第4羽 白鵬
「やべぇ……!」
校舎の中庭にて。
アオバ・カイトは焦燥感に苛まれていた。
というのも、始業式を終えた後。新入生向けに配布されたプリントに書かれていた一文が、彼に大きな衝撃を与えたからである。
──本校の実習参加は、授業開始日までに登録した騎獣の同伴が前提となっています。
ここで、王立騎士学院における騎獣の立場について少し解説しよう。
騎獣。即ち鳥とは、本来野生動物である。それ故、彼らに行政や役職の概念などは無い。
なので、騎獣としてこの学校に入学するには簡単な面接だけで済まされる。加えて年齢制限なども無い為、思い立てばいつでも(募集期間であれば)面接試験を受ける事ができる。
更に言うならば、己の相棒たる人間、つまり騎手がいる場合は試験をパスできるのだ。
“ヒトことば”を話せて、知能も高い騎獣。“ヒトことば”を話せないが、知能の高い騎獣。“ヒトことば”を話せるが、知能の低い騎獣。“ヒトことば”を話せず、知能も低い騎獣。
人間よりもポテンシャルの振れ幅が大きい彼らだからこそ、入学は容易になっているという訳なのだが……
「うーん、流石にこの事態は想定しとらんかったわ……」
「カンニンナー! カンニンナー!」
「いや、お前らが悪い訳じゃねぇよ」
ケンとビリーの言葉を受けて、カイトがゆっくりと顔を上げる。
手に握っていたプリントにもう1度目を通す。長い間持っていた事に加えて、思わず握りしめてしまった事により、クシャクシャになったプリントには手汗が染み込んでいた。
しかし、そこに記された文字を読む事には何ら支障はなく、カイトは再びその文字の羅列を認識するに至ってしまう。
そこに書かれた今後の予定。授業開始日の日程。入学式から2日後の日付──即ち明日。
そしてその下に記載されているのは、騎獣登録(名前の通り、高等部でバディを組む騎獣の登録である)の申し込み期限。その日付は今日。正確には、今日の18時。そして今は12時。
これがどういう意味を持っているかといえば、いたって明快極まる1つの答え。
「6時間以内に相棒を見つけねぇと……」
「授業に出られへん、と」
そう、このアオバ・カイトという少年。未だに、己の相棒となる騎獣を見つけ出せずにいた。
「言うたかて、出れへんようなるんは実習とか実技だけで、座学とか普通の授業は出れるんやろ?」
「違ぇよ、そうじゃねぇのはお前だって分かってんだろ……」
「まぁ、せやけどな……」
当然ながら、座学の成績も評価されるべき項目である。幾ら優れた腕前を持つ騎手であろうとも、それらの成績が悪ければ落第は免れまい。
しかし、しかしだ。騎士たる者、最も重要視されるのは、騎獣と共に空を飛ぶ能力。つまり騎鳥術だ。
知識を疎かにしながら騎獣を駆る者と同様に、知識ばかりを蓄えて風に乗る事叶わない者もまた、騎士と呼ぶに値しない。
そして今回のこの状況。それ即ち。
「今日中に騎獣を見つけねぇと、今後1年間の実技成績はゼロ……」
「難儀な事やで、ホンマ」
「ナンギヤデー! ナンギヤデー!」
ビリーの鳴き声に、深い溜め息で返答するカイト。
これから1年間、実技を受ける事ができず、座学のみで過ごす。この学院において、それが絶大なディスアドバンテージである事は火を見るよりも明らかだ。
故に、始業式が終わってからというもの、カイト(と、見かねて助力しにきたケンとビリー)は学院中を回ってバディを組んでくれそうな騎獣を探していた。の、だが……
『悪いな少年、オイラにゃ先約がいるんでさぁ』とはオウム。
『すミマせン。殿方ハ少々苦手でスノ』とはハシビロコウ。
『キュイ。キュイ、キュキュ! キューイ!』『ウヌボレルナー! ワカゾーガー! コノワシノキシュニナルナドー! ヒャクネンハヤイワー!』とはウズラと、それを翻訳したビリー。
この2日間で他にも様々な騎獣と出会い、言葉を交わし、勧誘を試みてはいた。
しかし、そのどれもが。既に別の騎手とバディを組む約束を交わしていたり、何らの理由でカイトとバディを組みたがらないなど、カイトの勧誘を断り続けていた。
──要は、全滅である。
「堪忍な。こうも立て続けにお祈りの返事が続くとは思わんかってん」
「いんや、何度も言うけどお前のせいじゃねぇさ」
深く、深く溜め息をつくカイト。
やれやれと腰かけた中庭のベンチが、ギシリと音を立てる。
どうやら見てくれを誤魔化す余裕もないらしく、その顔にいつもの薄っぺらい笑みは無い。そればかりか、疲れ切った表情が色濃く表れていた。
「ほい、さっき購買で買ったやつやけど……」
「ん、貰うわ。サンキュ」
ケンから投げ渡されたパック牛乳を受け取り、慣れた様子でストローを差し込む。ストローに口をつけて吸い上げれば、口内へと牛乳が流し込まれ、乾いた喉を優しく潤していった。
ふぅ、と一息つくカイト。視界の端のケンがまた別の何かを投げてきたのを認識し、さっきと同じ要領でキャッチしてみせる。
行儀悪く歯だけでパックを持ち上げ、両手で持ち直した『それ』を見てみれば、いたって普通の魚肉ソーセージだった。
「今度は餌付けなんかええんちゃうか? なんてな」
「ハッ。お前が俺を、か?」
そう軽口を叩きつつ、魚肉ソーセージの包装を破ろうとした、その矢先。
「──アラァ? やーな匂いがするわネェ」
カイトとケンが、ほぼ同時に同じ方向へと首を動かす。声の主は簡単に見つける事ができた。なんたって、2人の目の前にいたのだから。
それは1羽のキジだった。真っ赤な顔に、緑色の腹部。灰色がかった翼。しかし、そのキジが普通のそれとは明らかに違う点が1つ。
ベンチの端を止まり木のようにして器用に掴まっていたそのキジの右翼。そこに一筋の白いラインが横断していた。恐らく、生まれつきその個所だけ色素が欠けていたのだろうか。
その特異なキジの姿を見て、ケンが思わず声を漏らしてしまいそうになる。
食べようとしていた魚肉ソーセージをポケットに突っ込むカイト。訝し気な表情を浮かべる彼を他所に、キジはまたもクチバシを開いた。
「アナタ、とても嫌な匂いがするワネ」
「……俺の事か?」
「他に誰がいるっていうノヨ! アナタからは不快なカンジがプンプンすルワ!」
剣幕に押されたカイトがやや身じろぐ。自分の着ているコートの裾を引っ張り、そこへ自分の鼻を押し付けて匂いの有無を確かめようとすると、キジが「違う違ウ」と左翼を振った。
「私の言い方が悪かっタワ。臭いじゃなくて雰囲気と言った方がいいワネ」
「はぁ? オーラ……だぁ?」
「ソ。不快っていうのもちょっと違うワネ。これは……畏れ多い、かシラ?」
「なんのこっちゃ」
見当もつかない抽象的な表現の前に、カイトが呆れ返ったように牛乳を吸い上げる。
ケンが困ったように頭を掻いている様を見て首を傾げていると、離れたところから中庭の芝生を踏む音がした。そこへ目を向けてみれば、学院の生徒らしき青年がこちらへ歩いてきているようだった。
「スザク。こんなところで何をしている」
「アラやだ、私は鳥ヨ? あちらこちらを気ままに飛び回るのが本能ではなクテ?」
「それ以前にお前は俺の騎獣だろう。そして、俺はお前の騎手だ。常に行動を共にしていなければならない」
パイロットキャップを被ったその青年は、「スザク」と呼ばれたキジの騎手であるようだ。
やっと引き取り手が来たか。そう安堵した様子のカイトに気付き、青年はその無愛想な表情でジロリと睨みつけた。
「……スザク」
「そウヨ。コイツがちょっと気になって見に来たノヨ」
「そうか。……おい、お前」
「あン?」
眉を顰めるカイト。ストローを噛む歯の強さが増す。青年の正体を知っているケンは「あちゃー」と額に手を当てているが、話に割り込もうとはしていない。
それらを大して気にした様子もなく、青年は再び口を開いた。
「昔……小さい頃でもいい。誰か、著名な騎獣に会った覚えはあるか?」
「なんだそりゃ。新手のナンパか?」
「…………」
場が凍り付く。そろりそろりとこの場からの離脱を試みるケンとビリーの姿が視界に映る。顔を上げてみれば、ただでさえ無愛想な顔を更に険しくした青年のシルエット。
頭をポリポリと掻き、カイトはストローから口を離した。パックをベンチの端に置き、「んー」と思考を巡らせる。
「著名かどうか、っていうかそもそも名前も知らねぇが。爺さんフクロウには会った事あるぜ」
「……それは、いつだ。何を話した?」
「10年前の事さ。で、話した内容だが……」
ズイ、と顔を上げる。強面な青年の目を、確かにじっと見据える。青年が被るパイロットキャップの隅で何やらバッジが輝いていたが、カイトは気にしなかった。
「悪いが言わねぇ。あのやり取りは俺とあの爺さんだけのモンだ」
ピクリ。青年の眉が動いたのをカイトは見逃さなかった。しかし、カイトもそれを譲る気は無かった。
暫しの沈黙が辺りを支配する。そこへ口を挟んだのはキジのスザクだ。
「ちょっとちょっと、何の事かサッパリ分かんないけドサ。コイツが口から出まかせ言ってるだけじゃなイノ?」
「自己弁護させてもらうが、それはねぇよ」
人差し指を立て、ビシッとスザクへと突き付ける。そのカイトの目には、確かな力が宿っていた。同時に、青年もまた、カイトの目の奥をしっかりと見定めていた。
「俺は、騎獣に関することで嘘はつかねぇ主義だからな」
僅かに、僅かにではあるが。その言葉を聞いた青年の顔が綻ぶ。しかし、それを認識できた者はこの場には1人としていなかった。
事実、スザクはカイトの言葉を鼻で笑うような仕草を取った。
「どうダカ。口ではなんとでも……」
「いや、分かった」
「ハァ!? ちょっと、それでいイノ!?」
スザクの言葉を聞き流しながら、青年は踵を返して立ち去ろうとする。
なんだったんだと頭を掻くカイト。そこで、青年が不意に足を止めた。
「2つ、忠告しておこう」
「ん?」
「1つ。俺の帽子につけているバッジは高等部の3年生に与えられるものだ。俺は然程気にはしないが、他の3年と話す時は気を付ける事だ」
「へいへい。んで……」
「2つ」
くるり、とカイトの方へと向き直る。青年とカイトの目が合った。
青年の目の奥。そこに、揺れ動く炎を見たようにカイトは錯覚した。
「この学院でお前とバディを組める騎獣はいないだろう」
「──はぁっ!?」
「以上だ。早く学院を去る事をお勧めしよう」
それだけを言い捨て、青年は足早に去っていった。
「まっタク……。ああ、アンタ。ウチの騎手はああ見えてアンタを気遣ってるんだかラネ。言う通りにした方がいいと思うワヨ」
スザクはひとしきりそう言うと、翼をはためかせて青年を追って飛び去って行った。
後に残されたのは、呆然とした様子でベンチに座るカイト……と、そこへ歩み寄ってきたケンとビリーのみ。
「あー……噂通りのおっかなさやなぁ、“白鵬”先輩」
「オッカナイー! オッカナイー!」
「……白鵬?」
「あの先輩の事や。この学院でもとびっきりの騎鳥術の腕を持つ生徒らしいで。何でも、年度末に行われるレースに2連続で優勝したとか……」
頬を掻いてそう解説するケン。横目でカイトの姿を見てみれば、俯いている故に表情を読み取れないものの、見るからに消沈しているようだった。次に何を言うべきか。それに悩み、ケンは「ああ」や「えーっと」と声を漏らす事しかできなくなる。
と、そこで。
「……ック。クク、ク……」
俯いたカイトから何やら声が漏れ出している事に気付く。何を言い出すか、それを待ち受けたケンは。
「クハーーーッハッハッハッハッハ! いいぜ、面白くなってきやがった!」
突然飛び上がり、笑い声と共にそう叫んだカイトに対して、唖然としたリアクションしか返す事ができなかった。
遂に壊れたか。そう言おうとしたケンの言葉を塞ぐように、カイトは立て続けに叫ぶ。
「この程度の逆境がナンボのもんだ! 決めたぞ、俺は今日中に必ずバディを見つけ出して──」
人差し指を、先ほどスザクに向けて指したよりも勢いよく、より真っ直ぐに。空高く突き立てた。
「白鵬センパイにレースで勝ってやらぁ!!」
ムフー、と鼻息荒く。そう叫んだカイトに対して、ケンは今度こそきちんとリアクションを返す事ができた。
「で、どうするん? もう後5時間くらいしかあれへんけど」
「そりゃあ、また勧誘を再開すればいいだけの話だ」
「けど、白鵬先輩も言うとったやん。何でかは知らへんけど、この学院でバディを見つける事はでけへんって……」
「ンなもん、あの先輩が言ってる事だろうが。俺の理論は違ぇんだよ」
深い、それはもう深い溜め息。それは勿論、ケンのものだ。カイトがケンへと視線を向ければ、彼の肩に留まっているビリーさえもが、呆れたような仕草をこれでもかと見せていた。
チッチッ、と舌を鳴らしながら、カイトは彼らへと反論を試みようとする。
「分かってねぇなぁ。こういうのはな──?」
動きが止まる。ゴーグルを装着し、周囲を見回し、更に遠い場所を見据える。
突然の行動に、ケンもまた訝しむように声をかけた。
「どないしたんや? 急に周り見出して……」
「なーんか、“ヤ”な感じの空気がしやがるなぁ」
「なんやそれ。その手の“病気”は去年の内に卒業しときや?」
「や、そんなんじゃなくて──多分、あっちだっ!」
ケンの事なぞ気にした振りもせずに、全力で走り出すカイト。ワンテンポ遅れたが故に追いかけ損なったケンは、カイトが物凄い勢いで小さくなっていくのを見ているのみ。
やがて中庭に静寂が戻った事を実感し、ケンは、カイトのものと合わせればこの1時間で何回目になるかも分からない溜め息をついた。
「大丈夫やろか……」
「アホー! アホー! バカニツケルクスリはナイー!」
「自分も辛辣やなぁ、ビリー。ていうか、それどこで覚えてきたんや?」