T中学校の階段
私は幽霊もUFOも見たことはない。あるのはこんな経験ばかりである。ただ、他の2回の経験は自分の勘違いの可能性があるのだが、このケースだけは断言できる。これは勘違いではない。
『学校の怪談』『学校の七不思議』etc……。なぜか学校と超常現象とは近しい関係にあるようだ。これは15年ほど前の話である。
私の母校T中学校は、ごく一般的な公立中学校である。生徒数の割に建物の規模が大きく、校舎は4階建ての教室棟と3階建ての特別教室棟に分かれているうえ、両者をつなぐ連絡通路にも部屋が付いているのが特徴と言ってもよいかもしれない。
なお、校庭に墓があったとか、藩政時代に傍らが処刑場だったとか、裏山に古井戸があるとかいった、学校にありがちな『いわく』もきちんと付いており、その点でも『一般的』であるといってさしつかえない。
秋も深まってきたある日、私は母校で作業を行っていた。
社会人になった大の大人が、なぜ学校で作業なんぞをしていたかというと、バザーの片付けのためであった。
実はT中学校のバザーは大変規模が大きく、収益は200万円に迫るとの噂もあるぐらいで、中学校を中心とはしているが、言ってしまえば町を挙げて行われる『お祭り』のようなものであった。その『お祭り』に私も駆り出されたのだ(※終わった後の宴会が目当てだったという話は否定できない)。
その日体育館で行われていたバザーは午後4時には終了し、6時の宴会に間に合わすため、急ピッチで片付けが始まった。
私の役割は、荷物の運搬であった。
T中学校にはバザー用の倉庫となっている部屋がいくつかある。だいたいは特別教室棟や、連絡通路の空き部屋を占有しており、売れ残りや会場の掲示物、模擬店用の食器など、翌年度も使うものをしまっておくために使用されていた。
その部屋に、来年度も使うものを運び込んでいくのだ。ただ、運ぶ量は多いし、空き部屋を活用しているため、倉庫の場所が各所に点在していて、だんだん訳がわからなくなってくる。
4か所ある階段を上に行ったり下に行ったりを繰り返すので、階を間違えて、全く関係ないところをウロウロしてしまうこともよくあることだった。
この日、私は大学を出たばかりの教員とペアを組んでいたのだが、とりとめのない話をしながら歩くうちに、特別棟の3Fの倉庫に行くところを、ひとつ上の階に上がる階段を上りかけてしまったのだ。
特別棟に4Fは無い。
屋上は立ち入り禁止になっていることから、普段は通行者もないのだろう。その階段にはほこりが積もっており、一歩踏み出した瞬間に、私たちはすぐに間違いだと気が付いた。
「せんせ~疲れてんじゃないの?」
「鶴舞さんもじゃないスか!」
などと馬鹿話をしながら、運搬を終えて、その日は楽しい宴会に向かったのだった。
週が明けて火曜日、学校から電話があった。
あの大学出たての先生が、昨日バザー倉庫の整理に行った直後に無断で帰宅してしまい、その後連絡が取れなくなっているが、何か心当たりはないかとのことだった。
とりあえず、学校に向かい、教頭先生の付き添いのもと、最後に荷物を運んだ3Fバザーの倉庫を確認したが、昨日一緒に運んだハンガーも、発泡スチロールの食器も、売れ残りのモップも、全て記憶の通りの場所に置かれていた。何もおかしいところは見当たらない。
教頭と一緒に首をひねりながら倉庫を出て、目の前の階段を見たとき、私は自分の目を疑った。そして瞬時に彼が学校から逃げ出した理由を理解した。
彼と一緒に一歩を踏み出した音楽室前の階段。あの上り階段がなかったのだ。
私は逃げ出したくなる気持ちを抑えて、教頭にあの日の出来事を説明した。教頭は当初、疑いの目差しを隠さなかったが、あまりに真剣な私の表情を見て、だんだんと顔が強ばっていった。
その後、確認のために2か所ある屋上への階段を見せてもらったが、どちらもきちんと掃除がなされており、ほこりが積もっていたあの階段と違うことは一目瞭然であった。
その後の詳しいことはよくわからないが、伝え聞いたところによると、この政教分離のご時世に、学校は秘密裏にお祓いをしたという話だ。
そして、あの先生は、2度と学校の門をくぐることなく九州の実家に戻ったらしい。残していった荷物はわざわざ親が九州から取りに来たとのことで、それを馬鹿にする人も多かった。
しかし、私は彼の気持ちが痛いほどわかる。
私のように、たまに訪れるのなら兎も角、彼はそこで毎日仕事をしなければならないのだ。
日直として暗くなってから一人で現場を点検しなければいけないことだってあるだろう。彼が恐怖に駆られたことを誰が責められようか。
それにしても、あのほこりの積もった階段は一体どこに続いていたのだろうか。そして私たちがつけてしまった足跡はどうなっているのだろうか。
みなさんに忠告しておく。
これからの人生で、見慣れない階段に残された2つの足跡を見かけることがあったら、その先に進むのは控えてほしい。
それはあの日、私たちが踏み出したあの一歩の痕跡なのかもしれないのだから。
もしかすると私は何かに魅入られているのではないか。そう思う時がある。
もし私が何の予告もなく、ここに顔を出さなくなったとしたら……。
それは不注意の結果、誤って異界の門をくぐってしまったためかもしれない。