気に入りの遊女を後妻として迎え入れた。
後妻はすぐに男児を出産し、その2年後に女児を産んだ。
翡和の父は後妻の子供を可愛がり、
翡和には冷たく接していた。
「顔が母上にそっくりなのよ」
翡和は悲しげな表情でアキに語った。
欠けた愛情を補う為、
勉学や琴、舞踊に勤しみ、瀬咲家の恥にならないよう
必死に生きてきた。
そばで仕えるアキは、胸が痛いくらい翡和の気持ちを汲んでいた。
愛されないことを認めたくないがため、
父親の視界の隅にでも映りたいと願う儚い想い。
そんな日々の中、
翡和は英一郎と出会った。
その類まれなる美貌を一目見ようと、
翡和の通う舞踊教室の隣にある剣術道場の生徒たちは、
翡和見たさに列をなして待ち伏せしていた。
その瞬間は、陳腐だったと翡和は思い出して笑う。
舞踊教室の帰り道、落としたハンカチを拾った青年が、
英一郎だった。
剣術道場に通う英一郎は、翡和に一目惚れをし、
その美貌と優しさ、才気ある佇まいに翡和一色になった。
翡和も英一郎の気骨なところ、
翡和を純粋に愛し受け止めてくれるところを、
愛おしいと感じていた。
二人が結ばれるまでに、長い時間はかからなかった。
逢瀬を重ね、将来を誓い、
幸せな未来を夢見て、胸弾む日々。
翡和は英一郎の子を身籠った。
順序は逆とは言えど、
子を宿したことはおめでたいことだと、
英一郎も喜び、すぐにでも結婚を、
そう思っていた矢先のことだった。
卸していた砂糖と塩が、
より安価でより質の良い他国のものが流通し始め、
価格が暴落した。
さらに、王室より専売の契約を切るという噂も流れた。
資金繰りにも困り、家財や着物を売って凌ぎ、
なんとか名目を保つ切迫した日々が続いた。
そんな中、起死回生の機会が訪れる。
瀬咲家近くの有名な紅葉を見に、
王様が王妃と側室、王族を携え訪れるという。
紅葉狩りの休憩時として、
瀬咲家の庭で、茶を嗜むこととなった。
翡和の父は、
この機会になんとか瀬咲家を盛り返せるよう、栄華の継続の為、
万全に整えた。
命運をかけた茶会に、
瀬咲家の未来がかかっている。
どんな術を使ってでも、取り戻さないといけない。
瀬咲家を自分の代で終わらせる訳にはいかない。
父の決意は固かった。
茶会には瀬咲家全員が参加し、もてなす。
翡和はこの茶会が終わったら、
父に英一郎との結婚を話そうと思っていた。
身籠って二ヶ月、
翡和は今まで経験したことのない幸せを感じでいた。
茶会の日までは。
「名を申せ」
茶会の終盤、
王妃より、突然、尋ねられた。
顔を上げることができない。
天の上の存在で、決して交わることがないと思っていた。
神々しい王妃様が、
翡和に名を、尋ねた。
「...瀬咲、翡和と、申します......」
やっと絞り出したその言葉を言い終え、
顔を上げた。
手が動かない。
ずっと遠くにいるはずの王様と王妃が、
真っ直ぐと翡和を見つめている。
まるで目の前に感じるこの異様な威圧感に
翡和は眉ひとつ動かせなかった。
嫌な予感がした。
翌日、翡和は王宮入りすることを父から告げられた。