72 黒い結膜
部屋は凄惨な状況だった。
壁には焼き貫かれ、風が吹き抜ける大穴が2つ。
床には船底ごと切り裂かれて、海が見える亀裂。
他にも燃えた跡や、重いものを叩き付けたような凹みが多数ある。
この状況で疲弊こそしているが、全員大きな怪我もなく生存したのは、幸運だったとしか言いようがない。
そして飛行船が墜落しなかったのは、奇跡としか言いようがないだろう。
「セラフィナさんとソフィアさんは大丈夫ですの?」
「はい、2人とも魔力の枯渇で眠っているだけですから」
魔力枯渇と肉体疲労、そして極度の緊張状態からの精神的疲労。
それらの条件が合わさり、2人ともグッスリだ。
アンネリーゼは、カリンから事の経緯を聞いた。
アラビスの事は、ふんわりした言い方で誤魔化している。
しかし護衛騎士であるアラビスの話を露骨に避けていることから、首謀者が誰なのかを察してしまった。
(やっぱりあれは……)
気付きはしたが、それを口にすることはなかった。
自分の護衛騎士の不始末に加え、皆に多大な迷惑を掛けてしまった罪悪感から、これ以上気を遣わせたくなかったのだ。
「改めてお礼を言わせていただきます。助けて頂きありがとうございます」
「お礼ならお姫様達に。私はお姫様の護衛に付いて来ただけですから」
「馬車を襲われたのは、俺達も同じだからな」
「俺はセラフィナに頼まれたから。友達を助けるのに協力してほしいと」
「ええ、2人には後程必ず。それでもあなた達に感謝しない理由にはなりませんわ」
アンネリーゼは、深々と頭を下げる。
「何にしても、これならキテラさんに、あんまり怒られずに済みそうです」
「ああ、早く帰って――」
「あとは飛行船を操縦している奴ですわね」
「「「え?」」」
飛行船に限らないが、この世界の乗り物に自動操縦の機能など付いていない。
ならば当然操縦席には、パイロットが乗っているはずだ。
「そいつは間違いなく、誘拐犯の一味でしょう?」
「も、勿論ですよ!」
「あ、ああ! 事件はまだ終わってないぜ!」
(気付かなかったのは俺だけか……)
極限状態だったこともあり、眠っているセラフィナ達を含め、誰も気にしていなかったのだ。
そもそも飛行船のコントロールを奪わなければ、無色の大陸に戻ることが出来ない。
武器を失ったカリンは、セラフィナとソフィアと共に残り、他の3人が奥へ進むことになった。
「アルステーデ」
「なんだ?」
「さっきはごめんなさい」
「……いつのことだ?」
「王闘の後の事ですわ。セラフィナを傷付けたことを責めたでしょう。そのことを謝っていませんでしたので」
「気にしてない」
「わたくしが気になったのです。確かに謝りましたわよ」
「分かった」
距離的に考えて、飛行船の先端にあると思わしき部屋。
カリストが先頭に立ちドアを開けると、操縦席に座る白と黒が入り混じった頭が見えた。
まるで子供のような身長だ。
「ん? 青の騎士か?」
カリスト達の気配に気付き、振り向いたのは、やはり子供だった。
セラフィナ達とそれほど変わりない年齢の少年。
しかしただの少年ではない。
その結膜は、魔人化したアラビスと同じく黒いのだ。
そして人間にはない異形の部位、背中に鳥の様な羽が生えていた。
「また魔人か!」
「こんな子供が魔人!?」
3人は臨戦態勢に入る。
しかし少年は、椅子に座ったまま、やる気のなさそうな顔で3人を見ている。
魔人だと言うのに、先程のアラビスのような威圧感は、まるで感じられない。
「また、か。つまり僕の他の魔人に会ったってことか。そしてそれを退けてきた」
「そうだ」
「お前達が凄かったのか、青の騎士が脆かったのか。何にしても神器なしの人間に勝てないんじゃ、失敗作だったとしか言いようがないな」
少年は、宙に黒い穴を作り出すと、そこに腕を入れる。
腕を引き抜くと、そこにはアラビスが胸に突き刺した、黒い半透明の鉱石が握られていた。
「それは何ですの?」
「これを体内に埋め込むと、疑似的な魔人になれるんだ。僕の実験に付き合ってくれるならあげるけど、欲しい?」
「それでアラビスをかどわかしたという事ですか……」
「アンネリーゼ姫……」
「ごめんなさい、気付いていましたわ。でも大丈夫です」
アンネリーゼは、真っ直ぐ少年を見据える。
「かどわかすって……。僕はこの結晶を渡しただけだ。その後の行動を、縛りも矯正もしてない。飛行船を操縦してたのは、人手が足りないというから手を貸しただけ。彼の行動は、全て彼の意思によるものだ」
「途中から明らかに正気じゃなかったが?」
「魔人の力に耐えられなかったんだな。今後の課題だ」
あくまでこれは、アラビスが計画したものだという事だ。
アンネリーゼは、自分の爪が刺さりそうなほど、強く手を握った。
「海竜については? あいつは海竜の出現に合わせて事に及んだみたいだが?」
「僕は、さっき言ったこと以外には関与してない。強い人間に、この結晶を取り込んでもらいたかっただけだ」
少年は体を伸ばすと、椅子から立ち上がった。
先程より大きな黒い穴を作り、そこに入り込もうとする。
「待ちなさい!」
「なんだ、これ以上話すことはないぞ? それとも戦う気か? 僕は青の騎士より強いぞ?」
とてもそうは見えなかった。
魔人と化したアラビスの力は、人類の天敵と言って申し分ないものだった。
一方少年は、纏っている気配からも、佇まいからも、強さを欠片も感じない。
それでもアラビスより強いという言葉が、どうしようもなく真実だと分かってしまう。
頭ではなく、心でもなく、魂がそう叫んでいる。
「……わたくしの名前はアンネリーゼ・エルブルースですわ。あなたは?」
「魔人:ファミリア。アルタイル・トライホーク」
「忘れませんわ」
「僕は人間の名前とか覚える気がないんだ。悪いな」
そう言って、アルタイルと名乗る魔人は、黒い穴の中に入っていく。
アンネリーゼ達は、それをただ見ていることしかできなかった。
「逃げられたか」
「逃がしてもらったじゃないのか?」
「眼中になかっただけなのかもしれませんわね」
それでも全員が生存することが出来た。
飛行船の操縦席を奪取したことで、無色の大陸まで戻ることが出来る。
「……とりあえず帰るぞ」
「ええ。ところで誰が操縦しますの?」
「……」
飛行船は、青の国の最新技術である。
この場にも、広間で待機しているセラフィナ達にも、動かした経験などあるはずがなかった。
「飛んでたって船なんだろ? なら似たようなもんだろ」
「あっ!」
そう言ってオルキスは舵を取る。
一見無茶に思えたが、以外にも飛行船は安定しながら進路を変えた。
「ほら、意外と何とかなるもんだろ?」
「本当に意外ですわ……」
「問題は現在地が分からないことだな」
「ああ、とりあえず180度旋回したが、ここまで真っ直ぐ進んだか分からないからな」
無色の大陸の大きさは、東京都の1.5倍程度の大きさしかないしかない。
下手をすれば通り過ぎてしまうだろう。
そして海の真ん中で燃料が尽きたりしたら目も当てられない。
「後は運任せだな。ここは俺に任せて、姫達の様子を見てくれ」
「分かりましたわ」
アンネリーゼは、セラフィナ達の下に戻ることにした。
アルステーデもそれに続く。
「……大丈夫か」
「さっきも言いましたわ。大丈夫ですわ」
アンネリーゼは、欠片も気にしている様子がない。
それでもアルステーデは、納得しなかった。
「思う所があったから、あの魔人に食って掛かったんじゃないのか?」
「人類の天敵である魔人の情報を、少しでも多く手にいれる為ですわ」
「……」
「……アラビスは、はっきり言って鬱陶しく思っていましたわ」
「そうか」
「城の内外を問わず、どこに行くにも付いてきて、いちいち自分の存在をアピールして、その度に股間に魔術をぶち込んでやりましたわ」
「そうか」
「それでも……解雇するほど嫌いでもありませんでしたわ」
「君は強いんだな」
アンネリーゼは立ち止った。
顔を俯かせて、アルステーデからは見えないようにする。
「先に行きなさい」
「分かった」
アルステーデは、足早にその場を立ち去った。
強がりな少女の、弱さを誰にも聞かれないように。




