55.フェルマータ
父上の書斎に呼び出された。今回はアリアはペルレと外出中だった。気分転換のため、郊外へお忍びで行っているらしい。
父上は、イライラとテーブルを指でたたく。
「ルバート! アリアは何をしてくれたんだ」
珍しく父上が憤っている。
しかし、今回の件はアリアには非がないと承知済みのはずだ。
今さらなんだというのだろう。
「アリアはすべきことをしたまでです」
「だが、この状況はなんだ」
「と、言いますと」
父上は不機嫌そうに、テーブルの上に書簡を何通か投げた。
「一番動きが早かったのはラルゴだ」
「はい。特任部隊への志願ですね」
「身分が上がったら、アリアと添いたいと言っている」
「予想はできました」
「アリアが反対するから志願は頓挫したが」
「アリアの願いなら仕方がありません」
「ああ。身分などなくてもラルゴなら……、嫌には嫌だがジークが不甲斐ないならそれもいいだろう。婿に来る気もあるようだし、アリアを手放さずにすむ」
「……ソウデスネ」
俺は不服ながら答える。一番初めに、命懸けの動きをしたラルゴは、まあ、見るに値するかもしれない。
「そして、一昨日、サパティアードから親書が届いた」
「タクト、ですか」
「ああ、侯爵家に戻ると。それにともなって、アリアと婚約したいと言ってきた」
「ジークとの婚約破棄はまだ決まってないはずです」
「噂の時点で動き出すとは、この早さならすでにサパティアードとは話をつけていたのか……、本気なのだろう」
「……」
「家柄にも申し分はない。政略的にも意味はあるな」
「ないとは言えませんね」
「アリアもペルレも信頼している」
「手際が良すぎるところがムカつきます」
「全くもって非常にムカつく」
はぁぁ、父上は大袈裟なため息を吐き出す。
「昨日は、ワグナー国第三王子が我が家にきた」
「は?」
「クーラント殿下だよ。非公式だが、この件の謝罪と礼。そして、アリアへの求婚だった」
「はぁぁぁぁ??? あいつ、くそ! あれだけ! クッソ、王子だと?」
「クソ自由人王妃の差し金だ。私にすら、秘されていたからな!」
王妃に向かって、クソ言う父上感服する。
目指したいところだ。
「王国にすれば、美味しい話だ。今はワグナーの動きが不穏だからな。第一王子派が脳筋で、戦争推進派だと聞く。しかし、できればワグナー国王と戦いたくはない。アリアにしても、ただの婚約破棄ではなくなる……」
たしかにそれはそうだった。今のままでは、アリアは婚約者がいながら他の男に汚されたために、婚約破棄された不名誉な令嬢になるだろう。
事実は違っても、噂は消えない。そして、きっと嘘まみれの演劇などにもされてしまう。
しかし、他国の王子に見初められたのなら? 見初められた理由が、あの対処の仕方だったとしたら?
きっとその方が劇としては受けるだろう。噂としてそちらが広がりやすくなる。
「しかし、先のカノン嬢誘拐未遂事件の扇動者はワグナーと思われますが」
「ああ、強引なやり口から、第一王子派だろうな。だからこそ、第三王子にアリアを嫁がせるのは国益を考えれば有益だ。アリアがそこへ行くなら、グローリアが第三王子について国王に引き上げ、国交を開く。戦争は回避だ」
「父上はアリアが可愛くないんですか!」
「お父さんだって、アリアちゃんが可愛いに決まってる! ていうか、お父さんのほうがアリアちゃん好きだから!」
「いや、俺の方が好きです!」
「お父さんの方が好きだからな! アリアがお腹にいるときから好きだからな!」
「俺だって!」
「いいや、違うね! お前は小さい頃、アリアのせいでお母様が抱っこしてくれないって拗ねてたもん!」
「オッサンが『もん』とか言ってもかわいくないから!! しかも覚えてないですよ、そんなこと!」
「乳母の育児記録に書いてある、妻の育児日記にも。ついでにお父さんの手帳にも書いてあるからな!」
「ちょ、止めてください! 無駄に宰相家の記録癖使わないでください!」
「使えるものは何でも使うわ!」
「! 違うでしょ! 父上はアリアがワグナーに行ってもいいんですか! 俺はアリアがワグナーに行くならついていきます!」
「お父さんも第三王子を傀儡にする」
「……。そうですね、そうなったら、我が家の総力を挙げて乗っ取りましょう。別にグローリアにしがみつく必要などない」
そう言えば、父上は不敵に笑った。
「そして、今届いた親書だ」
リビトゥム王家の薔薇の紋章が入っている。
「今から殿下が来る。お前と私に話があるそうだ」
「婚約破棄、ですか」
「さあな。だが、もうどうだっていいじゃないか?」
「そうですね」
丁度ドアがノックされ、ジークフリート王太子殿下の来訪を告げられた。
「ここへ通せ」
出迎える気もないらしい。不敬だが、だから何だというのだ。
ジークフリート王太子殿下は、我が国の軍服を着た正装で現れた。
先ほどの不敬に関しては、何のお咎めもないらしい。
「今日は、アリア嬢のことについてお願いがあり参りました」
王子らしからぬ、下からの物言いに眉を顰める。
「なにかね」
父上は不遜に答える。
ジークフリート王太子殿下は、一つ大きな息を吸った。
そして、優美に頭を下げる。
「アリア嬢との早急なる結婚をお許しいただきたい」
静まり返る室内。
間をおいてワナワナと震える父上。
「ルバート!!」
雷のような恫喝。
「殿下はアリアと婚約を破棄したいと言ったと、お前は言ったな?」
阿修羅のような顔だ。
「はい、アリアに『婚約者でいたくない』と言っているのを聞きました」
「それは、だから結婚しようという意味で!」
殿下が声を荒げて被せてくる。
再びの沈黙。
「はあ?」
父上がいまいましそうに渋面を作り、話を促すように顎をしゃくった。
王太子に向かって顎をしゃくるとか、痺れる!
「……もう婚約者でいたくない、そう言いました。それは、婚約者では我慢できないという意味で、結婚を申し込もうとした矢先に、アリアは連れていかれてしまったのです」
「……ルバート……」
父上の声が怖い。
俺のせいか。俺のせいか?
「学生であることを理由に渋る両親を説得し、正式に本日お許しをいただきに来ました。先にアリア嬢へお会いしたかったのですが、何度お願いしても面会がかなわず、このような形となりました」
公爵家の妨害作戦は完ぺきだったらしい。
「どうか結婚をお許しください」
プチン、頭の血管が切れる音がする。
「婚約者でいたくないのは結婚したいから? ふざけんなバーカ! そんなん伝わるか!! ばーかばーかばーか!!」
「ルバート、不敬だ」
「父上に言われたくない」
「どのような罵倒でもお受けします。アリアと結婚させてください」
殿下は深々と頭を下げた。
その真摯な姿に、父上と俺は目を合わせた。
なんといっても、アリアはコイツが好きなのだ。
悔しいけれど。
そしてコイツは、こんなに必死になるほどアリアが好き。
「お父さんはまだ早いと思うんだ」
「お兄ちゃんもそう思います」
「せめて、学園は卒業すべきだ」
「いやいや二十歳ぐらいまで」
「そんなに待てません!!」
殿下が声を上げる。
でも、コイツはアリアをたくさん困らせた。
素直にくれてやろうだなんて、到底思えない。
きっと父上だって同じ気持ちだろう。
「私が返答することはできないな」
父上はすげなく答えた。
「アリアの意志を聞かなくては」
「でも、婚約しているのです! 結婚は決まっている。少し婚期を早めるだけだ!」
必死な顔をして、殿下が食い下がる。
もうその顔は、殿下なんかではなく、ただのジークだ。
「だから、なんだ? アリアの意志を無視してでも結婚するというのかね? ジークフリート」
父上が呼び捨てた。
殿下はグッと唇を噛む。
「……無視してでも、嫌われてでも、結婚したいのです」
弱くかすれた声、王太子とは思えない。
「ああ、自信がないのだね? 可哀想に」
父上は冷酷な顔で微笑んだ。
「いいことを教えて差し上げましょう。あなたの事後処理がまずかったために、アリアに不名誉な噂が流れているのはご存じでしょう? それなのに今、アリアには求婚の申し込みが多数来ている。これ幸い、というように婚約破棄を皆さん待っているようだ」
「!! 誰からの申し込みですか」
「それはお答えできませんが、まぁ、そうですね、どこかの王子、侯爵家の方もおりますな。また、昔から一途にアリアに思いを寄せているものも。ご存知の通り、わが家では王家の庇護を欲しない。簡単に言えば、貴方でなくてもいいのです」
「だが、それでは」
「アリアのご心配ですか? まぁ、婚約破棄になったらあの子にも傷はつきますが、完璧なあの子だ、それくらいご愛敬というものでしょう? それとも何か? あなたはあの子に傷が付いたら手放すのですか?」
「そんなことはない!!」
殿下は、父上をギリリと睨みあげた。
父上は、それを蚊でもあしらうように笑って受け流す。
「追ってお返事を差し上げましょう。ジークフリート王太子殿下。それまでは、わが娘に近寄るな!」
俺は書斎のドアを開ける。
「お帰りはこちらです。殿下」
「よく知っている」
殿下は不機嫌に答えた。
そうだ、よく知っている。
俺も父上も、殿下のことを良く知っている。
小さいころから、親戚のように付き合ってきたのだから。それなりの信頼も愛着もあるのだ。
俺だって、ジークとラルゴは弟のように思っている。
でも、アリアのことだけは別だ。
「今日は帰ります。でも、僕は諦めません」
殿下はドアの前で一礼し、踵を返していった。
「今日のこと、アリアには言わないように」
父上が疲れたように吐き出した。
「確認を取らないのですか?」
「聞けば喜んで嫁ぐだろう? ……だから、できるだけ、シラバッくれる」
父上は不貞腐れた様に言った。
「……先延ばし、したいのですね」
「ああ。心情的なものがないとは言えないが、それ以上に政治的に今のタイミングはあまり良くない」
「宰相家の圧力ととられますか?」
「うむ、王太子妃になった時、その噂がアリアの足を引っ張るだろう」
「では、ワグナーの親書が届けられてから、ですね」
「最短でだ。出来ればもっと延ばしたい。王妃になるのなら、あの子がジークに意見できるようになってからが本来は望ましい」
「私もそう思います。アリアには、ジークの一番近くで正す者であって欲しい」
ジークのためにも。アリアのためにも。そうでなくては、二人は幸せになれない。
だから、まだ早い。
早いと思いたい。
だって、わがままだけどもう少し、お兄ちゃんでいたいのだ。







