8.憂鬱な月曜日
私は朝から憂鬱だった。
一学期の中間テストが終わり、今日結果が発表される。
上位五名までが掲示板に張り出されるのだ。
ゲーム上では、このテストでカノンちゃんが学年二位になり、特例中の特例で、学期途中でもありながら、普通クラスから特別クラスへ編入することになっている。
そう、その通りでいけば、私は初めて女子の中で成績二位となってしまうのだ。
わかっていたから勉強した、勉強したし勉強した。そらもう、前世のどこでもいいからどっかに入りたいなんていう受験を遥かに凌駕するほどの集中力で勉強した。
でも。
自信はない。私はいわゆる凡人で、天才には程遠い。
どうしたって、魔法の力は及ばないし、頭だって良い訳じゃないのだから。
足取り重く掲示板の前に行く。
ザワつきがいつもより激しい。
振り返った学友たちが、私を見て道を空ける。同情的な顔、好奇心が隠しきれない顔……。
掲示板を見れば、やっぱりゲームの通りで少し落胆した。
あんなに頑張ったんだけどなぁ……。
どうせ、そうなると決まっているなら諦めたら良かったのかもしれない。
それでも諦め切れなかったのだ。
ここで頑張れば、もう少しジークの側にいられるのでは、そう思った。
白い紙に黒々と書き出された文字。
一位は当然のごとくジークだ。そしてカノンちゃん、ラルゴと続き、私は五位。張り出された中の最下位だ。
私は知っていてもこのショックなのに、ラルゴのショックはいかほどだろう。
「……アリア様」
学友の一人が戸惑いがちに声を掛ける。
今は面倒だ、答えたくなんかない。
だけど私はにっこり笑う。
「なにかしら?」
「今回は……」
言葉の前にさえぎる。同情を受けてはいけない。そう教えられている。気高くなくてはいけない。
それに、私が対応を誤ったら、カノンちゃんの立場も危うくなる。
「私、とても勉強したつもりでしたが及びませんでしたわ。残念です」
そういえば慌てたように慰めてくれる。
「こんなこともありましてよ」
「ええ。きっと皆様努力されたのでしょうね」
余裕を見せて微笑んで、その場を後にした。野次馬の視線が背中に刺さって痛かったけれど、背筋を伸ばしてそれを受けた。
クラスに戻って、私は自分の席についた。
最前列の中央は、男女の首席が並んで座ることになっている。
きっと、ここに座るのも最後だろう。明日にでも、カノンちゃんはこのクラスに来るのだろうから。
そう思えば、これから先、もう二度と私はジークの隣に並べなくなってしまったんだな、と気がついてしまった。
私は静々とそこへ腰かける。
周りの視線が痛い。
でも、俯いてはいけない。
キッと顔を上げて座っていると、ラルゴが私の机の横を通り、掌に隠れるほどの紙包みを、机の上にそっと置いた。
そして、私に目配せし、唇に人差し指を当てて笑う。
秘密の暗号だ。
私はそれを誰にも見られないように、手のひらに握りこんでラルゴにほほ笑みを返した。
昔からの習慣。
ラルゴは気まぐれに、周りに隠れてこの紙包みをくれる。
紙包みの中には、小さなラムネが一粒入っている。小さいから、淑女でも隠れて口にできるのだ。
紙にはラルゴが手書きで番号を書いてくれている。
この番号は、この国の貴族ならば暗唱出来て当たり前と言われている短い歌にふられている番号だ。それは『みじかうた』と呼ばれる古典で、番号を見れば、言葉が浮かぶ。古の遊び。
私がこの歌集の暗記に苦戦していた時に、ラルゴがしてくれた遊びだ。
ラルゴが勉強用とは別に歌集を私にプレゼントしてくれて、言ったのだ。
「お菓子の包み紙に『みじかうた』の番号を書いてプレゼントするよ。だから、それをこの歌集から探して線を引いてね。そして、紙に書いてある歌を覚えたら、お菓子を食べて良いよ。こうしたら覚えられそうでしょ?」
そう言って、初めの頃は会うたびにいろいろなお菓子を包んでくれていたのだ。
私が歌集を覚えきった後は、ラルゴが気まぐれにその包みをくれた。理由があるのかないのかは私には皆目見当がつかなかったのだけれど、もらえることはそれだけでうれしかった。
でも、今日、気が付いた。こうやって落ち込んでいるときに、ラルゴはお菓子をくれていたのだ。
ラルゴは昔から何時だって優しいのね……。
まるでもう一人の兄のようだ。今日だって私よりもショック受けているのに違いないのに、私のフォローまでしてくれる。
私は自分のことばっかり。情けないなぁ。
包みを開いてそっとラムネを口の中に忍ばした。
今日の味は葡萄味。ちょっと酸っぱい味が広がる。
みじかうたの番号は『L.476』
もう暗唱できる。
野に咲く菫の朝露を 袖に吸わせて持ち帰りたし
それだけの意味だ。
頑張れとか、大丈夫か?だとか、そんな言葉はラルゴから貰ったことがない。
今みたいに、関係のない美しい言葉だけをくれる。
だから今まで気が付かなかった。ラルゴの気まぐれだと思っていた。
だけど、それが私にはとてもうれしかった。
うちに帰ったら歌集に線を引かなくちゃね。
強張っていた頬が、自然と緩んでいた。
っていうか、ゲームの中の自分。
なんで、ラルゴに危ない仕事させた?
こんなに優しくて大事にしてくれる友人を、死ぬかもしれない仕事に行かせた?
自分のことながら意味わからん。
そもそも、主従を引き離すとか無理すぎる。
新規絵、永遠に失われるんですけど?
何があっても、ラルゴの命は私が守ると決意した。