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幼馴染みの貴司から2年ぶりぐらいに電話があった。
電話に出ると金を貸してくれ、と言われた。
10万か15万ほどと言われた。
逃走資金にしては少額、かといって遊ぶ金の無心には大金。なんとも中途半端な額と思った。
あるいは真弓に対する手切れ金を集めているのか?
そう思った俺は、真弓の名前を出すのを止めようと心の中で思った。
「いきなりだな。なんに使うんだ?」
「貸してくれるのか? くれないのか?」
「理由次第かな。まさか、理由も話さずに貸してもらえると思っているのか?」
「……話すのは良い。
だが、電話で話す内容じゃない」
「良いぜ。会って話そう。場所を教えてくれ」
聞いたことのない通りに面したあまり聞き覚えのないファミリーレストラン。それが貴司が指定した場所だった。
入り口のドアを開けると来客を告げるように鈴がチリンと鳴った。
11時を越えていたので、店内の客は疎らだった。一目見渡してすぐに片隅に隠れるように座っている貴司を見つけた。
「よお、久しぶり」
気安い声をかけながら貴司の対面に座った。
座りながら、内心貴司の容姿に驚いた。
土気色の顔。
落ち窪んだ頬。
血走った眼は明らかな睡眠不足を物語っている。
髪の毛にも白いものが目立つ。
俺の記憶の貴司とは明らかに別人だった。
正直、貴司なのか? と問いかけるのを思いとどまるのに苦労した。
「金は持ってきてくれたのか?」
その声も見聞き知ったものではなかった。上擦ってかすれ、高音が目立つ耳障りな声。その昔、真弓との事で演じた修羅場で『言い寄ってきたのは俺じゃなく真弓のほうだせ』と言い放ったふてぶてしさは微塵も感じられなかった。
「金はあるけど、おいおい、大丈夫か?
ヤバい薬をやってんなら金を貸すわけにはいかねーぞ」
「そんなんじゃねぇ」
「じゃあ、なんなんだ。教えてくれる約束だろ」
俺の言葉に貴司は露骨に目をそらした。
だんだんと嫌気がさしてきた。半ば腰を浮かせて言い放った。
「嫌なら良いんだ。考えてみりゃ、こんな時間にファミレスで互いに顔を見合わせる仲ではもうないしな」
「いや、話すよ。話す。話したくないんじゃないんだ。
ただ……話しても信じてもらえるかどうか分からなくて……」
俺は腰かけ直すと、とりあえずコーヒーを2つ、貴司の分も合わせて注文した。
「どこから話すべきか……
とりあえず、そうだな、2週間前だ。言い出しっぺは、多分名倉の奴だと思う……」
不意に死んだ名倉の名前が出たのでドキリとした。加藤の話だと葬式が1週間前と言っていたから、貴司の話は名倉の死ぬ前の話になる。この話が名倉の死と関係あるのかはまだ分からなかったが、なんとなく繋がっているという直感が働いた。俺は無言で話の先を促した。
「名倉がネットに転がっていた怖い話の場所を特定したって騒いだのが発端だった」
貴司は少しずつ話始めた。
最初は、なんかヤバい化け物を封じている祠みたいなのがあるって話だった。その祠は一定期間で移動して、どこにあるのか分からないらしい。その場所を見つけたって興奮していた。
まあ、みんな、そんな嘘臭い話は信用していないって話し半分に聞いていたら、じゃあ、行って見るかって事になった。
よくある話だ。
夏だしな。これが初めてって訳じゃあない。
俺と名倉、桜井。それと真弓と女友達二人の6人で……
「ちょっと待て! 桜井も出てくるのか、その話に?」
俺は思わず話に割り込んだ。貴司は暗い目を向けると、そうだ、と答えた。
名倉、そして、桜井。そのどちらも今はもうこの世にいないと言う。これをどう考えれば良いのか。
「いや、なんでもない。先を続けてくれ」
名倉が探しだした場所ってのは郊外から更に少し先に行ったところにある小さな森だった。
車が通れそうな道はなかったが人が通れそうな小さな道はあったから、森の外れに車をおいてみんなで歩いていくことにした。
道はほとんど一本道だった。
5分ほど歩くと木の杭に道が塞がれていた。木の杭は地面深く突き刺されていて、左右を何本もの鎖で繋がれていた。鎖には大きな鈴が幾つもついていて杭や鎖に触れるとジャカジャカとうるさく鳴り響いた。鎖や鈴に浮き出た錆の具合から何年、あるいは何十年もの間、人の手が触れていないようだった。杭の間隔は30センチから50センチだったが巻きついた鎖に邪魔され体をすり抜けさせるのは無理そうだった。
杭と鎖で作られた柵は道を完全に塞ぎ、左右の真っ暗な森の中に消えていた。
俺はもうこの辺でお開きにしたかったが名倉と桜井はもう少しといいながら、柵に沿って森の中へとずんずんと分け入った。多分、真弓が連れてきた女、名前は優香里と彩音、そいつに良いところを見せようと張り切ったんだと思う。
実際、奴らはすぐに通れそうな隙間を見つけたって興奮した顔で戻ってきた。
確かに森に少し入ったところで杭が少し拡がり、鎖が弛んだところがあった。名倉と桜井はキャッキャッいいながら嫌がる女たちを無理やりその隙間に追い込んでいく。その度に女たちの笑い声と短い悲鳴、そして、鈴の音が夜の森に染み込んでいった。
柵の中に入ったら雰囲気が一変したよ。
心霊スポットに行った連中が良く使う陳腐なセリフだとは思うが、まじにそう表現せざる得なかった。
何て言うのか。
そう、空気が動かないっていうのかな。
風がそよとも吹かない。空気の流れが感じられないんだ。
透明なゼリーに包まれたようなそんな感じだった。柵の向こうの木の枝を見ると、微かだが風にそよいでいるのにその流れが柵の中ではまるで感じられない。空気すら柵の中に入るのを避けているかのようだった。
あっちの方へ行ってみようぜ。と桜井が行った。
柵の中は木がそんなに生えてなかった。
明らかに人の手が入っている雰囲気があった。
俺は疎らに生えている木の幹に変な記号が刻まれているのに気づいた。
幾何学模様って言うのかな。
なんかの護符の類いだろうか。良くわかんねぇ。名倉はマッチ棒のクイズみたいだって笑っていたな。
ある意味あいつらの神経の太さは称賛に値する。まるで空気を読まない、ってのかな。
まあ、それはいいや。
とにかく、少し歩くと変な小屋が見えてきたんだ。小屋というより祠って言った方が良いかな。
幅1.5メートルぐらいで高さは2メートルぐらい。お地蔵さんとかが納められているような奴だ。正面は観音開きの扉で閉じていたんで中になにが納められているかは分からなかった。
祠は全体が朱色に塗りたくられていて、それが白色LEDライトに浮き上がった見えた。真っ赤な祠は触れることを無言で拒絶しているように思えた。
「これ中になにが入ってるんだ?」
聞いたのは桜井だった。
「知らね。たけど、多分、なにか呪いっぽいものが入ってると思う」
「呪いぽいって何を?」
「上半身が巫女さんで下半身が蛇の化け物。
中に入ってるのものを動かすと出てきて、見たら死ぬらしい」
「へぇ……な、開けてみろよ」
桜井の言葉に名倉は信じられない、というように目を剥いた。
「お前、人の話を聞いてたか?」
「聞いてたよ。動かさなきゃいいんだろ?
中を見るだけならいいじゃねぇかよ。
それともビビってるんか?」
あからさまな安い挑発だった。名倉は大きく口を開けた。奴は、そんな挑発に乗るかよ、そう言うつもりだったんだと思う。
「もうやめようよ!」
柵の中に入ってからずっと震えていた女の悲鳴が突然降って湧いた。その悲鳴を聞いたとたん名倉の口が小刻みに震え、歪んだ。笑っているのか泣いているの良く分からない。ただ、こんな言葉が吐き出された。
「ビビってなんかいねーよ。おもしれーじゃんか」
2021/10/03 初稿