古都の景色に
これは京都の東本願寺に足を運んだ時の、実際にあったエピソードをまとめました。
登場する彼女に見立ててもらったジャケットは、今も着ることがあります。
今では似合っているのかどうかもわかりません。
彼女は今はどこにいるのでしょうか?
こちらはhttp://dragonhouse.lar.jp/ryoankishida/Top.htmlにも掲載しています
「似合ってますよ」
服装でも、やっていることでも、それが自分に合っているのか、いないのかがわかる人間なんてそうそういない。僕もその一人だ。
自分をわかる、ことほど難しい事はないと思う。わからないからあれを選び、これを選びして自分に似合うものを探していくのだろう。男だったらヒゲを剃ったか剃らないかということで印象が変わってしまう。女の人で言えば眉の形を変えるとか。
「似合っていますよ」
服を売っている店の人間があからさまに「似合っていませんね」とは言わないだろう。「こちらのほうが良いですよ」とか、「今の流行りは」とか、そういう言い方をするに決まっている。
だから、彼女が僕に言った「似合ってますよ」を聞いた時にも、どうせその程度、店員の言う「似合って増すよ」のことくらいだろうと僕は思っていた。
でも、
彼女が選んでくれたジャケットに袖を通して鏡の前に立つと、それが社交辞令ではないように思えた。
彼女が見立ててくれたジャケットは、僕にぴったりだった。袖の長さといいオーダーしたものに思えた。彼女が僕のサイズを聞いて、作ってもらったモノとしか思えなかった。
そう、そのジャケットは、
「似合ってますよ」だった。
彼女が選んでくれたジャケットは。
僕が思っているだけで、実は似合ってもいないかもしれない。
彼女が見立ててくれたジャケットを着て、彼女と歩く。
京都を歩く。
有頂天になっている僕は彼女と歩く。他人が見てもおかしいと思うくらいに舞い上がっている僕は、彼女と歩いている。わずか二千円ばかりの思い切り値下げされている紺のジャケットを着て、喜んで彼女と歩いている僕の姿を簡単に飲み込んでしまうほど、京都の町は寛容だ。
ビジネスマン、カップル、旅行者、違う国の人々、すべてを包み込む町。
僕と彼女、Gジャンとジャケット姿のちぐはぐな二人が歩いていても何も言わない。
この東本願寺もそうだ。
このお寺、宗派とか歴史とか僕たちは何も知らない。仏教だということは何となくわかる。それが浄土宗なのか法華宗なのか何もわからない。佇まいから察するに仏教だとしかわからない。
その地を彼女と歩く。
「ちょっと寄ってみるか」
きっかけはそんな感じだった。
お腹が減っている感じでもないし、お茶というのも違う、ちょっとしたヒマつぶしが出きれば。そんな理由で立ち寄っただけだった。
「何かあるのかな?」
予備知識もない僕たちは、良く分からないままに靴を脱いで東本願寺にお邪魔した。
畳の匂いが充満している、お堂のような広間
奥の方に金ぴかの台座やらなにやらが見える。でも、これといった仏像が見えない。
京都のお寺さんといえば、教科書なんかに載っているような国宝級の仏像があって、というものだろうと思っていたけど、どうやらこのお寺はそうではないらしい。
何もない。見た目には、
ただ、だだっ広い境内があってだだっ広い畳の部屋があるだけ。
「お祈りしていこうか」
小声で彼女に言う。彼女は小さくうなずく。静かな笑顔で。こういう場所はどうしてか小声になってしまう。
僕たちは膝をそろえて手を合わせて静かに目を閉じた。
お祈り。
こんな時、自分の願い事よりも、隣の彼女のことを考えてしまう。彼女は何を祈っているのだろう。そんなことはわかるはずもないのだけれど。
「んじゃ、行こうか」小声で会話する僕たち。
靴を履こうとする僕たちを呼び止める人がいた。
スーツ姿にお寺の紋様が入った前掛けのようなものを首からぶら下げている男と、業務用ビデオカメラを持った男。
Gジャンとジャケットの組み合わせの僕たちが、広いお堂で手を合わせるというのもちぐはぐだが、この二人も僕たちに負けず劣らずちぐはぐだ。
「お二人にちょっとお願いがあるのですが」
営業マン風のスーツの男が言うにはこうだった。男は東本願寺の職員で、会員(信者か?)の集まりの時に見せるビデオを作っているという話で、手を合わせている様子を撮影させてほしいという事だった。
「二人ともお若いのに、仏前に手を合わせる姿がとても映えておりましたので」
スーツのお寺の職員は丁寧な口調で言った。
「とても映えておりました」とは似合っている事なのだろうか?
僕たちは顔を見合わせた。実を言うと僕たちは撮る側の仕事をしているので、基本的に撮られる時は「同業者」ということで遠慮してもらっているのだが。
会員向けビデオで放送には流れないということだったし、よく考えれば滅多にない機会だから、僕たちは承諾した。
「たまには撮られるのもいいんじゃないですか」彼女ははにかんだ。そう、はにかんでいた。
もう一度、膝をそろえて手を合わせる。
視線の端でカメラマンがファインダーを見ているのが見えた。
カメラマンの目に、僕たちはどんなふうに見えたのだろうか?スーツ姿のお寺の職員に僕たちはどう見えたのだろうか?
僕と彼女は?お似合いなんだろうか?
答えがわからないまま、僕は今日も彼女が見立ててくれたジャケットを着て町を歩く。
京都ではなく東京を。
僕の隣に彼女はいない。
でも、僕は今日も彼女が選んでくれたジャケットを着て。僕はこのジャケットをすり切れてボロボロになるまで着ると思う。ボロボロになっても捨てずに、捨てられずにいると思う。
彼女が選んでくれたジャケットを着て僕は思う。
今度、いつ彼女に会えるのかな。
もし、会えたら彼女はまた言ってくれるだろうか。
「似合ってますよ」と。
読了ありがとうございました。