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ハイスピード・オウルナイツ  作者: 小村・衣須
プロローグ
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プロローグ

大元の企画主であるできない食堂 ◆jiPnTb1M/w様、本作品のタイトルを考案なされたID:JvCsGCYS様。

そして共に世界観を構築してくださった皆様に、最大限の感謝を。

「どうして、そんなに泣いているのだね?」


 優しい声だった。

 その声の主が誰であったのか。なにぶん10年ほど前のことだ。少年が思い出そうとしてみても、脳裏に蘇るのは視界いっぱいの涙でぼやけた何者かのシルエットのみ。

 しかし、少年がその声を忘れることは生涯あり得ないだろう。


「よかったら、このじじいに話してみてはくれんかのう」


 それは、まるで孫をあやす祖父のような声だった。

 べそべそと泣きじゃくっていた少年は、その声にゆっくりと顔を上げた。その拍子に零れ落ちた大粒の涙が、足元に広がる草原を微かに濡らす。

 えぐ、えぐ、と嗚咽を漏らす少年。5歳にも満たない子供がすぐに平静さを取り戻せる訳もなく、支離滅裂な言葉以下の音が口から発せられるのみ。


 それを見かねたのだろうか。涙の向こうで声の主が動いたと思えば、少年の頭をふわりと不思議な感触が包む。柔らかく、慈しむようなぬくもり。数十秒ほど経って、少年は自分が撫でられていることをようやく認識した。


 その優しい手触りに安心感を覚えたのだろう。少年の泣き声は段々と小さいものとなっていき、口の周りを汚す鼻水をすする余裕も戻ってきた。

 少年は、一言一言、思い出すように声を紡ぎ始める。


「あの、ね。ともだち、とね、けんか、したの……」

「…………」

「よわいものいじめはだめだって、そういったら、ぶたれたの……」


 泣き声の混じったたどたどしい言葉に、声の主は口を挟むことなく耳を傾ける。


「あいつが、ちっちゃいとりさんを、いじめてたの。だからね、その、ね」

「それを止めようと、そうしたんじゃな」


 コクリ、と少年の首が小さく縦に動く。それが肯定の意であることは、誰の目から見ても明らかだ。


「それでね、とりさんも、どっかにいっちゃったの……」

「そうか、そうか」


 不意に、少年の頭を撫でていた動きが止まる。その直後、ポンと頭に触れる感覚ひとつ。

 叩かれた訳ではない。むしろ、今まで撫でていたのと同じく少年を励ます為のものだ。

 その感覚に、自然と少年は顔を上げる。次に耳へ飛び込んできたのは、先ほどまでと同じ優しい声色。


「空を見てごらん」


 その声に導かれて首を動かし、目線を上へと向ける。


──青だ。


 雲ひとつとして存在しない広大な青空が、少年の視界を埋め尽くす。それは涙でぼやけた中であっても鮮明に、確実に少年の眼球に焼き付くものだった。

 先ほどまでの泣き声はどこへやら。少年は声を発することはおろか、涙を零すことさえも忘れてその光景に見入っていた。


「どうだね」


 そんな状況にも関わらず、その老いた声は少年の耳にしかと届き、一語一句を認識させた。


「私は、この草原から見上げる青空が何よりも好きなのだよ」


 視覚を独占する青色と、聴覚を独占する優しい声。たった今、少年の世界に存在するのはそのふたつだけ。


「この空を見るとね、嫌なことなんかどこかへ消え去ってしまうようだろう?」


 事実だ。

 その瞬間、少年は友達と喧嘩していたことさえ忘れ去っていた。残っているのは、顔を濡らしていた涙の跡のみ。

 への字に曲がっていた口角が、自然と吊り上がっていく。少年はそのことを自覚してはいない。目を見開き、眼前の景色をより正確に刻むことだけが脳裏を埋め尽くしていた。


「なぁ、坊や。この空を飛びたいかね」


 その言葉に、少年はそれまで行っていた行為を中断して声の主を見る。今になってその時の記憶を掘り返してみても、声の主がうずくまる少年を見下げていた為、逆光で正確な装いは思い出せない。


「この、そらを……?」

「そうとも。己が信ずる相棒を駆り、あの広い、広い空へと飛び立つのさ」


 当時の少年はまだ幼く、“そのこと”についての知識を持ち合わせていなかった。それ故に、声の主が語ったことは少年に大きな衝撃をもたらした。


 相棒(その時は何のことか分からなかった)と力を合わせて、あの空を飛ぶ? あの空を。あの、どこまでも広く、どこまでも青い大空を。

 その光景を思い描くだけで、少年の胸はまるで火種でも投げ入れたかのように熱くなった。

 これが錯覚でも構わない。少年は、強く確信した。


「ぼくは……」


 それは、鼻声混じりの弱音ではない。幼いながらも少年が確かに抱いた決意だった。


「あのそらを、とびたい」

「……そうか」


 声の主が発した言葉の中でも、最も慈愛に満ちた一言だった。少年は、この時のやり取りを思い出す度にそう考える。


「ならば、君もいつか経験するだろう」


 無意識に、声の主へと視線を向ける。先の言葉に違わず、彼は空を見上げていた。だからだろう、今まで影になって上手く視認できなかった声の主の姿が、徐々に明らかになっていく。


「風の音、太陽の暖かさ、景色すら置き去りにするスピード……」


 ああ、そうだ。どうして今まで忘れていたのか。成長した少年は自らの記憶力の悪さに苛立った。


「何よりも、己の命を預けるに足る相棒への信頼」


 何が「思い出せない」だ。時間をかけて記憶を掘り返せば、しっかり覚えているではないか。

 忘れていたのは、そうだ。その時の自分にとって、“それ”があり得ざるものだった故だ。


「……ああ、そうだ。すっかり言うのを忘れてしまっていたよ」


 何かを思い出したように、少年の方を向く声の主。


「────」


 あの姿は、まさしく──

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