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ハイスピード・オウルナイツ  作者: 小村・衣須
STAGE1 ナイスミート・バディオウル
2/8

第1羽 はじまり

 アオバ・カイトはいわゆる不良である。


「アオバァーッ! またお前かっ!」

「やべぇ、先公だ!」


 慌ただしく走る2種類の足音が、廊下の端から端までに木霊する。

 怒りの形相である生徒を追いかけているのは、生活指導部の教師だ。ジャージを身に纏い、首から下げたホイッスルを吹き鳴らしながら、標的たる生徒を捕まえるべく後を追う。


「C組のカトウの“騎獣”にギンジョー(グサ)を食わせたのはお前だなアオバ!」

「ヘッ、餌に混ぜてあっても特有の刺激臭が消える訳じゃねぇよ」


 対して、教師に背を向けて逃走している男子生徒。中学の制服の上からボロボロの黒いコートを羽織り、頭に引っ掛けたゴーグルの隙間からは青色の髪が覗く。

 ヘラヘラとした笑みを浮かべるその少年こそ、アオバ・カイトだ。


「それを食っちまったたぁ、あのカラスも随分鼻が利かねぇんだな」

「自白したなこのクソガキ! 今度こそは指導だ!」

「ケッ、やってみろよ先公」


 そう言い終わるや否や、カイトは半開きになっている廊下の窓に手をかける。それを開け放つ勢いで教室側の壁を蹴り、窓から外へと踊り出る。

 さて、補足であるがカイトは現在中学3年生。教師と追いかけっこをしていたのは3年生の教室がある4階である。


「なっ、馬鹿、アオバァ!?」

「騒ぐんじゃねぇよ」


 顔を驚愕一色に染め上げた教師を一瞥もしない。自ら空中へ身を投げ出したカイトは、いたって冷静に頭のゴーグルを装着した。


「自由落下だ」


 物理学に詳しい者がいれば「それは違う」と即座にツッコミが入るだろう。だが、空中にそんな存在はいない。

 カイトは3階の窓の下、レール部分に軽く手を引っ掛けた。しかしそれも一瞬の内。勢いを少しだけ殺した状態で、壁を蹴り飛ばし離脱する。

 軌道の先にあるのは倉庫だ。カイトは身体を捻りつつ軌道を修正し、ものの見事に倉庫の屋根へ着地してみせた。


 ドスン、という大きな音に、廊下を歩いていた生徒たちは一斉に窓の外へと視線を投げかける。

 その先では、ゴーグルを上げたカイトが自信満々の笑みと共にピースサインをしていた。


「前も言ったよな先公」


 見上げた先、4階の窓からカイトを見つめる教師と生徒たち、そして彼らの“騎獣”。まさか、彼は倉庫の屋根へと着地することを計算に入れて廊下を走り、あの窓から飛び降りたとでも言うのだろうか?

 彼らへ向けて、カイトは自分の額を数回。トントン、とつついてみせた。


「人間の強みってのは、(ココ)の回転の疾さなのさ」


 そのニヒルな笑みに対する教師の返答は、顔を真っ赤にした上での怒声だった。


「毎回赤点ギリギリのお前がそれを言うかアオバァーッ!」

「ヘヘッ、んじゃ午後の授業サボッから。アディオス!」


 軽やかに屋根から飛び降りて、難なく着地。そうして校庭へと走り出す。



────────────



 体育館の裏、無造作に置かれた跳び箱の上。無作法に座る少年、それは紛れもなくカイトだ。

 彼はパックの牛乳をストローで吸い上げつつ、ダラダラと空を見上げていた。

 晴れ渡った空にチャイムが響き渡る。カイトが逃げてから3回目。6時間目の授業が終わった訳である。


「あー……いい天気だ」


 無意識にパックを握る力が強くなる。ストローを介して牛乳を吸い上げる勢いが強くなったことも相まって、ベコッと音を立てつつへこんだ。

 しかし、カイトはそんなことを気にしてはいなかった。彼が意識を向けているのは、眼中に広がる青空のみ。


 カイトは、空を見上げることが好きだった。顔を上げれば、いつだってそこにある景色。

 日差しがゴーグルに反射して煌めき、白い雲はプカプカと我が物顔で浮遊する。


 そして、何よりも。


「……んおっ」


 ストローから口を離す。ゴーグルを装着し、空を飛行する“それ”の姿をより正確に視認しようと試みる。


 果たして、それは成功した。

 カイトの視界に映るのは、青空の中を飛行する1羽の鳥。


 そして──その鳥に繋がれた手綱を握る1人の人間。


 人間はサーフボードめいた板の上でバランスを取り、飛行する鳥の揺れにも難なく対応しているように見えた。

 鳥が大きく旋回すれば、人間は手綱を器用に扱ってバランスを保ちつつ、滑空するボードを傾けて対応する。


「おおー……」


 カイトはその光景をじっと見ていた。ゴーグルから見えるその目は、太陽光の反射などではなく確かに輝いている。


 いつからだろうか。もしくは、この世界が誕生した時から。

 鳥は、人間の友だった。

 “魔の力”を持つ鳥は人間の翼として、彼らに空を飛ぶ喜びを与えた。

 “知の恵”を持つ人間は鳥の脳として、彼らに上手く飛ぶ術を教えた。


 いつからだろうか。

 人間の助力で空を往く鳥は“騎獣”と、彼らの助力で空を往く人間は“騎手”と呼ばれるようになった。

 そして、己が相棒と一心同体となり空を往く彼らは“騎士”と呼ばれるようになった。


 空を駆り、勇ましき敵国の兵を打ち倒す。或いは空を駆り、誇り高き好敵手と雌雄を決する。或いは空を駆り、如何に速く空を飛べるかを競い合う。

 騎士とは即ち人々の憧れであり、地位ある騎士は国の象徴ともなった。


 無論、カイトにとっても騎手として、命を預けるに足る騎獣と共に騎士道を往くことは大いなる憧れであった。幼い頃は、それを目指してもいた。


「……空を飛ぶって、どんな感じなんだろうな」


 カイトの脳裏に、在りし日のやり取りが蘇る。

 騎士を育成する学校もあるにはある。今や騎士は、小さいながらも権威ある役職だ。昨今はスポーツ選手としてのイメージが強いが、形だけとはいえ一応軍人の側面も持っている。

 誇りと気品を持つ騎士を育成することは国にとっても重要な事柄であり、入学を志す者も決して少なくはない。


 しかし。


「ま、落ちちまったもんは仕方ない、と」


 思い出したくもない「不合格」の3文字。小等部の入学試験に見事に落ち、気が付けば小中一貫のこの学校で不良まがいの生活。

 再びストローを咥える。自然と漏れた溜め息が、ストローを介してパックの中へと流れ込む。


 そんな時だ。


「……あの」


 カイトの耳に、女性の声が飛び込んできたのは。


「んー?」


 視線を地上へ戻し、声のした方を向く。そこには、小さなインコを抱きかかえた女子生徒の姿があった。

 カイトと彼女は面識が無い。しかし、お互いにその存在は知っていた。

 カイトはある意味学校の有名人である。しかし、その女子生徒は違う。しかし、カイトはそんなどこにでもいる女子生徒の姿に見覚えがあった。


「あの、さっきはありがとうございました」

「んー、なんのこっちゃ」

「さっき、カトウ君と彼のマークにいじめられてたピヨ助を助けてくれたの、貴方ですよね?」

「へー。あのカラス、マークってのか」


 カイトはちらりと、女子生徒が抱きかかえるインコ──彼女の言う「ピヨ助」を一瞥する。

 その目にはウルウルと涙が満ちていた。よほど怖い思いをしたのだろう。


「俺ァただ、前っからあのいけ好かねぇカラス野郎が気に入らなかっただけだ」


 勢いよく息を吸う。それに呼応し、パックの中から大量の牛乳が吸い上げられてはストローから口内へ注がれる。その際に生じる音が周囲によく響いた。


「後は、ギンジョー草の匂いに気付かなかったあいつがマヌケだった程度の話さ。酔っ払ったあの野郎の踊りは中々見ものだったぜ」

「でも……」

「分かったらとっとと帰んな。俺みてーな不良と一緒にいると、内申に響いちゃうぞー?」


 何か言いたげな女子生徒。そこから視線を外し、再び空を仰ぐ。

 それが、カイトなりの気遣いであることには、面識の少ない女子生徒にもおぼろげに理解できた。


「……ピヨッ!」


 突然、女子生徒の腕に抱かれていたインコがもがき、彼女の腕を離れて飛び立った。

 女子生徒が伸ばした手をすり抜け、カイトを目指して真っ直ぐ羽ばたき、おもむろに彼が座る跳び箱へと着地。インコを見下ろすカイトと、カイトを見上げるインコの視線が交差する。


「……アリ、ガト!」


 “ヒトことば”を理解する力がまだ未成熟なのだろう。たどたどしいものであったが、それは確かに感謝の言葉であり、カイトの心に届くものであった。

 カイトの手がインコへと伸びる。いじめられる、とは思ってないものの、女子生徒の顔が僅かに強張る。


 自らの予想が外れていたと彼女が認識するのは、その直後だ。


「よーしよし。礼が言えるたぁ、良いコじゃねぇの」


 人差し指の先端で、インコの頭を優しく撫でる。最初は怖がっていたインコも、次第に目を細めてカイトの動きに身を委ねた。

 クルル、と小さくか弱い騎獣の喉から声が漏れる。リラックスしているのだ。


「あの真っ黒野郎にいじめられて怖かっただろう。あいつは今頃、文字通りの千鳥足さね」

「アナタ、ガ、タスケテ、クレタ」

「助けたってほどでもねぇけどよ。チビがいじめられてんのは、昔からどうもな」

「……ピヨ助には素直なんですね」


 面識など無いに等しい目の前の男子生徒に対して、自分でも分からない妙な感情を抱きつつ放った一言。ともすれば嫌味にも聞こえることに気付き、女子生徒は慌てて謝ろうとする。


「まーな。俺は、騎獣に関することで嘘はつかねぇ主義なのさ」


 対するカイトは、変わらずヘラッとした笑みを浮かべたままだ。まるで、それを嫌味と受け取っていないように。

 そうして、カイトは再びインコへと目線を戻す。その時、女子生徒は気付いた。


「どっか痛まねぇか? あの野郎、軽くとはいえ時々クチバシでつついてきやがるからな」

「ダイジョブ、ソノマエ、ニ、ニゲタ、カラ」

「そいつぁ良かった。羽毛の汚れが勲章になるかどうかは、騎獣によるからな」


 カイトのヘラヘラとした笑い、それが自分に対してのみ向けられていることに。

 彼が女子生徒の騎獣と話している時。それまでの軽薄な笑みは鳴りを潜め、まるで家族と会話している時のような柔らかい笑みを浮かべているではないか。

 人間不信、とかそういう訳ではないのだろう。恐らく、もっと単純な理由。


「……騎獣、好きなんですか?」

「んお?」


 いつの間にか膝の上に乗っているインコを愛でながら、カイトが顔を上げる。

 その顔に映っていたのは、この学校の生徒がよく知る薄っぺらい笑みなどではなく、年相応の少年らしい笑みだった。


「もちろん好きさ。じゃなきゃ、騎士学院の入学試験になんざ挑まねぇよ」


 俺は、騎獣に関することで嘘はつかねぇ主義なのさ。

 先の言葉を反芻する。


「尤も、試験に落ちちまったんだけどな。やっぱ俺じゃダメ……」

「なら」


 少し目を閉じ、やがて何かを決心したようにカイトへと歩み寄る女子生徒。訝し気な表情を浮かべる少年の前へ立ち、彼にある紙を見せる。

 眼前に突き出されたそれに記された文章を、面倒くさそうに読むカイト。しかしそんな彼の態度も、その内容を理解した瞬間に吹き飛んだ。


──王立騎士学院 高等部入学者募集のお知らせ


「その学園に通っているお兄様からもらったんです。来年度から、高等部への編入制度を設けるそうで……」


 そう語る女子生徒の声は、カイトの耳に微塵も響いてはいなかった。彼はただ、ひったくるように手に取ったその書類を食い入るように読むだけの機械と化す。

 その形相に驚き、インコがカイトの膝を離れて女子生徒の肩の上へと帰ってくる。

 段々と紙にしわが寄り、湿り始めた。それほど紙を握るカイトの手に力がこもり、手汗が溢れているのだ。


 パック牛乳も、口から離れて地面に落ちている。ストローから微かに牛乳が零れているが、そんなことを気にする暇はカイトには無かった。

 何度も、何度も何度もその学校名を読み返した。間違いない、間違える筈もない。

 王立騎士学院。それはまさしく、かつてのカイトが挑み、入学という門を開くこと叶わなかった壁。


 その壁に、もう一度挑むことができるとしたら?


「……ありがとな」

「えっ……?」

「ちょっと行ってくらぁ!」


 座っていた跳び箱から跳ね上がるように駆け出し、一目散に走り去っていくカイト。

 呆然とする女子生徒とインコが彼の行く先を目で追ってみれば、それは放課後の校舎であった。



────────────



「……なんだ、アオバか。授業はもう終わって……」

「先公」


 カイトが机の上に投げるように置いたのは、握力と手汗でぐしゃぐしゃになった1枚の紙だ。

 ジロリ、と教師がその紙を睨み、やがてその内容に気付いてカイトを見た。


「ここに行きたい。勉強教えてくれ」

「お前……どういう風の吹き回しだ? 不良呼ばわりを気にも留めないお前が、どうして今になって……」

「俺は」


 じっと、教師を見据える。日頃からカイトのことを見続けていた教師だからこそ、“その事実”にいち早く気付いた。

 その目は、いつものようなヘラヘラとしたものではなく。


「騎獣に関することで、嘘をつきたくない」


 確かな決意に満ちたものだった。

 思えば、彼のこのような表情を見たのはこれが初めてであると教師は考える。


 腕を組み、ゆっくり思考する。やがて彼と同じようにカイトを見据え、重々しく口を開いた。


「今は5月。今のお前の成績で、ここに入学するのは至難だ」

「…………」

「夏休みは覚悟しておけ。地獄のような勉強量がお前を待っているぞ」


 カイトの驚いた表情を見たのもこれが初めてな気がする。目を見開く彼の姿を見て、教師は微かに笑った。

 今まで、目の前の不良生徒がこのような物言いをしたことは1度も無かった筈だ。


 さて、どういう予定を組んでやろうか。そう教師が思考を巡らせている後ろで。

 カイトは、不意に幼い時のことを思い出していた。窓から差し込む夕日が、どこか遠くを見るカイトの全身を赤く照らす。


『ならば、君もいつか経験するだろう』


 記憶の中の自分が、声の主へと視線を向ける。その時の彼が空を見上げていたが故に、それまで影になって上手く視認できなかった声の主の姿が、徐々に明らかになっていく。


『風の音、太陽の暖かさ、景色すら置き去りにするスピード……』


 ああ、そうだ。どうして今まで忘れていたのか。カイトは自らの記憶力の悪さに苛立った。


『何よりも、己の命を預けるに足る相棒への信頼』


 何が「思い出せない」だ。時間をかけて記憶を掘り返せば、しっかり覚えているではないか。

 忘れていたのは、そうだ。その時のカイトにとって、“それ”があり得ざるものだった故だ。


『……ああ、そうだ。すっかり言うのを忘れてしまっていたよ』


 何かを思い出したように、幼いカイトの方を向く声の主。


『ありがとう、私の子供を助けてくれて。大空を飛ばんと夢見る幼子たちは、等しく我ら先達の(こども)故にな』


 あの姿はまさしく、優し気な表情を浮かべる1羽のフクロウだった。

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