76 知らないけど知っている
「……ここどこ?」
セラフィナは気付くと、知らない部屋の知らないベッドの上で眠っていた。
そして、こんなことになっている心当たりもない。
窓から外を覗くと、見たこともない様な景色が広がっていたのだ。
「仮に誘拐されたとしても何で陸地? 昨夜は間違いなく船の上だったわよね?」
昨夜の時点で船は、白の大陸と無色の大陸の中間辺りを走っていた。
時間的に誘拐されたとしたら、大陸間にある島という事になる。
「モトキ、昨夜何か気付いたことはなかった? ……モトキ?」
モトキに話しかけるが返事がない。
疲労で深く眠っているときは例外だが、基本的にモトキは、セラフィナに呼ばれるとすぐに反応する
しかし昨日は、特に疲れるようなことはしていない。
「モトキ? え、なんで!? 眠っているだけよね!? モトキ!」
セラフィナは、心の奥に引っ込み、強引んモトキと入れ替わろうとするが、上手く入れ替わることが出来ない。
モトキがセラフィナに転生してから随分と経つが、こんなことは初めてだった。
セラフィナは、モトキが消えてしまったのではないかと考え、激しく動揺する。
(……落ち着きなさい、私。モトキは私を残していったりしない。何か原因があるはずよ)
セラフィナはすぐにでも眠り、夢の中の世界でその原因を突き止めたかった。
しかし今は優先すべきことがある為、その気持ちをグッと抑え込んだ。
(優先すべきは、現状の確認と安全の確保。眠っている場合じゃないわ)
幸いなことに、体は拘束されていない。
セラフィナはベッドから起き上がると、周囲を確認する。
見慣れない家具ばかりだが、整理整頓が行き届いた、小綺麗な部屋だ。
少なくとも、人を閉じ込めることに適した部屋ではない。
(どうにも不思議な場所ね。不思議と言えば、体が妙に軽い気がするわ。声もおかしかった気が……)
色々な疑問を抱きながら、セラフィナはドアノブに手を掛ける。
ドアには鍵すら掛かっていない。
(迂闊すぎるわね、誘拐犯。あの3人じゃないわね)
いつもの3人組なら、セラフィナを警戒している為、このようなミスは侵さないだろう。
セラフィナは部屋を出ると、警戒しながら廊下を進んでいく。
するとキッチンで調理をしている女性の後ろ姿が見えた。
そして料理の美味しそうな匂いに釣られ、思わずお腹が鳴ってしまう。
(何やっているの! 私のいやしんぼう!)
セラフィナのお腹の音に気付き、女性が振り向く。
綺麗な黒髪を、胸の辺りまで伸ばした、中学生くらいの少女。
セラフィナは、少女に会ったことはない。
しかしその顔に心当たりがあった。
「……エア?」
セラフィナが作った、羊毛フェルト人形。
かなりディフォルメされた人形だが、目の前の少女の特徴を、完璧に捉えたものだ。
「おはよう、モト兄。寝坊なんて珍しいね。代わりに朝ご飯作っておいたから」
「モト兄……モトキ? 私が?」
「他に誰がいる。寝惚けているのか?」
後ろから男性の声が聞こえた。
セラフィナが振り向くと、そこには高校生くらいの少年がいた。
少年はエアと同様、モトキの作った羊毛フェルト人形によく似ている。
「……イサオキ?」
「何故、自信なさげに言う。本格的に寝ぼけているようだな、兄さん。顔を洗ってくるといい」
「わ、分かった」
目の前にいるのは、2000年前に地球で亡くなったはずのイサオキとエア。
そしてセラフィナの事をモトキと認識している状況。
その答え合わせとして、セラフィナは鏡を欲していた。
セラフィナの常識では、洗面所には鏡があるはずだ。
「……洗面所ってどこだっけ?」
イサオキとエアは、セラフィナを心配そうな表情で見る。
「モト兄、本当に大丈夫? ひょっとして熱でもあるんじゃない?」
「ああ、兄さんが寝坊するなんて滅多にあることじゃない。体温は……37.2度。平熱か」
イサオキは、セラフィナの額に指を当てると、一瞬で体温を測ってみせた。
本来なら信用出来たものではないが、モトキの弟だと思うと、不思議と納得してしまう。
「だ、大丈夫だって。本当に寝ぼけていただけだから。洗面所はこっち――」
「あっちだよ」
「お、お兄ちゃんジョーク」
セラフィナは笑って誤魔化し、洗面所に向かった。
鏡に映るのは、実際には会ったことがない人。
それでも夢の中では、毎日顔を合わせる、もう1人のセラフィナ。
ミタカ モトキがそこにいた。
(生モトキだわ……。私、本当にモトキになっているわ……)
セラフィナは、ペタペタと自分の顔を触り、それが幻でないことを確かめる。
頬をつねり、これが夢でないことを確かめる。
顔を洗い、自分が寝ぼけていないことを確かめる。
(……私はセラフィナ・ホワイトボード。白の国の姫。父はイオランダ。母はリツィアとナノン。兄弟は上からシグネ、エドブルガ、ララージュ。好きなことは魔術研究。……全部覚えているわね)
セラフィナは、自分の存在を確認する。
ひょっとしてセラフィナは、モトキの想像上の人物で、現実と空想がごちゃ混ぜになったのかと疑ったが、空想では言い表せない程に詳細な人生経験が思い出せた。
(考えられる可能性は、痛かったけどこれは夢。リアルで詳細な夢はいつもの事だし。タイムスリップよりは現実的だわ)
過去に戻れるなら、モトキはわざわざアステリアに転生したりしなかっただろう。
病気や魔王の事をなかったことにしようとしたはずなのだ。
(モトキの記憶を、私が夢として追体験してると言ったところかしら。原因を特定するには、判断材料が少なすぎるわね)
セラフィナはとりあえず、リアルな夢と言う前提で行動することにした。
そしてどうせ夢ならと、精一杯楽しむことにした。
「お待たせ」
「ちゃんと目は冷めたか?」
「ああ、悪いな。心配かけて」
「何ともないみたいで良かった。それじゃあ食べよう」
「「「いただきます」」」
セラフィナは、普段行っている、組んだ両手を額に付ける挨拶ではなく、言葉だけの簡易的な挨拶を行う。
(研究者を舐めないでね。モトキを研究して、地球での常識はバッチリなのよ)
モトキの一人称だけを変えた、雑な誤魔化し方ではない。
セラフィナは、モトキを忠実に再現していた。
そして知識としてしか知らなかったことを、実際に体験できる夢のような機会。
ここはセラフィナにとって、遊園地のようなものだった。
本日の朝食は、白米・味噌汁・納豆・焼き鮭・漬物。
現代日本では逆に珍しいほど、日本の朝食を体現した朝食である。
(さっきの美味しそうな香りは、この茶色いスープね。おそらくはミソシル。ダイズと言う豆から作られた、ミソと呼ばれる調味料を使用したスープ。ホッとする優しい味ね)
モトキも散々探したが、アステリアには大豆が存在しなかった。
大豆は醤油や味噌と言った、日本食の定番調味料の材料である。
それがない為、モトキは日本食の再現を断念したのだ。
ちなみに断念しただけで、不可能とは言っていない。
(これがナットウね。ダイズを発酵させた食べ物。独特な臭いで好みが分かれるけど、好きな人は大好き。とてもミソシルと同じ材料とは思えない香りだわ)
セラフィナは、イサオキとエアの見よう見真似で、納豆を混ぜていく。
独特の匂いに嫌悪感を覚えたが、完全未知の食材に対する好奇心が勝った為、無視することにした。
納豆を白米の上にかけ、食べようとする。
(箸、難しい!?)
白の国で食事を行う際に使用するのは、スプーンにフォークにナイフである。
セラフィナは、モトキから箸の存在を聞いてはいたが、実際に使ったことはないのだ。
「モト兄、何で左手で食べてるの?」
「え?」
モトキの利き腕は、セラフィナとは逆の右である。
長いこと右腕がない生活を送っていた為、右腕の存在を失念していたのだ。
(そうよ、モトキの体なら右腕が――動かない!?)
セラフィナが今まで右腕の存在に気付かなかったもう1つの理由。
それは右腕が一切動かず、感覚もないからだ。
(外傷は見当たらない。エアは動くのが普通だと認識している。それ以外の理由……魂?)
本来、魂の形は認識できるものではない。
しかし肉体の共有と言う特殊な状況が、魂を人の形として認識させていたのだ。
セラフィナが右腕を失った後、魂から右腕が消滅した。
正確には形を失っただけだが、それがセラフィナの中から、右腕の動かし方を失わせてしまっていたのだ。
(どうやって誤魔化す? いえ、どう誤魔化しても、右腕が動かない時点で怪しまれるわ)
イサオキとエアが、不思議そうにセラフィナを見ている。
すると不意に右腕が動き出し、箸を握り、セラフィナに食事を食べさせだした。
(右腕が勝手に!? ひょっとしてモトキが動かして――もがっ!?)
セラフィナの食べる速さと、右腕の食べさせる速さが噛み合っていない。
もしも右腕を動かしているのが、モトキの意思によるものだとしたら、このような気の利かない行動はしないだろう。
(ひょっとして自動!? 脳からの制御を離れて、体に染みついた記憶だけで動いているとでも!?)
「モト兄、本当に大丈夫? 具合悪いんじゃないの?」
「ああ、肉体的には異常は見当たらないが……心の病気か?」
「何か辛いことがあったの!? だったら相談して! 私に出来ることなら何でもするよ!」
「何でも自分だけで抱え込もうとするのは、兄さんの悪癖だ。 辛い時、困ったときに頼ることは、家族として普通の事だ」
(愛されているわね、モトキ)
全力でセラフィナの事を心配するイサオキとエア。
そこには疑う余地のない愛がある。
モトキの家族愛を改めて実感すると、何やら温かい気持ちになった。
(だけど今はその愛が辛い! 助けてモトキ!)
セラフィナは、必死に正常アピールをして、何とか2人を納得させた。
しかしこの異常な普通の日常は、まだ始まったばかりだ。




