スーパーボールすくいの店主はモノクルをつけた猫
スーパーボールすくい。
その屋台の屋根の下に、ポイを掴んだ猫がいる。茶色い猫が、喋っている。おっさんの声で。
「おっちゃん! スーパーボール2人分!」
「おう! 200円だな。じゃあ、頑張れよ」
猫はお金を受け取って、ポイと器を渡した。
……なんで!?
なんで猫がお店番してんだよ! 普通に会話してるんだよ!
でも、今受け取った子も、他の人も、みんな普通にスーパーボールすくいを楽しんでいる。みんなおかしいと思わないのか?
もうちょっと近づいてよく見たら、右目に枠が黄緑色のモノクルのようなものをつけている。
……猫がモノクル!?
おかしなことやあり得ないことが多すぎて、なんだか混乱している。人が多いし遠くからじゃよく見えないから、目をこすりながら近づいてみる。
けれど、近くで見ても、変わらない。やっぱり猫だし、喋っているし、モノクルをつけている。ボクの目がおかしくなったのだろうか。夢でも見ているのだろうか。
でもボクは、今日朝起きたときの眠たさも、学校で友達と話していたことも、よく覚えている。お祭りに来たのだって、学校で、スーパーボールすくいのボールが凄いって噂を聞いたからだ。
なんでも、変な方向に弾んだり、平らなところでもいつまでも転がり続けたり、ぶにょぶにょだったりする不思議ボールがあるそうだ。ぶにょぶにょボールは、手に持ったらぶにょぶにょなのに、投げたらちゃんと弾むらしい。
学校におもちゃは持ってこられないから、ボクは話に聞いただけだ。だから、みんなの噂を聞いて羨ましくなって、今日は1人でお祭りに来たんだ。
……こんなに記憶がはっきりしているのに、夢なんてこと、あるのだろうか。でも、夢じゃないならどういうことなんだろう。
「いてっ」
考えごとをしていたら、頭に何かが当たった。なんだ、と思ってきょろきょろ見渡すと、スーパーボールが跳んでいる。
「ボール当たっちゃってごめんな! そのスーパーボール、もの凄く弾むせいで、なかなか掴めなくて……」
「大丈夫だよ~」
ボクは知らない子に返事をしながら、スーパーボールを目で追う。確かに、凄く弾んでいる。1回弾んだら、普通2回目の方が低くなるのに、そのスーパーボールはいつまでも同じくらいの高さで弾んでいた。これが噂の不思議ボールのようだ。
よし、ボクも不思議ボールをゲットするぞ、と思ったところで、店主がいろいろと変だったことを思い出した。さっきの猫はボクの見間違いだと信じて、もう一度屋台の方を見る。
……やっぱり、猫にしか見えない。じっと見ていても仕方がないから、恐る恐る近づいてみる。
ふと、店主の猫がこちらを見た。ボクと目が合うと同時に、ゆらゆらしていたしっぽがピンと張った。さらに声が届く距離まで近づいて、今猫はボクの目の前、の足元にいる。
「あ、あの。ボクもスーパーボールすくいしたいです」
ちょっと屈んでそう声をかけてみる。猫に向かって。
「坊や。もしかして、くいとか?」
ゆっくり、そう聞かれた。猫の表情は分からないけど、なんだか懐かしいような声をしている。
でも、くいとってなんだ? ボクの名前は、啓人だ。
「ううん、啓人だよ。ボクのこと、知ってるの?」
「ああ、知っているとも。お祭りが終わった後、寺田坂においで。おもしろいスーパーボールをあげる」
寺田坂? ここから家まで帰る道から、ちょっとだけ外れたところだ。普段、あまり通ることはない。あそこは道が狭くて危ないからあんまり通るなって母ちゃんに言われてるんだ。
それに、お祭りが終わるのは9時半だ。そんなに遅くまで家に帰らなかったら、母ちゃんに怒られてしまう。
「ボク、あんまり遅くなる前に帰らないといけないんだ」
猫に向かってそう伝える。自分も他のみんなと同じように、猫と会話していて不思議な感じだ。
「えっ? 去年はお祭りが終わった後遅くまで遊んでなかったか?」
この猫は去年お祭りの後ボクがどうしていたのかを知っているらしい。
確かに去年は遅くまで遊んでいた。だけど、そのせいで母ちゃんにめちゃくちゃ怒られたんだ。だから今年は怒られないように、早く帰らないといけない。
「去年は遊んでいたけど、それで母ちゃんに怒られたんだ」
「そうだったのか。俺と遊んでいたせいで……それは悪かったな」
俺と遊んでいたせいで? そういえば、去年はなんで遅くなったんだっけ。
1日目は友達と行ったけど、その日はそんなに遅くならずに帰ったはずだ。そして、2日目は今日みたいに1人で行った。自分だけなのに、そんなに遅くなるはずがない。それに、盆踊りが終わる時間よりもずっと前に家に向かったから、怒られるような時間になるはずがないのに……。なんで遅くなったのか、あんまり覚えていない。
うーん、と考えながら、しっぽをしゅんとさせて申し訳なさそうにしている猫を見る。そういえば、なんで猫が申し訳なさそうに、「僕のせい」なんて言ったんだろう。去年のお祭り、猫……。
そこまで考えて、はっとした。
そうだ。この猫には見覚えがある。ちゃちゃだ。去年帰りが遅くなったのは、ちゃちゃと遊んでいたせいだ!
お祭りで手に入れたスーパーボールを弾ませながら歩いていたら、ぴょんぴょん跳んでいってしまったんだ。慌てて追いかけていると、そのボールをちゃちゃがパンチして、また反対方向に跳んでいって、ボクが追いかけるよりも早く、ちゃちゃがまたアタックして……。
「もしかして、君はちゃちゃ?」
目の前の猫は、またしっぽをピンと立てた。
「やっと思い出したのか! でも、俺を見てちゃちゃだってよく分かったな」
とても嬉しそうにそう言った。
けど、俺を見てよく分かったってどういうことだ? 去年見たちゃちゃとまったく外見が変わっていない。茶色い猫だから、ちゃちゃ。ボクが去年そう名付けたはずだ。だから、むしろもっと早く気づいてもおかしくなかったのに。
あ、変な黄緑色のモノクルをつけているところだけ変わっているかも。
「だったらボク、お祭り終わってから寺田坂に行くよ。また、スーパーボールで遊ぼう」
ちゃちゃは、ああ、と言いながら、ポイと器を渡してくれる。そういえば、スーパーボールすくいをしたいと言ってお金を払ったんだった。
なんで猫のちゃちゃが喋っているんだろうとか、屋台の店主をやっているんだろうとか、みんなは不思議に思わないんだろうかとか、そんなことはどうでもよくなった。
去年、お祭りの帰りに黄緑色のスーパーボールでたくさん遊んで、次の日も、その次の日も、ちゃちゃと遊ぶために寺田坂に通った。危ないから行っちゃいけないって言われてるけど、ちゃちゃは寺田坂にいるんだから仕方がない。
だってそのとき、1日目のお祭りの帰りに友達と喧嘩しちゃったから、ちゃちゃくらいしか遊ぶ相手がいなかったんだもん。ちゃちゃも人間みたいにお話しできたらいいのに、と思いながら、たった1つの黄緑色のスーパーボールを弾ませていたんだ。
でもちゃちゃと会って3日目に困ったことが起きた。遊んでいる最中に、スーパーボールがどこかに行っちゃったんだ。探しても探しても見つからないから、代わりのおもちゃを用意してまた明日ちゃちゃと遊ぼうと思ってその日は帰った。
ところが、次の日にはちゃちゃはいなかったんだ。寺田坂の近くをたくさん探したけど、いくら探してもいなかった。猫は気まぐれだから、と思っていても、凄く、凄く寂しかったんだ。
だから、こうやって、またちゃちゃと遊べるのが楽しみになった。母ちゃんには怒られるかもしれないけど、ちゃちゃはいついなくなるか分からないじゃないか。もし今日行かなくて、そのあと2度と会えなかったら凄く後悔する。だから、怒られてもいいんだ。
今年は、凄く弾むスーパーボールや変な方向に跳んでいくスーパーボールでも遊べるかもしれない。さっき、このスーパーボールは手に持った時だけ光るって言ってる子もいた。不思議ボールは5つに1つくらいらしいから、たくさんすくって不思議ボールを集めなきゃ。
それに、今からたくさんスーパーボールをすくっておけば、もし1つなくなっても、代わりのボールで遊べる。2つ同時に投げて遊ぶのもいいかもしれない。
よーし、ちゃちゃといっぱい遊ぶためにたくさんスーパーボールをゲットするぞ。