4 魂の管理所
モトキは何もない世界にいた。
いや、そこが世界であるかすら定かではない。
そこは何も見えず、何も聞こえず、何も香らず、何の味もしない。
それでも僅かに感じる浮遊感だけが、そこに存在しているという実感を与えた。
頭の中は霧がかかったようにはっきりせず、碌に思考をすることすらできない。
それでも脳裏にはいつでも愛する弟と妹の姿が映っている。
モトキにとってはそれだけで幸せであった。
幸せのはずなのに何故か心の奥底から悲しみが込み上げてくる。
モトキはその原因を求め、自分の半生を初めから順に辿っていく。
それは夢のように曖昧で、それでも確かに経験した時間。
家族と共に穏やかな幸せを享受していた幼少期。
両親を失い、それでも折れることなく弟と妹の為に奮起した少年期。
病気により自分の存在意義を見失った青年期。
そして――
(そうだ……俺はイサオキもエアも守れなかった。俺は……死んだ)
ここに来てからどれだけの時間が経っただろうか。
ほんの数分のような気もすれば、何年も漂っていたような気もする。
それでもようやく生前と今の記憶が連続したことにより、モトキの頭の中を覆っていた霧は晴れた。
目の前に眩い光が差し、そこに意識を向けると何もなかったはずの世界が開けた。
『ここが……死後の世界ってやつか?』
そこはまるで宇宙のように上下左右のない黒くて果てしなく広大な空間で、そこに無数の光る玉が縦横無尽に列をなし、川のように流れているものが幾つも見える。
地面はなくモトキはその空間にフワフワと浮いている状態だ。
そのあまりに壮大で神秘的で非現実的な光景、そして自分の最後の記憶からモトキはここを死後の世界と判断した。
『イサオキは死んじゃっただろうな……エアは大丈夫かな……』
ここが死後の世界でイサオキとエアも自分と同じように殺されたのなら、同じようにここに送られているのではないかと思い辺りを見渡すが他には誰もいなかった。
『いない……俺はこれからどうなる――ん?』
モトキに向かって1つの光る玉が飛んできた。
それはモトキの1メートルほど手前で止まり、更に強い光を放ちながらその形状を変えていった。
『眩しい……』
「目覚めたか、ミタカ モトキよ」
気付くと光る玉は男の老人になっていた。
老人の白髪銀眼で身長は2メートルを超え、立派な白い髭を蓄え、高そうな服と杖を身に着け、全体的にほんのり光っており、なんか神々しい気がする。
『神様だ……』
その見るからに神な外見にモトキは自然とそう呟いていた。
「ふむ、ワシはそんな大層な存在ではないのじゃがな」
『なら……サンタクロース!』
モコモコの白髭がいかにもそれっぽい。
さぞ赤い服と帽子が似合うことだろう。
「余計に遠のいた気がするのう……。ワシの名はバン。この場所「魂の管理所」に勝手に住み着いているただの爺さんじゃ。好きに呼ぶといい」
『ではバンさんと。俺はミタカ モトキです。俺のことは知ってるみたいですけど初めまして。色々と聞きたいことがあるんでしょうがよろしいでしょうか?』
「もちろん構わぬ。まずお主が聞きたいのはここが何処で、なぜ自分がここにいるかじゃろう?」
『いえ、俺の弟と妹、イサオキとエアについて知っていることはないでしょうか?』
モトキにとって自分の現状より2人の現状の方が遥かに重要だった。
もっと言えば2人のことを教えてもらえるなら、自分のことは一切分からなくても構わない。
「なるほど、イサオキが言っていた通りの人物のようじゃな」
『イサオキに会ったことがあるんですね。今どこにいるんですか?』
「結論から言うとイサオキは既にここにはいない。そして彼と再会することは二度と出来ないじゃろう」
モトキの顔が一気に絶望に染まり、そしてそのまま光の粒となり消滅し始めた。
死後の世界での再会にワンチャンス期待していたのだ。
「ま、待つのじゃ! 気をしっかり持て! とりあえずワシの話を聞いてくれ!」
モトキはハッと我に返ると体から飛び出ていた光の粒は収まった。
『すみません、あまりにショックだったもので』
「う、うむ、それだけ弟想いの兄ということじゃな。じゃが気を付けてくれ。お主に消滅されると世界に悪影響を及ぼすのじゃ」
『俺ってそんな大層な存在なんですか?』
「順に説明しよう。まずここは魂の管理所と言って、死した魂が辿り着き、生まれ変わるための準備をする場所なのじゃ」
『じゃあやっぱり俺は死んでて、ここは死後の世界なんですね』
「その認識で問題ない。自分が死んだときのことを覚えておるか?」
『弟と妹が魔王に酷い目に遭わされて、そのせいでショック死です』
「そんな馬鹿な!?」
魔王に首を切られたのはあくまで切っ掛けでしかない。
モトキは脳が酸欠で死ぬよりも前に、イサオキの死とエアを守れなかったことの2つのショックにより脳の生命活動が停止してしまったのだ。
それが事実であるかは定かではないが、モトキはそう結論付けた。
モトキは自分なら本気でその方法で死ねると思っており、見ず知らずの魔王に首を切られて死ぬよりも良い死に方だと思っている。
しかしバンはこの死因では納得いかないようなので、モトキは渋々首を切られたことを死因とした。
モトキは自分の首を触るとちゃんと繋がっていることを確認できた。
そして生前は病でゆっくりとしか動かなかった腕が自由に動くことに気付く。
他の場所も同様に動いたが、足だけは途中からなくなっている。
(そっか、今の体はもうないから病気とはもう無関係なんだ)
「うむ、まず間違いなくそれが死因じゃろう。ショック死ではお主がここでこうし会話できるはずがないのじゃ」
「そういうものなんですか?」
「本来死した生き物の魂は、この場所に送られると自動的に現世でのあれやこれやが浄化され、真っ新な状態になり、次の命として生まれ変わるものなのじゃ。ワシ等の周りを流れている光の玉、あれが魂じゃな」
『あれやこれやって?』
「罪とか記憶とか……とにかく色々じゃ」
神と見紛う見た目に反して、バンの説明は少々いい加減だった。
もっともモトキからしたら、事細かに説明されても理解できないので、実は助かっていた。
「本来はワシと会うことすらなく即浄化されるのじゃがお主は少々事情が違う、自身の体を見てみよ」
そう言われ体を確認すると半透明で若干光っていた。
モトキからは確認できなかったが髪や目からは色素がなくなり真っ白。
そして至る所にヒビが入っており、触れるとポロポロと崩れて消えてしまうのだ。
「お主は魔王を名乗る存在に殺される際に魂を損傷してしまったのじゃ。このまま浄化すると粉々に砕け散って消滅してしまうのじゃ」
『どっちにしてもイサオキとエアのことは忘れちゃうなら、俺からしたら大差ないです』
「言うと思ったわい……」
モトキのブラコン・シスコンにバンもいい加減呆れてきた。
「魂は輪廻転生で使い回すもので、減ったら減りっぱなしじゃから、なるべく消滅させたくないのじゃ」
『それでどう問題がある……かは別にどうでもいいですね。バンさんが困るって言うなら協力しますよ』
「誠か!? てっきりお主ならどうでもいいと断るとばかり思って居った!」
『俺のことを何だと思ってるんですか……』
もちろん筋金入りのブラコン・シスコンで弟と妹以外はどうでもいい奴だと思っている。
それも間違いではないが、目の前に困っている人がいて、その原因が自分だというのに知らんぷりするほど薄情でもなかった。
『それで俺はどうすればいいんですか?』
「ふむ、お主には魂の損傷を修復した後に改めて浄化し生まれ変わってもらう」
『それって簡単にできることなんですか?』
「まあ難しいことではない、要するに自然治癒するのを待つだけじゃからな」
『じゃあ治るまでここでなんやかんやしてればいいんですね』
「いや、魂そのものに治癒能力があるわけではない。修復には肉体が必要なのじゃ。じゃからお主にはまず魂の浄化を行わず転生してもらう」
モトキは少し驚いた、魂の浄化をしないで転生する。
つまり今の記憶を引き継いだまま第二の人生が歩めるということだ。
だとしたらある1つの希望が生まれる。
『ひょっとしてイサオキも浄化しないで転生したんじゃないですか!』
モトキと同じようにイサオキも魔王に殺されたのだから、同じように魂を損傷している可能性が高い。
だとすれば転生先で再開することが出来るかもしれないと、モトキは期待を膨らませた。
「確かにイサオキもお主と同じように転生させたが、先ほども言ったように再会することは出来ん。なにせイサオキが転生したのは300年以上前じゃからのう」
モトキは予想以上に時間が経過していることに愕然とした。
死んでからどれだけの時間が経ったかは曖昧であったが、流石に300年は想定外である。
「イサオキを送った世界の人間の寿命はお主等の世界の人間とほぼ同じじゃ」
『ならとっくに死んでますよね……イサオキはちゃんと魂を修復して、普通に転生できたんですか?』
「ここに来てないということは何も問題なかったはずじゃ。如何せん魂の数が膨大じゃから、自動処理されるイサオキの魂が転生されるところを見たわけじゃないがのう」
『不安になるようなこと言わないでくださいよ……』
しかし多少不確定の部分があっても、イサオキが無事に転生できたようなのでモトキは安堵した。
『俺が死んでから最低でも300年ってことはエアも死んじゃってますよね? エアはここに送られて来なかったんですか?』
「おぬしらの妹のことじゃな? 来てはおらんな。どうやら魔王と名乗る存在から逃れることが出来たようじゃ」
『よかった、なら普通に人生を全うして、普通に転生していったんですね』
エアも無事転生できたことを知り再び安堵した。
もちろん2人と二度と会うことが出来ないことは残念だが、魂が消滅したりされたら死んでも死に切れるものではない。
『神様、ありがとうございました。もう聞きたいことはないので転生させていいですよ』
「いやいや、お主の転生に関しては殆ど説明してないぞ!」
『記憶を持ったまま赤ん坊からやり直すだけじゃないんですか?』
「当り前じゃ!」
イサオキとエアが転生してしまった今、もはやモトキに未練と呼べるものは欠片も残っていなかったので、もはや第二の人生は魂を修復する過程でしかなく、どんな風に転生しようがどうでもよくなっていた。
「お主にはいくつか決めて貰わなければならないことがある。特に重要な選択は2つ――」
『イサオキと同じでいいです』
「じゃから聞け!」
モトキは何を決めるにしてもイサオキと同じなら間違いなく良い選択をしたと確信していた。
一見投げやりな選択だが、これは今までの経験則からなるもので理にはかなっているのだ。
バンがそれで納得するかとは別の話であるが。
「これはお主のこれからを決める大事な選択なのじゃ。だから自分でよく考えて決めなくてはいかん。イサオキもそう言っておったぞ」
『イサオキがそういうならちゃんと選びます。何を決めるんですか?』
「お主は本当に……いやもういい」
バンはいい加減疲れてきたので、言いたいことを飲み込んで話を進めることにした。
「特に重要な選択は2つ。転生先の世界と生き抜くための神の加護じゃ」