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「ビビってなんかいねーよ。おもしれーじゃんか」、と名倉は言うと、祠の観音開きの扉に手をかけると引っ張った。
扉は音もなく呆気なく開いた。
扉の中は三方が木張りの小さな空間だった。高さ1.5メートル。奥行きと幅は50センチぐらいだろうか。
その空間にあるもの。それは一言では表し難かった。
空間の天井のところから毛玉のようなものが何個もぶら下げられていた。黒くくすんで、毛ば立っている。毛糸にも動物の革にも見えたが良く分からない。
「おい! 触るなよ」
じっくり見ようと顔を近づけようとした桜井を名倉が鋭い声で止めた。
俺は、祀ってあるものに触れたり動かしたりしたら命に関わるという言葉を思い出した。
「下にもなにかある」
女の一人が言った。木張りの空間の下、床というべきか、を見ると細い木の枝のようなものが散らばっていた。いや、散らばっているというのは間違いだ。床の木の枝はなにか意味のある幾何学的模様を示している様だった。この祠に来るまでに見た木の幹に刻まれていた模様に似ていた。
その時、突然ブゥ~ンという虫の羽音のようなものが聞こえてきた。どこから聞こえてくるのか分からないが音は少しずつ大きくなっていく。それまで、そよとも動かなかった空気がビリビリと振動し始めた。
「見て!」
女の叫びに祠を見ると吊るされていた毛玉がゆらゆら、わさわさ揺れていた。毛玉はみな
祠の外へ向かってなびいていた。まるで、祠のその小さな空間から空気が吹き出ているようだった。
「あっ!」と声を上げたのは桜井だった。
風になびいていた毛玉を吊るしていた糸がぶっつりと切れた。
毛玉は重力に逆らうことなく落下、床の紋様を作っていた木の枝を弾き飛ばした。
とたんに風が止んだ。
今度は恐ろしいほどの静寂が辺りを包み込んだ。
誰もうめき声すら上げることができなかった。
ただ、無惨に飛び散った木の枝を呆然と眺めるだけだった。
「これ、ヤバいんじゃないか?」
どれ程時間が経ったか分からないが桜井がぽつりと呟いた。
「い、いや、俺たち動かしたわけじゃないし、触れてないし。関係ないだろ」
名倉が言い訳がましく早口で言った。
ただ、動かしたら命がない、その言葉がその場にいた全ての者の頭に重くのし掛かっていた。
「もう、行こうぜ」
俺はゆっくりと言った。とにかく長居をしたくなかった。誰も反対をしなかった。
急ぎ足で入ってきた隙間のところまで戻ると、柵の外へ出た。そして、細い獣道を通り森の外へ向かう。
走りはしなかったがみんな息を切らしながら全力で歩いた。その時、女の一人、優香里という髪の長い方が、立ち止まった。
「ね! 今、なにか聞こえなかった?」
優香里は神経質そうに叫んだ。名倉が優香里の手を掴むと強引に引っ張る。
「今はいいから、歩いて……」
チリン
鈴の音が夜の闇から聞こえた。
チリン チリン
この森で鈴の音を発するとすればさっきの柵の鎖についていた鈴しか思いつかない。
「風だろ。風で鈴が揺れて鳴っただけだろ」
桜井が泣きそうな声でつぶやいた。
チリン チリン チリチリチリ チリン!
その言葉を嘲るように鈴が一斉に鳴った。まるでなにかが杭の上から飛び降りて、そのため鎖の鈴が一度に鳴り響いたかのようだった。
「走れ!」
俺は反射的に叫ぶと走り出した。
つられてみんな走り出す。一刻も早くここから離れないと! それだけが頭を支配していた。
転がるように森の外へ出ると止めてあった車に飛び乗る。
「はやく はやく! はやく、はやく、はやく!!」
車に乗った者が一斉に車を出すように叫んでいた。
「きゃあ!」
突然の悲鳴。彩音がわなわな手を震わせて、車の外を指さす。さっき駆け抜けてきた森への小道だ。
その小道から真っ白な首が一つ、顔を覗かせていた。
ぞっとした。
髪の長い、妙に真っ白な女の顔がこちらを見ていた。遠目で分かりにくいがニヤニヤと笑っているように見える。なんにしてもこんな森の中、こんな真夜中に女が一人でいるなんているはずがない。いるとしたら、どう考えても危ない女だ。
「あれヤバいよ。絶対ヤバいやつだって」
真弓が大声で叫んだ。俺も同感だった。一刻も早くここから逃げなければ大変なことになる。そんな予感がした。なのに車はいつまでも走り出そうとしなかった。
「なにやってんだ! 早く車出せって!!」
桜井が絶叫する。
「いや、来たわ。来た、来た!」
真弓の爪が俺の腕に食い込んだ。振り向くと、真弓の言葉通り正体不明の女が近づいてくる。しかも、動きが異様だ。
交互に腕で地面を掻きながら地面を這いずってくる。そして、早い。
人間業ではなかった。
それに、気づいた。気づいてしまった。這いずってくる女の手が何本もあった。4本……いや、6本だ。
「おい、早く出せって!!」
パニックに陥りながら俺は運転シートの背中を何度も蹴りあげた。
ずん、と大きく震えると車が弾けるように走り出した。
車は女を置き去りにして走る。
女はどんどん小さくなり、ついに見えなくなった。
誰も凍りついたようになにも言わない。車内は暫くの間、エンジン音と女たちのすすり泣きしか聞こえなかった。
「なんなんだよ、あれは」
桜井が吐き捨てるように言った。誰も答えようがないと思った。しかし、名倉がぼそりと言った。
「姦姦蛇螺だよ」
「かんかん……なんだって?」
「かんかんだら、だ」
「だから、姦姦蛇螺ってなんだっていってんだよ!!」
切れた桜井は名倉を肩を怒鳴りながら小突いた。名倉も殴り返すと叫んだ。
「俺だって知らねーよ」
「あんな化け物がいるところに連れていって知らねーじゃねぇよ。ふざけんな!!」
「あんなのが本当にいるなんて俺だって思ってなかったよ!」
運転席と助手席で名倉と桜井が殴りあいを始めた。車がぐらぐらと蛇行する。
「バカ! やめろって。危ないだろ。
と、とにかく、どこかファミレスでもコンビニでもいいから休んで落ち着こう」
俺は二人を止めるとそう提案した。
30分ほど走るとファミレスが見つかったのでそこで状況の整理をすることにした。
「なるほど、このネットの話か。細部に違うところはあるけど、6本の腕の化け物とか、おまじないとかは確かに良く似ているな」
携帯で姦姦蛇螺の話を一通り読んだ俺はそう言った。
「いや、だからこんなの本当なんて誰も思わないだろ」
と、名倉が言い訳がましく言ったが、みな、白い目で睨むだけでなにも言わなかった。
「これが本当だとするとかなりヤバイな。
封印を動かすと死ぬって書いてある」
「ごめんなさい、私、吐きそう。ちょっとトイレ行ってくる」
俺の言葉に優香里が真っ青な顔でふらふらと立ち上がった。まあ、無理もない。あんなものを見た後、こんな話を読まされたら…… 俺だって胃の中のものをぶちまけたい気分だった。
彩音に付き添われトイレへ向かう優香里の後ろ姿から視線を剥がすと、残っている名倉、桜井、そして真弓の顔を順繰りに見つめると言った。
「で、どうするんだ?」
「どうするんだって言われてもなぁ」
「だから、無責任だっていってんだよ!」
名倉と桜井がさっきの喧嘩の続きを始めそうになったが、真弓の言葉がそれを止めた。
「ね、誰かあの女の下半身見た?」
真弓の言葉の真意が分からず、名倉たちは顔を見合わせるだけだった。
「全身を見ると助からないって書いているじゃん。
それから、結局巫女さんに助けてもらってるよね。だからお祓いしてもらえばいいんじゃないの?」
真弓の冷静な言葉に俺たちはなるほどと頷いた。暗く落ち込んでいた気分が少し持ち直した。その時だ、トイレの方から悲鳴が聞こえてきた。
2021/10/3 初稿