綻び
よろしくお願いします。はい、受診するのは今日が初めてです。こちらの先生が親身にお話を聞いてくださると耳に挟んだので。
そうです、問診票に書かせていただいたとおりで、夜眠れないんです。市販の薬を飲んでも駄目で。原因はわかっています。布団に横になって目を閉じると浮かぶんです。事故のときの、姉の表情が。
すみません、ちゃんと順を追って説明しますね。でも詳しい話をしたら驚かせてしまうかもしれません。先月私は双子の姉と、大学の友人の小百合と三人で近所の遊園地「かささぎパーク」へ行きました。
そうです、あの事故です。やっぱりご存知ですか。全国ニュースにもなりましたから当然ですよね。
安全バーの整備不良が原因だと説明を受けました。そんなこと、言われなくても私にはよくわかっていました。係の人がバーを無理やり押し込むところ。ジェットコースターがゆっくりと動き出してから、バネが弾けるようにバーが外れたところ。私はどちらも目撃しましたから。
ニュースで何度も耳にしました。七月九日の午後二時ごろ、S県H市「かささぎパーク」へ友人と遊びに来ていた19歳の女性が、乗っていたジェットコースターから振り落とされ、頭を強く打って死亡。
あのときの姉の顔が、忘れられません。私は姉の隣に座っていました。
ずっと一人で抱え込んでたんです。親身になって相談を聞いてくれるような人はいなくて。唯一の信頼できる友達も、いなくなってしまいました。最近はSNSもろくに見られないんです。私たちの写真が拡散されていて……こんなこと口にしたくはないんですが、みんな言ってるんです。
「自業自得」「重みに耐えきれなかったんじゃないか」「デブが寄ってたかってジェットコースターに乗るからいけないんだ」
私はもちろんご覧いただいている通りで、同じように姉も小百合も身体が大きいんです。こんな巨体が三人集まってジェットコースターに乗れば、壊れても仕方ないって普通の人は思うみたいです。
いいえ、みんなそう思ってるんです。先生、今のこの私を見てどう思いますか。おかしいですよね。だって普通あんな出来事があれば、ショックでやつれてもいいと思いませんか? それがこんな体型で人前に現れて。小さいころからずっとそうなんです。自分のこと、みっともないと思ってて。恥ずかしいと思ってるんですよ。でもストレスのせいか余計に太ってしまって。
何か一つ、致命的なことがあるともう駄目なんです。人生の全てが悪い方へ向かってしまうんです。一箇所、綻んだ糸があるとそこから全てがほどけてしまうのと同じで。
私も、姉もそうでした。今は一緒の大学に通ってるんですが、同じ顔のデブが二人いると目立ってしょうがないから、本当は別の大学を志望していたんです。でも結果はだめで……滑り止めを同じところにしてしまったのがよくなかったんです。それも第三志望くらいのところだったんですよ。これからは別々に生きられると思ったのに、私たちの人生って本当に何も上手くいかないんです。
二人揃ってこんな身体だし、話も面白くないし、それでも小百合は私たちと仲良くしてくれたんです。あの子も同じような体型なのに、明るくて友達もたくさんいました。あんないい子と友達になれたのは初めてかもしれません。
三人で一緒に授業を受けて、休みの日にもよく遊んでいました。あ、休みの日は二人のことが多かったんですけど。姉は大体家にいました。そこまでいつも小百合とは遊びたくはなかったみたいで。でも私は小百合が大好きだったので、気にせずよく出かけていました。
あの子はちょっとしたことでもすぐに笑うんです。そういう人と一緒にいるとこっちまで幸せになれますよね。私たちとは全然違う。私、笑いたくないんですよね。笑うと口の中でネチャッて唾の音がするんです。歯並びの問題なのか、わからないんですけど。だからできるだけ笑わないようにしてます。気にしすぎとかじゃなくて、姉も同じなんです。あの人もあまり笑わないんですけど、たまに頬が緩むと気持ち悪い音がして、それを聞いてよく笑わないようにしようと思うんです。
私こんなだし、本当は小百合も楽しくなかったんじゃないかな。あるとき、小百合に彼氏ができたんです。あんないい子だから、当たり前のことなんです。それ以降も三人で授業を受けるのは変わらなかったんですけど、休みの日に会う機会はだんだん少なくなってしまいました。
そんなことでいちいち、姉はうるさいんです。あんたもう捨てられちゃったんだ。あいつも男ができたからって調子に乗ってるよね、なんてあの子のいないところで言って。普段だったら姉の小言なんて無視するんですけど、小百合のことを悪く言うからついカチンときて言い返してしまったんです。自分が彼氏できたことないからって妬まないでよ、って。そんなことを言ったら百倍になって返ってくるとわかっていたんですけど。
あんただって同じじゃない。こっちが友達だと思ってても本当は小百合も私たちのこと見下してるよ。どうせ私たちは、一生幸せになれないんだよ。とかなんとか唾を飛ばしながら喚くんです。普段は人前で喋らないくせにこういうときだけいくらでも言葉が出てくるのはどうしてなんでしょう。
はやく死んでくれればいいのに。正直、そう思っていました。こんなことを言うべきじゃないってわかってるんですけど。
小百合は気が利くから、私たちのこともちゃんと気遣ってくれたんです。だから、今度近くの遊園地へ行こうと提案してくれました。たまには三人で一緒にって。姉は気が進まない様子でしたが、チケットも用意してくれて、しかも休んだ授業の出席を代わりに取ってくれたことを持ち出されて、行かないわけにはいきませんでした。でも正直、姉を連れて行かなければあんなことにはならなかったのかもしれません。
あの日は、楽しかった。入口で着ぐるみのマスコットキャラクターといきなり写真が撮れたんです。普段はめったにいないんですよ。ゴンドラに乗るアトラクションが思いのほかスリルがあったから三回も乗って、お化け屋敷で小百合が半べそかいたと思ったら、子供しかもらわないような風船をもらいに走って。私と小百合はもちろん、姉も楽しんでいるように見えました。
その調子で、あのジェットコースターへ向かったんです。
係員の方に誘導されて、姉は一番前に座りました。二人がけの席で、前は怖いと思ったので私と小百合は二列目に座ったんです。姉は何気なさそうに安全バーを触ったと思ったら、自分だけ前は嫌だって、後ろまでわざわざ来て小百合を引っ張って連れて行きました。二人で前に座るのかと思ったら、姉は私の隣へ。小百合はこちらを振り向きながら、楽しそうに悲鳴を上げていました。なんで私だけなのって。
そうこうしているうちに安全バーが下ろされ、ガタガタと揺れながらコースターは進んで行きました。ゆっくり、ゆっくりと傾斜を昇っていきます。私たちは怖い怖いと子供みたいにはしゃいで、その後にあんなことが起こるなんて夢にも思いませんでした。
あと数秒で、頂点にまで差し掛かる。そこまで到達したら、初めはフワッと浮き上がる感覚がして、そこから一気に落ちていく。あと少し。もう先のレールが見えない。そんなときでした。両側から引っ張ったゴムが弾けるように、空気を入れ続けた風船が破裂するように、安全バーが外れました。
私の前に座る、小百合の身体を支えるはずの安全バーが完全に上がりきっていました。
それからは、一瞬だったようにも、すごく長い時間だったようにも思えます。
驚いた小百合が慌てて下げようとしても、びくとも動かないようでした。
なんで、止めて、助けて。さっきまでとは明らかに違う悲鳴を私はただ聞いていることしかできませんでした。あのとき私に何かできることはなかったのか。今でもずっと考えているんですが、答えは出てきません。
小百合は垂直に落ちていくこの先のレールと、あまりにも遠い地面を見て、それから振り向いてこちらを、わたしの目を見ました。
そのときの小百合の表情は、正直に言うとあまり思い出すことができないんです。
確かにずっとわたしは小百合に気をとられていて、そのときまでは周りの様子なんて気にもしていませんでした。でも。
すぐ真横から、ネチャッという音が聞こえました。
はっとして、小百合の視線から目をそらすように、ゆっくりと隣の姉に目を向けました。
先生、私どうしても、あのときの姉の顔が忘れられないんです。
夜、横になって目を閉じると浮かぶんです。事故のときの、姉のあの綻んだ顔が。