53.2/3の冷却
猫のままでいたいと思っていた。
クーラントでは、アリアに話しかけることもできない。
このブルーグレーの毛皮の中にいれば、オレはアリアに抱かれて生きていける。
一番近くで、愚痴だって聞ける。
そう思ってしまったんだ。一瞬だけ。
その一瞬が命取りになるなんて。
やっぱりあの女はいけ好かない。
ルバートが言ったとおりだった、知らないうちが身のため、だったな。
オレは、クーラント・サルスエラ。
本当の名前は、クーラント・ティガー・ワグネル。ワグナー王国の第三王子だ。
タクトはオレのグローリア文化の家庭教師だ。
タクトからは何度も注意された。
タクトと同じ目を持つ猫は、タクトに似ていたから俺が拾ってきたものだ。
その目に俺の意識を繋ぐ魔法陣は、便利だけれど命を削る。
知っていたけれど、オレは体力に自信があったし、そもそもこんなに使うとは思わなかったのだ。
ちょっと情報収集ができればいい。それくらいのものだった。
本来の目的は、カノン嬢だった。
ワグナー国は実力主義だ。王家はあるが、王になるものは実力でその座を勝ち取る。俺は王座が欲しかったし、その為にカノンが欲しかった。
ワグナーには、新しい力が必要だ。その力にカノンはなる。
そう思ったのは、タクトと知り合ったからだ。
オレが初めて触れ合ったグローリアの人間。そいつは、頭もいい、魔法も使える、身体能力も高かった。すごいと思った。こんな人間になりたいと思った。憧れたのだ。
それなのに、生まれ故郷ではその瞳の所為で、居場所がないと笑った。魔法も中途半端で使い物にならないと。
その笑顔が悲しくて、コイツを認めないグローリアを馬鹿だと思った。
オレはコイツのような人間がもっと欲しいのに。
だから、グローリア人と縁を結びたい、そう思った。そうすればワグナーはもっと繁栄すると。
そんなときに、カノン嬢の情報を手に入れた。癒しの魔力を持ち、動物と話せる少女だ。きっと、グローリアの他の魔法保持者より、獣人を祖にもつワグナーに理解があるだろうと考えた。
だから、タクトかオレかどちらかが、彼女の理解者になって、彼女を出国させようと学園に入学したのだ。
そのために、ちょっとだけ、情報が欲しかった。
ちょっとだけ、こちらに振り向くだけの隙が欲しかった。
カノンを孤立させ、こちらに依存させたい。
そのために目を使った。使い始めたはずだった。
それなのに。
空中庭園での一時が癖になった。
あの猫の中にいれば、あの女がオレを見る。優しく撫でて話しかけて、誰にもしないような話なんかして、取り澄ました顔じゃなくて、見るも無残な甘ったるい笑顔を向ける。
人だったら話せない。側にも行けない。
自分で話しかけるなと言ったのはオレだ。
でも、そう言いながらも、向こうからは話しかけてくると期待したのだ。自惚れだった。
猫のままでいい、そう思っていたのに、あの女がオレを呼んだ。
オレの生まれ故郷の言葉でオレを呼んだ。
猫じゃなくて、ティガーと。
あの白い島の思い出と一緒に。
戻りたいと思った。
人として見つめたいと思った。
もう一度、ティガーと呼ばれたい。
あの島に連れて行きたい。
そう思ったら、オレは柔らかな身体を脱ぎ捨てて、重い身体に戻っていた。
温かいアリアの体温。
見たかった泣き顔がまさかこんな形で見れるなんて、想像だにしてなくて。
傷つけたって泣かなかったくせに、オレのために泣くなんて。
オレは、こんなことをして最低だと思うけれど、それ以上に嬉しくなって、重い手を伸ばして、あの子の涙を拭いた。
ジークフリートに突き落とされて、ラルゴに殺されるかと思い、タクトとカノンに助けられ、覚えているところはそこまで。
今、目が覚めた。身体はまだ重い。動きたくない。
薄暗い部屋の中にタクトのヘテロクロミアが光っている。
見慣れた調度品。
タクトの家のオレの部屋だ。
「目が覚めましたね?」
タクトの声に頷いた。
タクトは大きくため息をつく。
「三日ほど寝ていました」
そんなに寝ていたのか。
「心配、かけたのか」
「心配しましたよ、当たり前でしょう」
心配してくれたのか。
もう見放されたかと思った。
「クーラント様、これで満足しましたか?」
タクトが静かに言った。
「!」
「貴方の望んだ通り、アリア嬢の居場所はこの学園にはなくなるでしょう。学園内では、アリアさんは貴方と不貞を働き、その現場を婚約者に押さえられたことになっています」
「違う! オレは、そんなつもりじゃ」
「でも、貴方はアリア嬢の居場所を奪おうとしていた。カノン嬢ではなく、違いますか?」
「……」
オレは反論できずに唇を噛み締めた。
ちょっと孤立させたい。そう、思っていたのは確かだ。だから、カノン嬢を虐めていると噂を流した。性格の悪い女だと。
でも、こんな風に傷つけたりするつもりはなかったのだ。
「どうして、そんなことをしたんですか。初めの予定とは違います」
当初の予定では、タクトがシンフォニー魔法学園の教師としてカノンを観察し、ワグナーにふさわしいものか判断するためにここへ来たのだ。
タクトの眼鏡に適えば、オレの婚約者、もしくはタクト自身の結婚相手として、きちんと本人の同意の上で連れ帰る、そういうものだった。
オレ自身がここへ来たのは、カノンを直接知る必要もあったし、タクトの監視もあった。
「だって! おまえだって、カノン嬢と結婚する意思がなくなっただろう?」
「っ! 確かにそれは無理です。カノン嬢だって望まない。でもそれ以外の方法だってあります。それに、アリアさんを孤立させるのは関係がない」
タクトはきっと解っていて、オレに聞く。言葉にさせようとする。
「……欲しかったんだ。アリアを連れて帰りたかった。居場所がなくなれば、オレのとこに逃げてくると思ったんだ」
タクトは呆れたようにため息を出した。
「まるで子供ですね」
オレはうつむいた。
「彼女は私が守ります。すでにサパテアード公爵に証明書をもらっています」
「意味が分かって言っているのか? 今持っているお前の全てを失うぞ」
コラパルテのままであれば、ワグナーの人間としてタクトは地位を持っている。このままで行けば、きっとワグナー国の重鎮になる未来が約束されている。
それを。
「無論です。あなたが名前を使ったら、コラパルテのままではあの人を手に入れられない」
「夏休みには根回し済みってことだな。……お前のその用意周到なところが、オレは大っ嫌いだ」
「お褒めにあずかり光栄です」
タクトは不敵に笑った。
「考え直せ、タクト」
「貴方のやり方ではダメだ」
「分かってる!」
「だったら」
タクトのヘテロクロミアがきらめく。
あの子が、月と太陽にたとえた美しい瞳。タクトは聞いたのだろうか。オレは悔しいから教えないけれど。
「ああ、オレの力でアリアの不名誉を雪ぐ。彼女には何の非はない。それどころか、オレを助けた女だと、親書を送る」
「……」
「ワグナー国、第三王子クーラント・ティガー・ワグネルの名を使う。彼女はそれを知らないのに、身を呈してオレを助けた。慈悲深い完全なる淑女だ。その事実をグローリア国王に伝えよう。そして公式に、感謝の意を彼女と学園に表する。ワグナーは遠いから少し時間がかかるが」
「何もしないよりはマシでしょうね」
「それで許してもらえるとは思わないがな。この状況はオレだって不本意だ」
アリアは紛れもなく、オレを救ったのだから。その事実が、彼女を傷つけるだなんて、絶対に許さない。
たくさん、やり方は間違った。
でも、今度は間違えない。
今更遅いとか、関係ないのだ。
出来ることをしてからじゃなければ、尾っぽすら巻けない。







